はじめに


先日、月花草さま宅に、拙作「Precious 誕生日のおくりもの」をもらっていただきました。

以下は、その続編になります。
本当は「僕が遊んであげる」の台詞を書きたいゆえのお話だったはずなのですが。
・・・・・・どんどんどんどん膨らんじゃって、差し上げものだけでは収まらず(苦笑)
結局自分ちで続けることとあいなりました。
月花草さん、こちらに続けさせていただくこと、ご了解くださってどうもありがとうございました。










Precious ―通じる心―




直江と高耶の蜜月は、唐突に終わりを告げた。

一年が経とうとした頃、高耶の父の転勤が内定したのだ。

「こちらには高耶が散々お世話になっておきながら、何のご恩返しもせずに申しわけありませんが……」

そう、出向いた仰木某に切れだされ、急な話に焦りながらも、 それが栄転とあっては祝福しないわけにはいかず、 内心の動揺を押し隠して春枝は寿ぎを口にした。

引越しは三月末になるという。
高耶の学年末の節目を待ってからこの地を離れるという その言葉がせめてもの救いだった。
少なくとも一年前よりは彼には息子を思いやる気持ちが育っている。
高耶とふたりの生活が確実に彼をも変えていったのだと。

出来るものなら引き止めたい。 いっそ、高耶をこの家に引き取りたい。
そう思うのは春枝ばかりではなかったけれど、それは決して口にしてはならない願いだった。
その方がずっと世話の行き届いた生活を高耶に与えられるとしても、 ようやく通い始めた親子の情に、他人がむやみに割り込んでいいはずがない。
なにより高耶が承知しないだろう。
たとえどんなに春枝に懐き、直江を慕っていても、再び実の父親から離されるような真似は。
実際、高耶は、父から聞かされた引越しという現実を、駄々ひとつこねずに受け入れたようだった。

直江は何もできなかった。
たんなる『お隣りのお兄さん』に過ぎない彼は蚊帳の外に置かれ、 高耶同様、全てが決定した後でこの事実を知らされた。

己の無力さ加減に苛まされながらも、もちろん、それを素直に受け入れる気はさらさらなかった。

引越しが避けられないのであれば、志望を変えて自分が高耶のそばに行けばいい。
そうまで思いつめた考えは、だが、春枝によってやんわりとたしなめられた。

仰木さんは、体裁に五月蝿い方だからと。
肩書きについて回る学歴は高いに越したことはないわ。
もしも高耶くんとのこれからを真剣に考えるのだったら、予定通り、東京の大学に進学なさいと。

そう、きっぱり言い切る母に、直江はすかさず反駁した。

でも、それでは、また彼に淋しい思いをさせてしまう。
そんな思いはもうさせないと誓ったのに。

必死の形相で訴える息子に何を思うのか、春枝は微笑を浮かべてゆるゆるとかぶりを振った。

高耶くんなら大丈夫。
お父さんを信頼している今、彼は一年前の淋しすぎる子どもじゃない。
それに、あなただって気づいているはず。
一年間、あの子に注いだ愛情はきっと高耶くんの中でしっかり根を張ってるわ。
少しだけ手を離したとしても、もうそれで消えるような絆じゃないはずよ。
だから、信じて今は見送ってあげなさい。
そして、あなたも。
今、本当に進むべき道は、自分でわきまえているでしょう?

穏やかに諭されて、直江は途方にくれた表情で黙り込む。
母の言葉が正しいのだと、心の奥では解っていたから。

そう、高耶のためなんておためごかしだ。
自分が。
彼のいない生活は自分の方が心凍えそうに切ないのだ。
あの暖かさを知った今、彼無しでどうやって生きていけというのだろう?

そんな、この世の終わりみたいな顔はしないでちょうだい。

春枝が笑いながら言った。

この一年、何のために仰木さんに愛想を振り撒いていたと思っているの?
ツカミはばっちり。
これからも親戚同様のお付き合いをさせていただくわ。
……長い休みには、実家代わりに高耶くんを預かるぐらいにね。

思わせぶりな物言いに、直江は撃たれたように頭を上げる。
真正面から見つめてくる母の瞳には、いつもと同じ悪戯っぽい光が煌めいていた。

夏休みの間、朝から晩まで一日べったりくっつかせてあげるから。
だから、それまで頑張れるわね?義明?

まるで歩き疲れた小さな子どもを励ますような口調で言われて。
直江の顔にも微苦笑が浮ぶ。

そのまえに、まずはきちんと大学に受からなきゃね。浪人生に夏休みはないんだから。

そう話を落されて、今度は堪えきれずに吹きだした。



学校はすでに自由登校の期間に入っていたし、受験を控えた直江に遠慮してか、家でも高耶は 春枝といることが多くなったから、ふたりで過ごす時間はめっきり減った。
高耶の帰る頃合を見計らって茶の間へお茶を飲みに行く。そして一緒におやつを食べる。二言、三言の当り障りのない言葉を交わす。
ただそれだけだけど、自分にとってはとても貴重な至福の時間。

高耶は以前と変わらないように見えた。が、それでも時折淋しそうに目を伏せることはある。
そんな仕種を見るたびに彼の真意を糾したい衝動に駆られるけれど、高耶はすぐに楽しい話を続けようとするから、敢えて直江も気づかないふりをする。

そんなふうに、区切られた期日に向かって日々は過ぎていった。

ようやく卒業式を済ませ、選抜試験が終わり、無事に合格の知らせを受け取ったときには、 高耶の家の引越しまでには幾らも日数は残っていなかった。
加えて、自身の引越し準備もある。互いが互いの家にこもりがちになって荷物の整理に追われる中、 やりきれない焦り焦りとした気分を持て余していると、不意に春枝がお使いを頼んできた。
明日には引っ越すという高耶たち親子のためにささやかな送別会を開く、その日の午後のことだった。

「……ごま塩ですか?」
「ええ、そう。お赤飯には欠かせないのに。うっかり切らしちゃって」

だから、お願いねと財布を渡されて。せかせかと背中を押されて。
しぶしぶと直江が玄関に向かえば、框に高耶が手持ち無沙汰に腰掛けて足をぶらつかせている。
上着を着た直江の姿に瞬間驚いた表情が明るく輝いた。

「直江も?お使い一緒に行ってくれるの?」

「ええ、そうよ」

突っ立ったままの息子に代わって春枝が返事をする。

「ふたりで行ってらっしゃい。……お駄賃に好きなお菓子も買っていいから。高耶くんよろしくね。義明も。頼んだわよ?」
「は〜いっ!」

いこ?と。
可愛く小首を傾げて振り返る高耶の後を、慌てたように直江が追う。
見送る母の顔には、してやったりの表情が浮んでいるに違いないけれど、もうそんなことにかまってはいられなかった。



いつもの道を高耶と歩くのは久しぶりだった。そして、もうしばらくはないのだと考えると何ともいえない気持ちになる。
発作的に手を伸ばす。
その手を高耶はにこりと笑って繋いでくれた。
そうして、しばらく無言で歩いた。

「ごめんね」
やがてぽつりと高耶が洩らす。
「なぜ謝るの?」
「だって、直江、引越しのこと、ずっと怒ってたでしょ」
別に高耶に対する怒りではないのだけれど。理不尽さはどうしても拭いきれなくて。
そんな負の感情を彼に見抜かれていたのがなんとも気まずい。だからつい要らぬ言い訳が口をつく。

「……怒っていたわけじゃないですよ」
違います…と、呟くようにして消えた語尾に、高耶も小さくうんと応える。

「直江のそばにいたいけど。おばさんとも離れるの淋しいけど。でも、お父さんには僕しかいないから」

だから、ついていくと。そう高耶は言った。自分の言葉で、はっきりと。
そう言いながら、繋いだ手の指先にほんの少し、縋るように力がこもる。

ああ、と。
直江は祈るように目を閉じて天を仰いだ。

淋しくないはずがない。彼だって不安なのだ。それでも、高耶はまず人の心を思いやろうとする。 そのしなやかで強い心で。
母の言うとおりだった。
彼はいつまでも寂しい子どもではない。この一年で、自分が思う以上にずっとずっと成長している。
そしてたぶんこれからも、様々に他人と係わって大きくなっていくのだろう。自分という存在が傍にいなくても。
それでも。
今、高耶が感じる不安、指先から伝わってくる心の揺れを癒してやりたくて。
直江はゆっくりと口を開いた。

「ねえ高耶さん。私の誕生日覚えている?」

えっ?!といった顔で、高耶は直江を見上げてきた。

「五月三日でしょ?」
「今年のその日も。去年と同じプレゼントをくれませんか?」
「……でも……」

もうここにはいられないのに。
そんな戸惑った表情で口ごもる高耶に、 直江はゆっくりとかんで含めるように言った。

「連休になったら迎えに行くから。お父さんのお許しもちゃんともらうから。 だから、誕生日にはまた私と一緒に遊園地で遊んでください。ね?」

決して長いお別れではない。
あと一月ちょっと。そうすればまた逢えるという、それは、確かな約束。
言葉の意味に気がついて、みるみる高耶の顔が明るくなる。

「うんっ!!」
ぎゅっと握りしめられた手に、もう不安はない。
何よりの餞を、高耶は大好きな人からもらったのだから。



頼まれた買い物を済ませて、直江は思いついたように郵便局に寄った。
求めたのは葉書の束。
「?」
不思議そうに見上げてくる高耶に、告げた。
「明日までに、表書きの住所を書いておきます。だからウラに一言だけでもいい。 書いてポストに入れてくれたら私宛に届くから。高耶さんの話たいこと。なんでもいいから教えてください」

そうすれば、繋がっていられる。一年間、通いつづけた朝のあの時間みたいに。
手紙をしたためる間、高耶は自分のことを考えてくれて、 そして自分は、受け取ったその文面から、高耶の様子をしのぶことが出来る。

「直江も?」
黙って葉書を見つめていた高耶が訊いた。
「直江も僕に手紙くれる?」
もちろん。
そうにっこりと直江は笑った。どこまでも優しいいつもの笑みだった。





そうやって交換しあった書簡は、やがてふたりの宝物になる。
互いが互いに相手の手紙を大事にしまいこんでいるのに気づくのは、ずいぶん先の話になるのだけれど。

そんなもん、取っておくんじゃねえ。
私がもらったんだから私のものです。どうしようと勝手でしょう?
……恥かしいんだよ。
こんなに可愛いのに?
……! ! ! 

他愛もないしあわせな諍いの種は、このとき、ひっそりと播かれていたのだった。











もしもショックな方がいらしたらごめんなさい。
いったん直江と高耶さんはお隣りさんじゃなくなります。
ああ、石投げられそうな展開だ…と思いつつ。でも、この仰木さんの引越しは当初から考えいてた流れでした。
三年後です。高耶パパは出世して(笑)今度は本社勤務になって東京に戻ってきて、また直江のお隣りに部屋借ります…(笑)
そういう予定でいますので、どうかよろしくです…(拝み)








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