元々が美しい人だと思っていた。 けれど、今、その瞳に光を宿し、己の意志で己の言葉を紡ぐ主のこの圧倒的な存在感はどうだろう。 室内の空気が一気に華やぐ。例えるなら闇を透かして散り急ぐ満開の桜のような風情で。 呆けたままの直江の前に主が近づき、屈みこんだ。 優美な腕の一振りで、後ろ手に括られていた縛めが解ける。 そのまま主は、縄目の痕の残る直江の手首を撫で、腫れあがった頭部のこぶや頬の擦り傷、切れた唇を優しく両手で触れていく。 それだけで温かなものが流れ込み、痛みが引いていった。 「あ、ありがとうございます……《 間の抜けた礼しか言えないのがもどかしかった。 「それと、あの、ご無事でなによりでございました《 そう続けて、深々と頭を垂れる。衷心からの言葉だった。 そんな直江を、上思議そうに主が見つめる。 「おまえは……怖ろしくはないのか?《 「は?《 「見ていただろう?オレに近づいた三人の死に様を。亡骸さえ残らぬほどにオレが気を喰らい尽くした。 異形だ化物だと謗って当然だろうに。 それなのに、おまえはオレの無事を喜び、オレが触れても動じない……。何故だ?《 「何故と言われましても……《 突きつけられた問いに、今度は直江が首を傾げる番だった。 「……あなたさまが私の主でございますから《 考えて考えて辿り着いたのはひどく簡潔な一言。 憧れていた。慕っていた。だから仕えること自体が喜びだった。 そして、この愛しい人が無残に奪われなくて本当によかった。 賊に襲われたときの自分の無力さを呪いさえすれ、自ら火の粉を払った主の通力を、なんで自分が咎めだてできようか、と。 一人きりで過ごす時間が長かったから話すことには慣れていない。それでも、直江は、視線を彷徨わせ、言葉を探しながら、訥々と、長年抱え続けていた想いを口にした。 畏れ多くはあるけれど、自分はあなたのことが好きなのだと、大切なのだと、叶うならいつまでも傍にいたいのだと、それだけは主に解ってほしくて。 長い長い時間をかけて、ようやく直江は胸に降り積もった言霊を語り終えた。 思わず深い息を吐いて、それからおずおずと主を窺う。 主は―――上思議な微笑を浮かべ直江を見つめていた。おそらくは言葉を探して四苦八苦していた直江のことを、最初から、ずっと。 やがて、微笑んだまま、静かに主は言った。 知っていた、と。直江の育て続けた花から、その想いは伝わってきたから、と。 そして、さらに主は直江に向かって言い放つ。 気づいていたか?と。そもそもの始め、おまえはオレへの贄として此処にやって来たのだ、と。 直江がそうしたように、今度は直江が主と崇める人物―――景虎が語り始めた。 もう覚えていないほど昔から存在し続けていたオレたちが糧とするのは、月影と花の精気、それともうひとつ。 おまえを此処に連れてきた家令が敢えて伏せていた一番の糧が、生身の人間、つまり、おまえ自身だった。 おまえはいずれオレの贄になるはずだった。 花を育てる庭仕事は半ば口実の目くらまし、時期がくるまでの時間つぶし。 なのに、おまえが精魂こめてオレにくれる花は酔うほどに気が濃くて、おまえの想いが匂い立つようで。 おまえを喰らう決心がつかぬまま、ずるずると年月をすごした。 そしてある夜、おまえはオレを抱き上げてまでわざわざ外に連れ出してくれた……。 月の光が心地よくて、もたれかかったおまえの身体も同じぐらい心地よくて、それを失くすのがますます惜しくなった。 人間を喰わずに花の精気と月影だけで過ごしていては、オレは思うようには動けない。 けれど、眠りながら意識を保つぐらいはできる。 それでいいかと思った。 どのみちおまえは人間だから、寿命が尽きればそこですべて終わる。 だから、たかだか数十年、糧はおまえのくれる花だけでいいと思った。 日々、違う花の精気と月の光とおまえの想いを浴びて、 そうしておまえとともに在る時間を慈しんでいたかった。 ……でも、思わぬことで本性をみせてしまったな。直江。すまなかった。 上味くはあったがオレは三人分の気を喰った。しばらく贄は必要ない。 おまえはこれからどうしたい? 此処を去るというなら引き止めない。ちょうどここらに転がっている金を持って行くがいい。 ……長いこと世話になった。ありがとう……。 どうしたい?と訊きながら、自分が去るものだと決めてかかる物言いだった。 それが主の意向なら仕方がない。 でも。 それがもし自分の身を慮っての言葉なら、とんでもない見当違いだ。 「此処にいてはいけませぬか?《 まさかこんな応えが返ろうとは思ってもいなかったのだろう、景虎が虚を衝かれたように眼を見張る。 「今迄通りに花を育て、此処であなたにお仕えしてはいけませんか? もう私を要らぬというなら、それは詮無いこと、いっそ一思いに殺してください。 あなたなしでは、もう生きている甲斐などないのです……。どうか、お願いです。景虎さま《 直江が必死で言い募る。 「あなたがどんな存在でもいい。どうか私をあなたの傍に留めてください。 どのようにでもお仕えいたします。あなたを失いたくないのです……《 今度は眼を逸らさなかった。 主の貌を見据え、心の丈を直接主の心に捻じ込む覚悟だった。 穴のあくほど見つめ続けていた主の貌に、やがて、諦念に似た微笑が浮かぶ。 ふわりと、抱きしめられた。主からはやっぱり微かな花の香りがした。 「これからも……この香りをあなたにお届けしますから……だから……《 くぐもった誓いの言葉は最後まで言えなかった。 「ならば、おまえの生命の尽きるまで、しばらくこのままでいるとしよう……《 そう、主が続きを引き取ったから。 そして今も、『花屋敷』と呼ばれる屋敷の広大な敷地には、四季を通じて様々な花が咲き乱れている。 |