Precious ―七夕―




6月の梅雨のある日、春枝が夕食の後片付けをしながらふと何をおもいついたか楽しそうに口元を微笑させて三男坊を呼んだ。
ちょうど食後のほうじお茶を飲み終えて自室に帰ろうとしていた義明は怪訝そうに食堂の出口で振り返った。

「なんです?おかあさん」

息子のほうには振り返らずにそのままお茶碗を洗いながら背中で尋ねる。

「義明、あなた、来月の7日は早く帰ってこれるかしら?」

「7日ですか・・・大丈夫ですよ。」

ちょっと目線を上に泳がせて考えるように言った。

「そう、よかったこと。」

「7日がどうかしたんですか?」

「ふふ・・・内緒よ」

もう用は済んだのかそのままお茶碗洗いに没頭した母を、可笑しな人だなと思いながら義明も廊下にでた。
後片付けを終わらせてから春枝は電話をかけた。

「・・・もしもし、橘でございます。こんばんは。・・・・いえ、こちらこそお世話になっています。今日はお願いがあって電話いたしました。来月の7日なんですが・・・」

楽しそうに笑みを浮かべて、春枝はあることを実行に移すためにまずは下準備にとりかかった。



月が替わって7月7日。
梅雨の晴れ間となったこの日、春枝はお隣さんの仰木家の一人息子の高耶が小学校から帰ってくるのを家の前で待っていた。
小学1年生の高耶は黄色い帽子を被ってまだまだ体よりも大きい感のあるランドセルを背負って帰って来る途中だった。
集団下校はしているものの、光厳寺の付近は他に家もなく当然高耶はひとりきりでとぼとぼと寂しい道を歩いていた。
俯き加減で少し怯えているようなのはここら辺が寺の近くで木々が鬱蒼と茂っていたり薮があったりして暗いからだろう。
橘家の玄関から高耶の姿を見つけた夫人は小走りに高耶を向かえに行った。

「高耶くん、おかえりなさい」

にっこりと微笑んで夫人は話し掛けた。

「あ・・ただいま、おばさん。」

それまで俯いて歩いていた高耶はパッと上を向いてちょっとはにかむように、でもきちんと挨拶を返す。

「今日はこのままおばさんの家に来てくれる?おとうさんにはちゃんとお話しているから大丈夫よ。」

「え・・いいの?」

「ええ、おやつがあるから一緒に食べましょ。」

最近は夕方まで橘家にお世話になることが多い高耶は安心して嬉しそうに頷いた。
高耶の父親は帰宅が遅い。母親は離婚して家を出ていた。
離婚時に父親の失業も重なって高耶は一旦施設へ預けられたが今は再就職して息子を引き取っている。
しかし寺と墓地がお隣さんで、小学校からも離れていて、近所に同じ年頃の子供もいないようなこんな人里離れたところで父親と二人きりで、しかも施設から帰ったばかりの高耶は寂しかったに違いない。
幼いときに母親と引き離された傷が子供独特の天真爛漫な感情を押さえさせていたのかもしれない。
最初はなかなか大家の春枝ともその息子・娘たちとも打ち解けなかった。父親とさえも他人行儀な線をひいていた。
義明も最初は声をかけられずに登校中にそっと後ろから様子を伺っていたくらいだ。
その様子を知っていた春枝はそんな高耶が健気でまた哀れに思った。
子供たちが手の掛からなくなったことに少し寂しさを感じていたこともあった。
だからなにかと家に呼んでは世話をしていた。
そのおかげか段々と子供らしい笑顔がでるようになったと春枝は思っていたが、 ほんとうにところは義明の存在が大きかったのだが。



自家製葛餅と麦茶で春枝とおやつを楽しんだ高耶は、その後宿題をやりだした。
そうこうしているうちに義明が帰ってきた。
さっそく玄関まで向かえに高耶が飛んでくる。

「おかえりー直江!」

高耶の天使のような微笑にむかえられて直江はにっこり微笑みかえした。

「高耶さん、たたいま。学校はどうでした?」

「うん、今日はお天気だったから運動場でサッカーしたよ。」

「それはよかったですね」

おしゃべりしながら居間へ向かうと春枝も声をかけた。

「おかえりなさい、義明。さっそくだけど、裏へ行って笹を取ってきてちょうだい」

「え?笹ですか?」

「そうよ、今日は七夕でしょ。高耶くんと七夕のお飾りをするの。さぁ、行ってきてちょうだい」

すると高耶もはしゃいで言った。普段は大人の話に入ってこないが、自分の名前がでたから安心して言えるとばかりに。

「そうかー今日は七夕だったーっ!オリヒメとヒコボシが年に一度逢える日なんだって」

直江はちょっと苦笑して高耶を見下ろした。

「よく知ってますね。どこで習ったの?」

「おとうさんと一緒に暮らす前にたくさんのお友達や先生といたとき、みんなで飾ったよ」

春枝が優しい顔で言った。

「今日はおばさんとこで一緒に飾りましょう。できたらお家に持って帰っておとうさんに見せましょうね」

「うん!」

直江も膝を追って高耶の目線になって微笑みながら言った。

「じゃ着替えてくるからちょっと待っててね」

「うん!」



それから5分もたたないうちに裏庭の林に直江は高耶を連れて入っていった。

「直江ー。竹を切ったらかぐや姫がいるってほんとかな?」

「さぁ、どうでしょうね。・・・ほら確かめてみますか?」

直江は自分よりも少し高いくらいの若い笹を根元からのこぎりで切った。
幼い期待に固唾を飲む高耶。
はたして、かぐや姫は・・・。

「いないねぇ、直江」

がっかりした高耶を励ますように直江は言った。

「ここにはいませんでしたね。もっと大きな竹ならいるかもしれませんが。今日はこれにしましょう。手伝って。」

高耶に根元のほうを持たせるとお手伝いできるのが得意そうだ。
ニコニコ顔で母屋の縁側へと運んだ。



春枝が色紙や短冊、コヨリ、のり、はさみなど、飾りに必要なものを縁側に持って出てきた。

「義明、そこの雨どいに笹を結わえてちょうだい。」

なんとかバランスをとって上の方が重たい笹を支えて立たせると、今度は高耶と飾りにとりかかった。
縁側のよく拭きこまれてピカピカした板の上に色とりどりの色紙が形を変えて並べられていく。
星型に金色や銀色の折り紙を切ったり、スイカや提灯を作ったり、わっかをどんどん鎖状に増やして長く繋げたり。
作った飾りに春枝がコヨリをのりで貼って笹の枝に結べるようにした。

「ほら高耶さん、飾りますよ。」

直江は上のほうに高耶は自分が背伸びして届くぎりぎりの最高に高いところにコヨリが付いた飾りを結んでいく。
きらきらきらきら・・・・
梅雨の晴れ間の夕方の風に吹かれて気持ちよく七夕飾りはなびいた。
いつのまにか春枝はいなくなっていた。台所仕事にもどったのだろう。
直江たちは、それから、短冊に願い事を書く作業に取り掛かった。

「高耶さんはなんてお願いするの?」

「え・・・?んんと、サッカーが上手になりたいっ・・・でしょ!それから・・・」

「たくさん書いていいですよ。」

「うん!」

「願いが叶うかもしれませんね。だって今日は晴れているから織姫と彦星もきっと逢えるでしょうから」

「よかったね、お星様たち、願いが叶って逢う事ができて」

「そうですね」

高耶は頬を紅潮させてなにやら一心不乱にマジックインクで短冊に幼い字で書いている。
そんな真剣な様子が面白くて可愛くて庇護欲を掻き立てられる直江だった。
直江はなんて書いたの?ふいに幼い顔に覗き込まれる。

「俺は・・・内緒ですよ。飾ったら見ていいですよ」

「わ〜ケチ。じゃ僕も内緒だよー。見ないで〜」

高耶はくるっと反対方向を向いて小さな背中で手元を隠しながら、秘密を持った楽しさにワクワクした顔で、ますます頬を紅潮させて短冊をどんどん書いている。
そんな無邪気な高耶の小さな肩を見ながら直江は思う。
俺の願いは唯一つ。あなたとずっと一緒にいることですよ。
このまま成長を見守っていつまでも一緒に過ごすことができたら。
そんな単純だけど、難しいお願いを七夕の星は叶えてくれるだろうか。



やがて短冊を残らず書き終えた高耶はまたくるっとこちらを振り向いた。

「できたよー!飾ろう。直江」

「はいはい」

高耶は自分が飾る分をみっつ残して、高いところに飾ってもらおうと後の全ての短冊を直江に手渡した。10枚ある。
そのすべてに
なおえ・・・・なおえ・・・なおえ・・・

「高耶さん・・・・・。これ・・・。」

驚いたような呆れたような声で直江が尋ねると、高耶は真っ赤になって俯いたままモゴモゴと小さな声で答えた。

「僕のお願いは"直江"なの。」

「え・・・?」

「直江がいつも優しい顔してたらいいな。直江がいつも楽しかったらいいな。直江がいつも美味しいもの食べられたらいいな。
そんでもって・・・直江といつも一緒に遊べたらいいなって。」

「た・・・高耶さん」

「そんなこと思ってたら全部"なおえ"になっちゃったの」

可愛さ、愛しさがこみ上げてきて、直江はちょっと泣きそうな顔でさらさらとした高耶の髪をそっと撫でた。
しかしこれでは高耶の父親に嫉妬されそうだと思った直江は最後に残った1枚の短冊を高耶に渡した。

「おとうさんにも書いてあげましょう。おとうさんのおかげで高耶さんと俺は友達になれたでしょ?」

父親が隣に越してきてくれて高耶を引き取ってくれたからこそ今の自分たちの関係がある。
児童放任スレスレだと日頃からあまり良い感情を持っていない直江だがこのことに関してだけは父親に感謝していた。
直江に父親のことも促されて高耶は素直に頷いた。

「あ、そうだね。えへへ。おとうさん、ごめんなさ〜い」

そしてさらさらと"おとうさん"と書いた。
高いところ、低いところと役割分担して飾っていたふたりだったが不意に高耶が直江に向かって両手を伸ばした。
抱っこしてくれというサインだ。
その柔らかい小さな体を抱き上げて上のほうへ高くあげてやるとくすくす笑って高耶は短冊をてっぺんの枝につけた。



笹の葉さ〜らさら〜♪と高耶と一緒に七夕の歌を高校生の直江も歌った。
久しぶりに童謡を歌うのは少し恥ずかしくもあり、幼いころ兄や姉と一緒に賑やかに七夕を飾ってはしゃいだ頃を思い出した。
高耶には一緒にはしゃぐ家族はいない。父親は放任している。
俺が一緒にいてあげる。ずっとずっと。
この寂しくて、でも自分からは気持ちを素直にだせなくて、小さな体に閉じ込めて呑み込んで我慢しているようなけなげな綺麗な魂を。
ずっとずっと見守って幸せにしてあげたいと思う。暮れ行く夏の綺麗な夕焼けを見上げながら七夕に誓った。
春枝が台所からお盆にのせて七夕の夕飯を運んできた。
そうめんに星の形に抜いた寒天やスイカを浮かべたものや、七夕っぽく星型に作った高耶の好きなハンバーグ。
楽しい時間を過ごしてお風呂まで入れてもらって高耶は満足して寝てしまった。
高耶の父親が向かえにきたのは8時頃だった。
父親が寝たままの高耶を背負って何度も礼を言って橘家を辞した。直江も笹をもって着いていった。
いつのまにか空には満点の星。天の川も今日はよく見える。



子供とは正直なものである。
おとうさんと書いた短冊があったので高耶の父親は喜んだが、息子のはあっても自分の名前がないと影でがっかりした春枝だった。






<こうれんさまへ>
先日いただいたPreciousの七夕編を書かせていただきましてありがとうございました。
ちいさな抱きしめたくなるような高耶くんを書くのはとても楽しかったです。
これからもどんどんこのシリーズを続けてくださいね。
こうれんさんの書かれる高耶くんと学ラン美少年直江は大好きなキャラクターです。
拙いですが謹んで献上いたします。
途中、こうれんさんのノベルに既にでていた高耶くんの生い立ちの説明がこのノベルでも重複したことをお許しください。

2005.6.22 月花草 拝






なんとなんとなんと!!!
上記コメントともに月花草さんからPreciosのお話を戴いてしまいました〜〜〜!!!
月花草さん、本当にどうもありがとうございました。
以前はお子さんの台詞に撃沈した私ですが、今回は高耶さんの「おかえりー直江!」にもうメロメロです!(笑)
なんて可愛いんでしょう。この高耶さんってばっっっ!
そして高耶さんを巡っての春枝さんと直江の微妙な力関係……(笑)
思わずにやりとさせてくださるあたり、さすがです。
拙い私の設定をよくぞここまで読み込んでくださいました。心から御礼申し上げます。

こうれん拝

お読みくださった感想等、どうかbbsまたは月花草さま宅へお寄せくださいませ。よろしくお願いいたします。








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