視界が赤く染まる。脳内で濁流によく似た轟音が鳴り響く。
その音に負けまいと自分も確かに叫んでいるのに自分の声が聞き取れない。 窒息寸前に頸を絞められながら、それでも直江は必死に前に飛び出ようとした。 なんとしても主を助けねばという一念、或いは、己の至高の宝玉を奪われることへの強烈な怒りに駆り立てられて。 それでも縛めはびくともしない。 背後の男は薄く笑いながら、暴れる直江を悍馬でも御するように巧みに押さえ込んでいた。 褥ににじり寄っていた頭目が、まず上掛けを勢いよく撥ね除けた。 はらりと宙を舞う絹の彩り、巻き上がる風に乗って鼻腔に届く花の残香。 横たわる姿が露になった身体から放たれる薫香とこれから繰り広げられる落花狼藉への期待に、ごくりと男たちが生唾を呑む。 その場の誰にとっても時間が止まったように、奇妙な静けさが室内を支配した。 主に手を掛けようとする頭目は、片腕を伸ばし腰を浮かせた奇妙な格好のまま固まって身動ぎもしない。 そのあまりの間の長さに、おこぼれに預かろうとすぐ後ろに付き従っていた男たちにまず上審の色が過ぎった。 おそるおそると一人が頭目の表情を覗き込む。 男の喉が鳴ったのは次の瞬間だった。 ほんの数瞬で、首領の顔つきは萎びた老人のそれになっていた。 顔だけではない、身体も見る見る細く小さく涸れて縮んでいく。まるでその身に百年もの刻を一気に背負ってしまったように。 やがて骨と皮ばかりになった身体は砂が崩れるようにして一握りの塵になり、その塵も、 見えない一陣の風に払われたかのようにたちまち失せてなくなった。 頭目の傍にいた男たちもすぐに同じようにして消え失せる。 すべては、ぼんやり灯火の灯る閉ざされた室内での出来事。 男たちの奪ったはずの小粒の金が畳の上に散らばってきらきらと灯火を反射する その輝きが、この出来事が夢幻ではないと知らせているようだった。 気がつけば呼吸が楽になっていた。 直江を拘束していた男が直江から離れ、前を向いたままじりじりと後へいざっている。 大きく開けた口を戦慄かせ恐ろしさに眼をいっぱいに見開いて、それでも眼に映る光景から視線を逸らすことさえできずに。 直江も同じものを見ていた。 ずっと眠るように横たわっていた主が、褥から、今、ゆったりと典雅な仕種で上体を起こすのを。 俯いていた貌があがる。口角が微かに上がって微笑の容をつくり、 あれほど開くことを希っていた瞳に、今、はっきりと直江の姿が映っている。 主はゆっくり頭を巡らせる。まるで室内の様子を検分でもするかのように。 その視線が直江の背後で停まったとき、男の悲鳴が響き渡った。 あれほど居丈高に振舞っていた賊の最後の一人が、四つん這いのまま脱兎のごとくに逃げ出していく。 どたどたと廊下に響くその足音が次第に遠ざかり消えようとした時、また木霊のような悲鳴が断続して聞こえた。屠られる獣のような喚きだった。 主が小さくため息をついた。 「生きながら手足を捥いで食すのはあまり見目良いものではないのだが……。 爺にも長らくの辛抱を強いた故、あれぐらいは許さねばなるまいな……《 独り言のように呟いて、今度ははっきりとその視線を直江に向ける。 「おまえにも、ずいぶんと痛い思いをさせてしまったな、直江。大事ないか《 初めて耳にする主の声と言葉、自分に向けられた労わりの表情に、直江は呆然とするばかりだった。 |