朝顔 (夜編)




4時にはバイトが終わるから…
そう約束したのに、もう店の時計は4時を過ぎてる。
早くしなけりゃ…と、ロッカーに脱いだ仕事着をぶち込んだとたん、
忙しさに紛れて忘れかけた言葉が、不意に蘇った。

「今夜は帰さなくていいですから…
 ふつつかな兄ですが、どうぞよろしくお願いします。」

…って、美弥のやつ何を考えてんだ!
…てか、むしろ何も考えずに言ったセリフだと思いたい。

にっこり笑って、直江にペコリと頭を下げた美弥の顔と、
頷いた直江の姿まで浮かんで、
高耶は思わずロッカーに突っ伏したくなった。

「何やってんだ仰木?おまえ急いでたんじゃ…」

「うわっ!すいませんッおっお先ッス」

挨拶もそこそこに、慌てて飛び出した背中を、
「ありゃデートだな。」
店長が笑って見送った。

夏の陽はまだ高く、うだる暑さの中で、ひぐらしの声が響いていた。



*************



待ち合わせの場所に走って行くと、止まっている直江の車が見えた。

「悪りい。待たせちまった!」

息を切らして駆け寄り、助手席に乗り込んだ高耶に、直江は笑って首を振った。

「私も着いたばかりですよ。走らせてすみません。暑かったでしょう?」

はい、どうぞ。
と差し出されたスポーツドリンクは、冷たくて容器の外側に浮き出した水滴が気持ちいい。

ごくごく飲み干すと、火照った体に潤いが染み渡る。
ホゥと息を吐いてシートにもたれた高耶の額を、直江の手がそっと覆った。

「なお…?」

面食らって退けようとした手を、もう一方の手で押さえ込み、
直江は運転席から身を乗り出して、間近で高耶を見つめた。

「熱は無いですね…でも頬が赤くて瞳が潤んでいる。」

額から手を離し、戸惑う瞳を見つめた。
煌めく星が宿る吸い込まれそうに美しい瞳が、直江を映して揺れている。
魅きつけられる感情のままに、強引に唇を重ねた。

驚いて退きかける体を封じ込める。
ただそれだけで、堪らないほど胸が高ぶった。

「んん…っ」

深くなる口づけに翻弄されながら、高耶が苦しそうに顔を逸らした。

ギュッと唇を閉じて拒みながら、高耶の胸は喘ぐように大きく上下している。

「ばかやろ…昼間っからこんな…ンなとこで何すん…だよッ!」

怒気を孕んでいながら、掠れて途切れがちになる声が、甘くて一層そそられる。

赤くなった耳元に、そっと唇を寄せた直江は、

「大丈夫ですよ。サンシェードをした車の中なんて、誰も見ない。
 ほら、この窓も外からは殆ど見えないのは、あなたも知っているでしょう?」

囁いて、柔らかな耳たぶを軽く咬んだ。

高耶がヒクリと息を詰める。
そのまま耳の後ろに舌を這わせ、緊張している首筋から鎖骨へと、ゆっくりキスを落としていく。

「…ッ直江!」

堪えきれず小さな悲鳴を上げた高耶に、直江はハッと体を起こした。

「すみません。あなたを泣かせてしまった…」

やるせない溜め息をついて、直江は高耶の頬に手をやると、
目尻に溜まった涙を親指の先でそっと拭った。

 
「…騙されてる。」

ボソッと高耶が呟いた。

「え?」
そんな…騙すなんて、そんなつもりは…

うろたえる直江を憮然と見上げ、

「これのどこが『優しくて紳士みたいな人』だ。
 美弥も、おまえの会社の女たちも、全然わかってねえ。騙されてる。」

高耶は整わない息をごまかすように、一気に言い放って横を向いた。

 
目を丸くした直江が、ふっと微笑んで、

「あなただから…ですよ。あなたの前では、紳士でなんかいられない。」

背中を向けてしまった高耶を、熱く見つめて呟いた。

 
「でも、もう少し我慢します。
 今なら映画も良いし、どこでもお望みのままに、お連れしますよ。」

明るく笑った直江に、
「紳士でな。」
すかさず高耶の声が飛ぶ。

二人が乗った車は、シェードを外して、軽快に走り出した。



本当は、いつだって求めてる。
おまえの唇を、手を、眼差しを…
だからこそ、流されたくないんだ。

際限のなくなる自分が怖い。
どこまでも欲しくなって、もっと先まで望んで…

そんな自分を、知られたくない。知りたくない。

本当はきっと、おまえよりずっと、俺は欲深い獣なんだ。

だから…

 

言葉の通り、その後の直江は紳士だった。
というか、不埒なことをする隙も無かったのだ。

見に行った映画は、頭が弾けるようなアクション冒険巨編で、
笑ってハラハラして喝采を贈って、
すっかりペコペコになった腹を満たしに行ったのが、
美味いと評判のラーメン屋。

これが誕生日のデートとは…ムードも何も、あったものじゃない。
けれど、それが高耶らしくて、そして楽しかった。

そんな風に過ごしている内に、あっという間に日が沈み、車は直江の部屋へと向かっていた。



*************



マンションに近づくにつれ、高耶は目に見えて無口になっていった。
行き先を告げた時には、わずかに瞳を揺らしたものの、コクンと頷いてくれた。
今も、帰りますか?と訪ねると、横に首を振って、行くとは言ってくれるのだが…

運転しながら気遣わしげに見ていた直江は、路肩に車を寄せると、高耶の瞳を覗き込んだ。

「高耶さん。もし気が進まないなら、どうぞ気にしないで言って下さい。
 ケーキもワインも、今日でなくても味わえる。
 でも、あなたの笑顔は、今日の分を明日というわけにはいきません。
 せっかくの誕生日を、曇った顔で終わらせたくない。だから…」

そう言って、ちょっと言葉を切った直江は、

「お願いですから、そんなに身構えないで下さい。
 美弥さんが、ああ言ってくれたのは、ただ私に時間を与えようとしてくれただけで、
 それにあなたが囚われる必要はないんです。」

困った顔で微笑むと、返事を待たずに車を再び発進させた。

車は次の交差点を左に曲がり、暫く進んでまた左に曲がると、今度は右に曲がって進んでいく。
方向が違うことに気付いて、高耶は思わず直江の腕を掴んだ。

「直江! どうして…」

車は、高耶の家に向かっていた。

聞かなくても、理由は明白だった。

「違う。違うんだ、直江!」

嫌なんじゃない。
おまえと一緒に過ごしたい。
でも、泊まるんだと思って行くのと、帰りたくなくて泊まるのとは、なんだか感じが違って…

妙な緊張と不安と、それから変な期待みたいなものが、頭の中をぐるぐる廻って、
おまえの顔がまともに見れなくて…

恥ずかしくて居たたまれない。
ただそれだけだったのに…

「なんでこうなっちまうんだよ! 俺は…嫌だなんて言ってねえだろ!」
力いっぱい叫んで、高耶は真っ赤になって横を向いた。
「高耶さん…!」
伸ばされた直江の手が、高耶の手を探し当てて、そっと重なる。
その指を、指先でキュッと握り返した。
ユーターンした車は、今度こそ一直線に直江のマンションを目指して、飛ぶように走り出した。

 

マンションに着く頃には、高耶はすっかりいつもの自分を取り戻したようで、
もう手を伸ばしても握り返してくれないばかりか、
「ちゃんとハンドル握ってろ。事故っても知らねえからな。」
と憎まれ口を叩いて、名残惜しげに見つめた視線を、ムッと睨んで跳ね返してくる。

そんな仕草が可愛くて、直江は自然とこぼれそうになる笑みを抑えるのに苦労しながら、
驚異的なスピードで駐車場に滑り込んだ。
車を降りてからも、高耶はジーンズのポケットに手を突っ込み、直江より少し遅れてついて来る。
部屋の鍵を開けて振り返った直江は、悪戯っぽい目で微笑んでドアノブに手を掛けると、
映画に出て来る執事のように、恭しく高耶を招き入れた。

「さあ、どうぞ奥へ。」
促されて玄関に足を踏み入れたとたん、目に飛び込んだのは、
色とりどりの花、花、花。
リビングに続く廊下にも小さな花が飾られて、
側を通り過ぎる高耶を歓迎するように、ふわりと花びらを揺らす。

「すげえ…壮観だな。家ン中なのに、花畑にいるみたいだ。」

目をみはって、嬉しそうに花を見回す高耶に、グラスを2つとシャンパンを手にした直江が、
「まずは乾杯しませんか?あなたの好きなドライアイスも有りますよ。」
にっこり微笑んで、軽くグラスを持ち上げる。

テーブルの上には美味しそうなケーキとオードブル。
ドライアイス用の、水と深めの器まで用意して…

高耶の瞳に、なんともいえない複雑な色が浮かんだ。

「やりすぎだ、などと言わないで下さいね。あなたの誕生日を祝えるんです。
 せめてこれくらいは、させてくれても良いでしょう?」

これでも控え目にしたのだと言う直江を見つめて、高耶は小さく肩を竦めて笑った。

直江がシャンパンの栓を抜く。
豊かな香りが広がった。

 

 
「おかわり」
突き出されたグラスを取り上げて、空のままテーブルに置いた直江は、
「もうダメですよ、高耶さん。」
と笑って肩を抱き寄せた。

「おまえが飲めって言ったんだぞ。こんな美味いの出すから悪いんだ。」
少しトロンとした瞳が、上目遣いに直江を睨んで、ふてくされたように下を向く。
被さった前髪を、そっと指で梳いてやると、高耶は直江の胸に半分だけ体を預けて、顔を上げずに呟いた。

「大体なぁ。俺は朝顔だけで充分だったんだ。それをこんな…」

抱えきれないほどの幸せを、俺はおまえに貰っている。
なのに俺は…

「貰ってばっかで、おまえに何もやれてない…」
囁きに満たないほどの声を聴きとって、直江は高耶の髪に顔を埋めた。

両腕で高耶の体を抱きしめて、うなじに唇を押し当てる。
高耶は少しピクッとしたものの、振り払おうとはしなかった。

「あなたは本当に何もわかってない。俺のような男に、そんな言葉をくれるなんて…
 付け入りますよ。」

低く囁きながら、ゆっくり舌の先を滑らせてゆく。
「ふ…んん…」
微かな吐息が甘く乱れて、高耶は小さく口を開いたまま、キュッと目を瞑った。

左に這い下りた直江の舌は、高耶の反応を確かめるように、敏感な首筋を舐めては軽く吸い上げる。
喉が渇いて堪らない。
高耶は薄く目を開けると、直江の顔を見つめた。

「付け…入る?」

おまえがそんな男なら、こんなことを許す俺じゃない。
わかっていて、それを言うのか?

「やって…みろよ。」

言った瞬間、直江の唇が動きを止めた。
高耶は乾いた唇を舐め、コクリと唾を呑み込んだ。

 
息をするのも忘れて、直江は魅入られたように、じっと高耶を見つめていた。
強烈な欲望が胸を焼く。
たぎる血の熱さに体が震えた。

だから、あなたは何もわかっていないと言うのだ。

あなたの為なら何でもする。
何を捧げても惜しくない。

朝顔を育てながら、今日を思って、毎日が幸せだった。
あなたの喜ぶ顔を思い浮かべて、あなたの笑顔が見たくて…

全ては、あなたがくれたもの。
貰ってばかりは、俺だ。

何も要らない。
あなたが喜んでくれるなら、それだけで俺は…

…本当に心から、そう思っていたのに…

「どうしてあなたは…」

言葉に出来ず、直江は高耶を抱きしめて、荒々しく唇を重ねた。
もう、優しいだけの夜では、終われそうになかった。

 

後ろから抱き締められたまま、頭の芯が痺れるような口づけと、肌を這う直江の指に曝されて、高耶は苦しそうに身を捩った。
直江の腕は、しっかりと高耶を抱いて逃がさない。

「感じるでしょう?…ここも…ほら、もうこんなになっている…」

ジーンズの中に右手を忍び込ませ、直江は高耶の耳に低く囁いた。
同時に左手の指で、敏感な胸の突起を軽く擦ると、高耶の体がビクンとしなった。

硬く張り詰めたものを緩やかに扱き、ツンと尖った小さな粒を指の腹で転がす。
「あァ…は…んン…」
堪えきれない喘ぎが甘い。
もっと聴きたい…もっと…

ソファーから崩れ落ちそうな体を、抱き上げて寝室のベッドに運ぶ。
ふわりとバラの香が漂った。

服を脱がせるのももどかしく、たくしあげたシャツを剥ぎ取って肌を合わせた。
容赦ない愛撫に、高耶の眦から涙が零れた。

グッと大きく広げられた脚の間を、直江の指が自在に動いて行き来する。
快感を追って、誘うように腰が上がるのがわかっても、もう自分で自分を止められなかった。
昂ぶったものをツウとなぞって、高耶の先走りで濡らした指を下へ滑らせた直江は、
首筋や胸から腹に口づけながら、ゆっくり中に挿し入れると、感嘆の息を吐いた。

「指だけで蕩けそうだ…ねえ高耶さん、あなたも…イイって…言って…」

熱い声が耳を弄る。
直江の指が、クッと曲がって一点を突いた瞬間、
「ああっ!」
抑える暇もなく喉から甘い声が上がった。

「…んッ…はアッ…んん…」

2本に増やされた指で、たて続きに刺激され、高耶の脚が直江の背中に絡みつく。

「直…江っ…もう…」

指よりおまえを…
欲しいんだ…おまえが…

言葉より雄弁な眼差しと、体が心を伝えてくる。
直江は全身で高耶に応えた。

あなたが欲しがってくれる以上に、俺はあなたを求めている…
あなたが欲しくて堪らない…

熱い昂ぶりが押し当てられ、高耶は体を貫く痛みを堪えて、両手で直江を抱きしめた。


軟らかな弾力。
動きにつれて絡まり蕩ける熱い感触。
包み込まれ、呑み込まれ、溶けあってゆく感覚に満たされながら、
狂暴なまでの快感を動きに変えて、直江は高耶の中で突き上げ抜き差し、
更なる悦楽を追い求めた。

あなたも感じているだろうか?
快感だけではない、この満たされてゆく幸福を…

届けたい。
感じて欲しい。
あなたに…

痛みと快感の狭間で歪む顔、
切れ切れに上がる甘い喘ぎ声、
全てが愛しくてたまらない。

無意識に直江を締め付け絡みつく高耶の内側が、そのまま心と繋がっている気がして、
どれほど欲情を解き放っても、また離れたくないと思ってしまう。

明け方になって気を失ったようにベッドに沈んだ高耶は、不意に目を開けると、
シーツを握り締めていた手を広げ、不思議そうな顔で見つめた。

「花びら…?」

いつの間に掴んだのか、手の中で揉み潰された赤い花びらが、優しい香りを放っている。

「これはね、薔薇の褥といって、特別な夜をお祝いするポピュラーな方法なんですよ。」

微笑んだ直江は、そう言って高耶の手を唇に押し当てた。

「いい匂いだ…。あなたの香りがする。」

深く息を吸って、シーツに散らばった花びらで、滑らかな肌を擽る直江に、
「も…ダメだっ…こらッ止めろよ…くすぐったいって…」
高耶は笑いながら身を竦めた。

こんなことして、どれだけ今夜を楽しみにしてたんだ?…と突っ込みたくなる直江が、
可笑しくて嬉しくてならない。

抱きしめてくる腕の中で、高耶は笑って目を瞑った。

家では今頃、直江がくれた朝顔が、蕾を開きかけているだろう。

おまえの心を思わせる、優しくて深い青…

「一緒に見よう、直江。きっと…まだ咲いてる…」

眠りに落ちる間際、寝言のような呟きを、直江は優しいキスで吸い取った。

白みかけた空を、爽やかな風が吹き抜ける。

直江は眠る高耶の顔を見つめ、おやすみなさいと囁いた。

咲き始めたばかりの朝顔は、今日でなくとも、また見れる。

だから…
今はまだ、この腕の中で…

そっと高耶を抱きしめたまま、やがて直江も心地良い眠りに落ちていった。

明るくなってゆく空の下、高耶に贈った朝顔と対で育てた朝顔が、
青く美しい花を開こうとしていた。



ー完ー





・・・こういうのを棚からぼた餅っていうんだよね(笑)
ひとりでオイシイとこをいいとこ取りした感のある管理人です
おふたりとも、本当にありがとうござました
またどうぞよろしくですm(__)m




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