はじめに

あきやまさんがエイタに描いてくださった一枚の絵からすべては始まりました。
いかにもきかん気そうな瞳で口をへの字に結んでいる赤ちゃん景虎さまと困ったような微苦笑で背後に控える直江…。
はまりました。壮絶に(笑)
離乳食だの、健診だの、お風呂だの、シャンプーだの、マッサージだの、お散歩だの。 絵がUPされるたび短文をくっつけては遊ばせていただいて、
最後の絵は、赤ちゃんとの遊び方マニュアル本を読みながら歩く学校帰りの直江でした。で、私のつけた短文がこんな感じ

《水遊びに誘って楽しいひとときを過ごしたもののお相手をしているうちに直江はずぶ濡れに……。
赤ちゃんの着替えはそつなく用意していても自分のことは気がまわらず、風邪を引いて寝込む直江。
さてお見舞いに来た高耶さんは大人の目を盗んで直江の部屋の前の廊下に座り込み。直江は眠っていて気がつきません。
大人に連れ戻される時、高耶さんは一言だけ「ナオエ」と声を発します…》
以下に続くは直江サイドからみたその情景です。







夏風鈴



我ながらずいぶん間抜けなことを…と思った。
夏のさなかに風邪を引いて熱を出してしまうだなんて。
濡れた衣服をうっちゃっておいた、ただそれだけの理由で。
長秀あたりに知れたらさぞ笑いものにされるだろう。おまえもずいぶんと軟弱になったものだと。

だが、橘の家族の反応は少々違った。
夕餉の箸が進まないその様子に暑気あたりを疑われ、額に手を当てられ、燃えるようだと大騒ぎされ、有無を言わさず寝かしつけられ、揚げ句に医者に往診を頼むという。

なんとも大袈裟なと思ったが、それでもいったん横になってみれば、もう、枕から頭を上げることも出来そうになかった。

そんな状態での診察は正直なところ億劫でしかなかったけれど、顔なじみの老医師は二言三言だけで煩わしい問診から解放してくれた。
胸をはだけて聴診器を当てられ、リンパ腺の腫れを探られて、注射を打たれた。

「ゆっくりおやすみ…」

最後にそう告げられて、上掛けが直される。あやすようにその上から軽く肩を叩かれた。
子供を安心させるようなその所作が可笑しくて、つられるように微笑んだ。
そして微笑を口元に残したまま眼を瞑る。

――――すとん

そのまま、吸い込まれるように眠りに落ちた。




―――大丈夫。ただの風邪でしょう…。

遠くから声がする。
おもちゃの遠眼鏡をのぞくようなミニチュアめいた映像が、瞼の裏にぼんやりと浮んだ。
洗面所で老医師が丁寧に手を洗い、後ろに控えた母からタオルを受け取っている。

―――はい。どうもありがとうございました。夜分にお呼び立てしてしまって……。

―――………。

―――…………。

事務的に続く看護の指示にまたうつらうつらし始めた時、

―――まったく。ひやりとしたよ。坊主が急病だというから、わしゃてっきり……

ふいに話題が自分のことだと知れて、意識が引きずり戻された。



気がつけば、場所は見慣れた居間に移っていた。
先ほどとは打って変わった砕けた態度で、医師は茶菓のもてなしを受けている。
そんな様子を斜め下に見下ろしているのだから、どうやら自分は幽体離脱でもしているらしい。
すすっていた煎茶を茶たくに戻し、改まった口調で医師が続ける。

「……でも、もう大丈夫だな」

「……そう、でしょうか?先生にもそうみえました?」

小首をかしげて母が返す。

二人とも、何が、とは言わない。誰が、とも。

もっとも、何度か手首を切るたびに真っ先に駆けつけて応急の処置をしたのはこの老医師なのだから、今さらつくろう必要もない。
息子に医院を譲り渡し半分隠居の身になりながらいまだ矍鑠としているこの老人とは、昔からの家族ぐるみのつきあいなのだ。

「ああ、あの頃とは目の奥の輝きが全然違う。……あれは生きる目的を持った人間の目だ。
坊主はいい顔をするようになった……春枝さんにもこころあたりがあるんじゃないかね?」

確信ありげに言う医師に、微笑み返す母の表情はまるで花がほころぶようだった。

「ご存知ですかしら?近所に越してきた仰木さんという方の…そこの坊やに義明、夢中なんです。
…まるで恋人に逢いに行くみたいにして飛んでいきますわ」

「はて?このあたりの子供なら大抵知っておるつもりだったんだが?」

小児科の看板も掲げている医師が首をひねった。

「倅の担当だったかな?……なんにせよ、覚えがないということは医者に縁がない丈夫な子なんだろうな」



そりゃそうだ。
直江が苦笑する。そういう意味では高耶は育てやすい子なのだ。親にほとんど心配をかけない。
まったく今の自分とは大違いだ……。

そういえば、こんな発熱騒ぎを彼が知ったらどう思うだろう?
呆れるだろうか?……怒るだろうか。

服が濡れた原因は半分以上彼にあるのだとしても、きっと、心配するそぶりなど毛ほども見せないに違いない。
労わりの情を表すぐらいならむしろそれを怒りにすりかえる人だから。
そしてその辛辣さに自分が深く傷つくのだ。

早くよくならねば。
闇に沈みかけながら、唐突にそう思う。
自分の失態を糊塗するためでなく、景虎によけいな負担をかけないために。
次の訪いが間遠になりすぎず、そ知らぬ顔でまた逢いにいけるように。





熱はなかなか下がらなかった。
成長期の歪みが一気に噴き出たのだろう……とはかの医者の診立てで、風の通る座敷に敷かれた床の中で、直江はただ昏々と眠りつづける。

時々、夢ともうつつともつかない夢を見る。
記憶と願望と透視の入り混じった『かくあれかし』と希う夢。
しあわせすぎて浸りきれずに、ああ、これは夢なのだな。と、そう結論付けてしまう自分がいる。





ちりりん・・・縁側の風鈴が風に揺れた。

端座している景虎がいる。
単の着流しで文机から視線を上げて、隅に控えた自分に向って柔らかく微笑んでいる……これはいったい何時の記憶だったか。
彼独特の気が取り巻いて、それだけでひどく心が安らいだ。

―――……と。

名を呼ばれた。





のぞきこんでいたのは、母だった。
まだ寝ぼけているような、そんな息子に、氷の浮いたグラスを見せる。

「麦茶、飲む?」

「うん……」

ふらつきながら身を起こすその背中に、ふわりと春枝の手が添えられる。
布地ごしに伝わるその温もりと優しさは、夢の続きを思わせた。
この手は、今まで幾度となく同じ仕草で世話を焼いてくれたろうに、そこに込められていた慈愛をとうとう自分は受け取ることが出来なかった……。

「お母さん……」

「なあに?」

思わず呼んでしまった視線の向こうに、自分と同じ鳶色の瞳が笑っている。

母、春枝は端整にととのった顔立ちの女性で、その容姿を色濃く受け継いだのは姉の冴子と末弟の自分だけだ。
…本来ならば義明として生きるはずだったもう一人の自分の。

姉も兄もとうに自立している。次兄もこの春、進学して家を出た。
広いこの屋敷に、老いを迎えようとする両親と自分だけが残された。
それなのに、今までの恩義に報いることすらかなわないかもしれない。

慙愧にも似た痛みが脳裡を掠める。

この人の息子を奪いながら、自分は何者でもなくただ抜け殻のように生きてきた。
景虎を見出すまで。
生きる意味を与えてくれたのは景虎だから。これまでも。これからも。
彼に殉じて生きることが自分のすべてだから。

だから、許して欲しい。精一杯生き抜くことを今度こそ誓うから……。

「ごめんなさい……」

「?……おかしな子ね」

貌を伏せてしまった息子から空になったグラスを受け取って、春枝はまた横になる直江に手を貸した。
上掛けを胸元まで引き上げてやりながら、その縁をぽんぽんと叩く。何かのおまじないのように。

「…さっきね、仰木さんが見えたのよ。お見舞いに桃を頂いたの。……食べられそうならもってきましょうか?」

「!」

返事どころではない。
絶句したまま春枝を凝視していた直江は、ようやく蚊のなくような声を絞りだす。

「高耶くんも?あの子は大丈夫だった?…水遊びなんかしておばさん怒ってなかった?」

いくら換生の後見のと大儀を振りかざしたところで、今の自分は十二の子どもであり、景虎にいたっては一歳足らずの赤ん坊でしかない。
今生の両親の意向は無視できない。
遊び相手として不適格と判断されれば、もう会うのもままならないかもしれない。

縋るような目をした息子に、春枝はゆるゆると首を振ってみせた。

「どうぞおだいじに、って。仰木さん、あなたの熱のこと、とても気に病んでいらしたわ。懐いているのをいいことに、高耶ちゃんのこと、少しあなたに甘えすぎてたって…。
だから母さんが言っておいたの。どうかこれからも高耶ちゃんと仲良くさせてくださいって。
あなたの心配しているのは、つまりはそういうことなんでしょう?」

高耶に対する執着はお見通しというわけだ。

「…高耶ちゃんはあなたの大事なひとですものね。……その思いはちゃんと通じてるみたいよ?」

「?」

意味深な春枝の言葉に直江が怪訝な表情をする。

「…高耶ちゃんね、ちょっと目を離したすきに、ここまでハイハイしてきちゃって。探しにきた時にはそこの廊下にちょこんと座っていたわ。
部屋に入りたいけど入れない。……まるで眠っているあなたを起こしちゃいけないの、わかっているみたいに」

遠くを見る眼で、春枝は思い出したように幸福そうに微笑んだ。

「ほんとうに、あかちゃんってなんて表情をするのかしらねえ。声をかけたら何か言いたそうに母さんのこと見上げるのよ。あの、まんまるなおめめで。
抱っこして茶の間に戻ろうとしたらね、それまでおとなしかったあの子がそこの曲がり角で一言だけ声を上げたの。
……ナオエって。……いったい何処で覚えてきた言葉かしらねぇ……」



眩暈がしそうだった。

では夢ではなかったのだ。
あたりを満たしていた景虎の『気』は高耶本人のものだった……。

ふわりとしたあの感覚を呼び戻そうと直江は再び目を閉じる。
溢れそうな幸福を身のうちに感じて。

「……義明?また眠くなっちゃった?」

幽かな衣擦れの音とともに母の気配が遠ざかる。



風鈴が、ちりんと、涼やかな音をたてた。











・・・初めて読む方には訳のわからない、いわば自己満足の極致みたいな話ですいませんです。
漫画を読むように私の頭の中ではすべてあきやまさんの絵に変換されているのですが
…それをお見せできないのがすごく残念(笑)
あきやまさんは何度かエイタのお引越しをなさってまして、あのステキな絵の数々はなくなってしまったそうなのですが。
またいつか描いてくださらないかな…。密かに念じる日々です(笑)
あきやまさん、こちらにUPすることを了解してくださってどうもありがとうございました。
そして、現在のあきやまさんちにももちろん素晴らしい直高絵があることを皆様にお知らせしておきます…。





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