4時にはバイトが終わるから… そう約束したのに、もう店の時計は4時を過ぎてる。 早くしなけりゃ…と、ロッカーに脱いだ仕事着をぶち込んだとたん、 忙しさに紛れて忘れかけた言葉が、不意に蘇った。
「今夜は帰さなくていいですから…
…って、美弥のやつ何を考えてんだ!
にっこり笑って、直江にペコリと頭を下げた美弥の顔と、 「何やってんだ仰木?おまえ急いでたんじゃ…」 「うわっ!すいませんッおっお先ッス」
挨拶もそこそこに、慌てて飛び出した背中を、 夏の陽はまだ高く、うだる暑さの中で、ひぐらしの声が響いていた。
「悪りい。待たせちまった!」 息を切らして駆け寄り、助手席に乗り込んだ高耶に、直江は笑って首を振った。 「私も着いたばかりですよ。走らせてすみません。暑かったでしょう?」
はい、どうぞ。
ごくごく飲み干すと、火照った体に潤いが染み渡る。 「なお…?」
面食らって退けようとした手を、もう一方の手で押さえ込み、 「熱は無いですね…でも頬が赤くて瞳が潤んでいる。」
額から手を離し、戸惑う瞳を見つめた。
驚いて退きかける体を封じ込める。 「んん…っ」 深くなる口づけに翻弄されながら、高耶が苦しそうに顔を逸らした。 ギュッと唇を閉じて拒みながら、高耶の胸は喘ぐように大きく上下している。 「ばかやろ…昼間っからこんな…ンなとこで何すん…だよッ!」 怒気を孕んでいながら、掠れて途切れがちになる声が、甘くて一層そそられる。 赤くなった耳元に、そっと唇を寄せた直江は、
「大丈夫ですよ。サンシェードをした車の中なんて、誰も見ない。 囁いて、柔らかな耳たぶを軽く咬んだ。
高耶がヒクリと息を詰める。 「…ッ直江!」 堪えきれず小さな悲鳴を上げた高耶に、直江はハッと体を起こした。 「すみません。あなたを泣かせてしまった…」
やるせない溜め息をついて、直江は高耶の頬に手をやると、
ボソッと高耶が呟いた。
「え?」 うろたえる直江を憮然と見上げ、
「これのどこが『優しくて紳士みたいな人』だ。 高耶は整わない息をごまかすように、一気に言い放って横を向いた。
「あなただから…ですよ。あなたの前では、紳士でなんかいられない。」 背中を向けてしまった高耶を、熱く見つめて呟いた。
明るく笑った直江に、 二人が乗った車は、シェードを外して、軽快に走り出した。
際限のなくなる自分が怖い。 そんな自分を、知られたくない。知りたくない。 本当はきっと、おまえよりずっと、俺は欲深い獣なんだ。 だから…
言葉の通り、その後の直江は紳士だった。
見に行った映画は、頭が弾けるようなアクション冒険巨編で、
これが誕生日のデートとは…ムードも何も、あったものじゃない。 そんな風に過ごしている内に、あっという間に日が沈み、車は直江の部屋へと向かっていた。
運転しながら気遣わしげに見ていた直江は、路肩に車を寄せると、高耶の瞳を覗き込んだ。
「高耶さん。もし気が進まないなら、どうぞ気にしないで言って下さい。 そう言って、ちょっと言葉を切った直江は、
「お願いですから、そんなに身構えないで下さい。 困った顔で微笑むと、返事を待たずに車を再び発進させた。
車は次の交差点を左に曲がり、暫く進んでまた左に曲がると、今度は右に曲がって進んでいく。 「直江! どうして…」 車は、高耶の家に向かっていた。 聞かなくても、理由は明白だった。 「違う。違うんだ、直江!」
嫌なんじゃない。
妙な緊張と不安と、それから変な期待みたいなものが、頭の中をぐるぐる廻って、
恥ずかしくて居たたまれない。
「なんでこうなっちまうんだよ! 俺は…嫌だなんて言ってねえだろ!」
マンションに着く頃には、高耶はすっかりいつもの自分を取り戻したようで、
そんな仕草が可愛くて、直江は自然とこぼれそうになる笑みを抑えるのに苦労しながら、
「さあ、どうぞ奥へ。」 「すげえ…壮観だな。家ン中なのに、花畑にいるみたいだ。」
目をみはって、嬉しそうに花を見回す高耶に、グラスを2つとシャンパンを手にした直江が、
テーブルの上には美味しそうなケーキとオードブル。 高耶の瞳に、なんともいえない複雑な色が浮かんだ。
「やりすぎだ、などと言わないで下さいね。あなたの誕生日を祝えるんです。 これでも控え目にしたのだと言う直江を見つめて、高耶は小さく肩を竦めて笑った。
直江がシャンパンの栓を抜く。
「おまえが飲めって言ったんだぞ。こんな美味いの出すから悪いんだ。」 「大体なぁ。俺は朝顔だけで充分だったんだ。それをこんな…」
抱えきれないほどの幸せを、俺はおまえに貰っている。
「貰ってばっかで、おまえに何もやれてない…」
両腕で高耶の体を抱きしめて、うなじに唇を押し当てる。
「あなたは本当に何もわかってない。俺のような男に、そんな言葉をくれるなんて…
低く囁きながら、ゆっくり舌の先を滑らせてゆく。
左に這い下りた直江の舌は、高耶の反応を確かめるように、敏感な首筋を舐めては軽く吸い上げる。 「付け…入る?」
おまえがそんな男なら、こんなことを許す俺じゃない。 「やって…みろよ。」
言った瞬間、直江の唇が動きを止めた。
だから、あなたは何もわかっていないと言うのだ。
あなたの為なら何でもする。
朝顔を育てながら、今日を思って、毎日が幸せだった。
全ては、あなたがくれたもの。
何も要らない。 …本当に心から、そう思っていたのに… 「どうしてあなたは…」
言葉に出来ず、直江は高耶を抱きしめて、荒々しく唇を重ねた。
後ろから抱き締められたまま、頭の芯が痺れるような口づけと、肌を這う直江の指に曝されて、高耶は苦しそうに身を捩った。 「感じるでしょう?…ここも…ほら、もうこんなになっている…」
ジーンズの中に右手を忍び込ませ、直江は高耶の耳に低く囁いた。
硬く張り詰めたものを緩やかに扱き、ツンと尖った小さな粒を指の腹で転がす。
ソファーから崩れ落ちそうな体を、抱き上げて寝室のベッドに運ぶ。
服を脱がせるのももどかしく、たくしあげたシャツを剥ぎ取って肌を合わせた。
グッと大きく広げられた脚の間を、直江の指が自在に動いて行き来する。 「指だけで蕩けそうだ…ねえ高耶さん、あなたも…イイって…言って…」
熱い声が耳を弄る。 「…んッ…はアッ…んん…」 2本に増やされた指で、たて続きに刺激され、高耶の脚が直江の背中に絡みつく。 「直…江っ…もう…」
指よりおまえを…
言葉より雄弁な眼差しと、体が心を伝えてくる。
あなたが欲しがってくれる以上に、俺はあなたを求めている… 熱い昂ぶりが押し当てられ、高耶は体を貫く痛みを堪えて、両手で直江を抱きしめた。
あなたも感じているだろうか?
届けたい。
痛みと快感の狭間で歪む顔、
無意識に直江を締め付け絡みつく高耶の内側が、そのまま心と繋がっている気がして、
明け方になって気を失ったようにベッドに沈んだ高耶は、不意に目を開けると、 「花びら…?」 いつの間に掴んだのか、手の中で揉み潰された赤い花びらが、優しい香りを放っている。 「これはね、薔薇の褥といって、特別な夜をお祝いするポピュラーな方法なんですよ。」 微笑んだ直江は、そう言って高耶の手を唇に押し当てた。 「いい匂いだ…。あなたの香りがする。」
深く息を吸って、シーツに散らばった花びらで、滑らかな肌を擽る直江に、
こんなことして、どれだけ今夜を楽しみにしてたんだ?…と突っ込みたくなる直江が、 抱きしめてくる腕の中で、高耶は笑って目を瞑った。 家では今頃、直江がくれた朝顔が、蕾を開きかけているだろう。 おまえの心を思わせる、優しくて深い青… 「一緒に見よう、直江。きっと…まだ咲いてる…」 眠りに落ちる間際、寝言のような呟きを、直江は優しいキスで吸い取った。 白みかけた空を、爽やかな風が吹き抜ける。 直江は眠る高耶の顔を見つめ、おやすみなさいと囁いた。 咲き始めたばかりの朝顔は、今日でなくとも、また見れる。
だから… そっと高耶を抱きしめたまま、やがて直江も心地良い眠りに落ちていった。
明るくなってゆく空の下、高耶に贈った朝顔と対で育てた朝顔が、
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