はじめに

先ずは海さん宅の「赤の神紋」BOXをクリック。「VACATION」へGOです。

・・・・・・どうです?ステキだったでしょ??
洒落たセンスと小気味よいテンポを堪能していただいたお話の、その翌朝へと私のパロパロは続きます。
連城は、いつお仕事したんだろ?その謎解き編でもあります(笑)




STRAY CAT



手の中でもがく小鳥を、空に向けて放してやった……ちょうどそんな気分だった。
庇護した者を在るべき場所に帰すことへの満ち足りた想いと、安堵。そして、少しばかりの寂寥感。
窓辺に立ちながら、響生はそんなことを思っていた。

見下ろすアプローチに小さくケイの姿が現れた。
いつもよりは幾分緩慢な足取りで遠ざかっていく。木立の影にはいってしまえば、もう、見えない。
ケイが振り返らないことをなぜか響生は確信していた。




――デパートに寄ってくから。

食べ終えたら帰ると、トーストをかじりながら唐突にケイが切り出した。

「送るなんていうなよ?〆切があるんだろ?」

そう先手を打たれては、苦笑するしかない。

会話が途切れたまま朝食は続き、やがてケイは一度寝室に姿を消してすぐにまた戻ってきた。
肩に荷物を引っ掛けて。

「じゃ、また来っから。……頑張れよ。原稿」

「……おまえに心配してもらう筋合いじゃない」

ドアを支えながら憮然として言い放つ響生に、それでもケイはにやりと笑うと、そのままエレベーターホールへと向っていった。 ひらひらと右手を上げて。

今朝方、取り替えてやったばかりの包帯が目に眩しかった。

せめて、あの包帯が取れるまでそばに置いておきたかったのだと、無意識に思いつめていた自分に気づく。
それぐらいの蜜月はもらえるものだと、そう思い込んでいた。あの、長い訣別の後で。

それをするりとケイはかわしてみせた。囲われる気配を敏感に察した人馴れしない猫のように。
いや、自らの立ち位置に帰っただけだ。馴れ合うことを潔しとせずに。

互いに許し許されたのだとしても、傷痕は厳然として残る。
それを遮二無二消そうと舐めあうような真似はしない。 必要以上に依存はしない――これからの新たな関係を築くために。
そう告げられた気がした。

そのための一歩をすでにケイは踏み出している。日常に戻ることで。



「呆けている場合じゃないな」

ほたるの水を替えてやると、響生もまた原稿に取り組むべく書斎にこもった。




話が再び転がりだした。

停まっていた描写が流れはじめる。人物たちがまるで水を得た魚のように響生の脳裡を自在に泳ぐ。
若い能楽師の心理が、その所作振舞いのひとつひとつが、血肉を伴って身の裡に息づいていた。
つい一週間前までは誰よりも遠かったケイ面差しを映して。

湧き上がるイメージに追い立てられるように滞っていた原稿を一気呵成に仕上げ送信を済ませたのは、日付も変わった明け方近くのことだった。

椅子の背もたれに体重を預けて、響生が深く息をつく。
目の奥が痺れるように痛んだが、思考はいまだ明瞭さを保っている。

これほど筆ののったのは久し振りだった。

――久し振りというよりは、あの時以来だな。

そう考えて、まるで他人事のように状況を比較している自分に少なからず驚いた。

『メデュウサ』に溺れた日々と、そこから始まった慙愧に満ちた悪夢のような年月は、今でも生々しく血を流し続けているはずなのに。

出血を止める薄皮のように、ケイの存在がその痛みを宥めている。

――おまえのイメージは誰の猿真似でもない俺だけのものだから。

苦痛に耐えながら、それでも微笑ったケイの貌が浮んだ。

そして自らを解放する時の煌めくような表情の変化も。
水面をよぎる光のようだと思った。
決して見飽きることのない麻薬にも似た別の生き物がそこに存在していた。
翅を持つものが殻を脱ぎ捨て全き姿になる瞬間に、確かに自分は立ち会ったのだ。

人ならぬ身の羽化を自分だけが独占する至福。目の眩むような歓喜。

この思いを突き詰めていったら、一矢報いる銀の鏃になり得るのだろうか?書けるのだろうか?俺にも?

――ケイ……。おまえは今なにをしている?

自分のねぐらで安らかな眠りについているのだろうか。
日常に戻って、人間という皮の下に再びその翅を隠して。




疲れてはいたが、どのみちこのまま眠る気分にはならなかった。
酒でも引っ掛けようとして、不意に、ほたるにも餌を与えていないのを思い出す。
そういえばドア越しの催促の声も気がつかなかった。諦めてしまったのだろうか?

慌てて様子を見に行こうして、リビングのドア越しに響生は信じられないものを見た。

ソファに人影が丸くなっている。
ほたるを抱いて、まるで二匹の黒猫が寄り添うように。

心臓が早鐘を打ち始めていた。
暫くは逢わないものと思っていたのだ。毅然としたあんな後ろ姿を見せ付けられては。

――どういうつもりなんだ?昨日の今日でまた舞い戻ってくるなんて。

テーブルの上には、カラになったビールの缶。
そして、食べかけのポテトチップスの袋。手土産のつもりだったのだろうか?

冷蔵庫を検めてみると、買った覚えのないビールのパックが収まっている。
封がちぎれて一本分だけ欠けていた。

どうやら、響生の来るのを待ちきれなくなったものらしい。

――声ぐらいかければいいものを。

そう思うそばで、ケイなりの気遣いに笑いがこみあげる。

――くたくただったろうに、どれぐらい待っていたんだ?ケイ?ベッドに行こうとは思わなかったのか?それとも、まだあそこは気を許せる場所じゃないか…。

ビールを手に足音を忍ばせて向かい側に陣取り、何度目かになるケイの寝顔を飽くことなく見つめながら、考える。

それでも、リビングまでは自分の領域だと認めたわけだ。この気難しい黒猫は。
このまま寝室に運んだら、またするりと逃げ出してしまうのだろうか?

逡巡しながらプルタブを押し上げる。

そのかすかな音にケイが身じろぎした。
顎まで埋まっていた綿毛布がずれて、首筋が覗く。
その肌がしっとりと汗ばんでいるのを響生は見逃さなかった。

――この陽気に蓑虫みたいにくるまっているからだ。いや、俺のそばでは身ひとつで眠るほど無防備にはなれないということか。

だが、自嘲めいた内心の呟きはすぐに意味を失った。

二度三度と瞬たいて黒曜の瞳が開く。
ぼんやりとしたその目線が響生の上で焦点を結んで、晴れやかにケイが笑ったのだ。
いるべき場所にいるべき人を見つけた。そんな安堵に満ちた表情で。

必要とされている。

ケイが見せた一瞬の笑みは、自分に向けられた千の言葉よりも雄弁な信頼だった。

声もかけられずに呆然としている間に、ケイは完全に覚醒してしまったらしい。
微笑は照れ臭げな仏頂面に取って代わった。

「……仕事中だと思ったから、勝手にあがっちまった。……ほたるが腹すかしてたようだから、えさはやっといた。……それは差し入れ。先に一本貰っちまったけど」

響生の手にある缶に素早く視線を走らせてケイが言う。
考え抜いていた台詞を一気にまくし立てるみたいに。

「ああ、助かった」

簡潔過ぎる響生の返答。

――おまえらしくない大根だ…。胸のうちでそんな風に評しながら。
それで?そのためだけに来たんじゃないだろう?

「……あんたに頼みがあってさ」

乗ってこない態度に焦れたのか、沈黙が続いた後で観念したようにケイが本音を呟いた。

「何だ?」

「……銭湯、つきあってくんない?あの、商店街のビデオ屋の向かいにあるとこ…」

「?」

あまりにも思いがけない台詞に一瞬耳を疑った。

「右手から、背中のあたりが、死ぬほど痒い。……背中流してもらえるとすごく助かるんだけど……」

「なんでわざわざあそこの銭湯なんだ?風呂ならここでもかまわないだろう?」

「だって、あんたんち、垢すりねーじゃん。あれでこすってもらいたいんだ。…なんか気持ちよさそうで」

上目遣いに響生をうかがう表情には言葉以上の含みはないようだった。

要領を得ないケイの話をまとめれば、ことの発端は、事務所での、聞くともなしに聞こえてきた衝立越しの女の子たちのよもやま話らしかった。 ランチに始まってダイエットに移り各種エステまで。

小坂井を待つ間、別段注意も払わなかったひそひそ声だが『韓国式の垢すり云々』の言葉が出るにいたってついつい真剣に聞き耳をたててしまったというのだ。
急に背中がムズムズしてきた気さえした。
片手の不自由な生活はもう三週間近くになるのだから。

響生がため息をついた。
呆れ顔になるのはこの際仕方がないかもしれない。

「要は三助をすればいいんだろう?垢すりぐらいそこのコンビニでいくらでも買ってやるから、今日はここで我慢しとけ。第一、この時間に銭湯なんて開いているわけないだろうが」

「……ここに来た時は充分営業時間だった」

「いったいいつからいたんだ?」

「六時……ゆうべの」

響生が頭を抱える。

「邪魔したくなかったんだ……」

「昨夜、いやもうおとといか……おまえの質問に俺はこう答えたはずだぞ?『俺の部屋で眠り、俺の隣で目覚め、メシを食い、転寝して、アゴでコキ使うとこまで』許してやると。
垢すりまでは想定外だったが、それでも充分許容範囲だ……先に湯に浸かっていろ。今、買ってくる」

有無を言わせぬ勢いで立ち上がって財布をねじ込む響生に、慌ててケイも立ち上がる。

「連城……」

頼りなげに呼ぶ声に振り返る。

本当に甘えていいのかどうか決めかねているような困惑しきった顔のケイに、珍しくも、響生は安心させるように笑いかけてやった。

「今更猫が一匹迷い込んできたところでどうということはないさ。……少なくともおまえはほたるみたいに風呂場で俺を引掻かないだろうしな」

「なっ!……なんだよっそれっ!俺は野良猫じゃねーぞ」

「似たようなもんだ」

そう、撫でたい時に逃げ出すくせに諦めた頃に擦り寄ってくる、意のままにならない優美な黒猫。

反論も出来かねてぶすくれているケイに、とどめのように響生が言った。

「これからは眠くなったらまっすぐに寝室に行け。猫は遠慮なんかしないもんだ」

ケイの返事は待たずにドアを閉めて外に出た。

こんな時間にとんでもない買い物をしにいく自分の姿が妙に可笑しくて、響生は笑いをかみ殺す。
このテンションの高さが果たして徹夜あけのせいなのか、迷い込んできたケイのためなのかを判じながら。




夏至を過ぎた暁闇の空はもうほのかに白みはじめていた。





今となっては笑うしかない原稿ですが(笑)
海さんのあのお話の、これのいったいどこが続き??と思いながらも、書いてて楽しかったことだけ覚えてます。
思えばれんじょの台詞に触発されたような気が…「俺の部屋で云々」発言(笑)
これを私なりに解釈してみたかったんです。締め切りいったいどうしたんだろ?というのも気になったし。
なによりも。
「翌朝待ち構えていた甘くも激しいコト」のシーンを具体的に説明してくれと迫ったのですが、
「れんじょ、原稿との兼ね合いもあるからね〜」と有耶無耶にされた気が・・・(苦笑)
これならどう?当日夜から翌日朝までまるまるフリーの時間を作ってあげたわよっっ!!みたいな・・・(おいおい)
というわけで、海さん!!私、諦めたわけじゃないですからね〜。しつこくお待ちしております。遊ばせてくださってありがとうございました。




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