うみのゆめをみていた




大丈夫だ、と言い張っていたけど、やはりそれは嘘で。
嘘というより――そうでありたい、と思っていたのだろうけど。

無理やり車に押し込んで、あいつの後輩だという二人――明るい色の髪の目つきの悪い少年&小柄でしゃんとした感じの可愛い少女――に見送られて、学校を後にした。 校門を離れて少ししたところで、後部座席でバッグをずらした、と思った途端、あいつは横ざまに倒れた。

 綾子の家に運び込んで、奥の部屋に寝かせると、少し目を開けて、弟に知らせておいて、とだけつぶやき、また目を閉じた。
 気は進まなかったが、色々あってもう全てを知っているあの弟熊を巧く言いくるめることはできないだろうし――メールだけしておいた。

 そう時を置かずに、玄関の方で、じゃっと銀輪のきしみが聞こえて、広縁の方からぬっと柔道着姿の弘明が上がってきた。 オレの方は見もしないで、兄の顔を覗き込み呼びかけようとして――しぶしぶこっちを見た。
 くそう、顔の造作はほんとに似ている。しかし、この凶悪な冷たさは、橘義明には見られないものだ。
「どうなんだよ」
 こいつ、ほんとに兄貴以外の人間には……ってか、オレ、にか。
「いまんとこ微熱だ。夜にかけて上がるかどうかは微妙だな。風邪よりは過労だろう」
 そうか、とぼそりと言って、でかい弟熊はまた兄に目を戻した。
 にいちゃん、とささやいた声はひどく優しくて、ますますこいつの二重人格ぶりに圧倒される。
「……ヒロ……?」
 あいつが静かに返した。だが開いた目はぼんやりと宙を見る。
「…………また……うみ、の……」
 ゆめ、と息に溶ける声。閉じられた瞼。
 海の、夢?
「うん」
 と、身を引いた弟熊をじっと見据える。相手もこっちを見た。無言のビシバシ。弘明はむっつりとしたまま、正座へと座り直した。
「明日から東河大で小合宿なんだ」
 目つきがずんと悪くなる。似た顔でこれをやられるとキツいものがある。
「嫌だけど、頼んでくしかない」
 本当に嫌だけど、と念を押すな、この野郎!
「……父親は?」
 聞かなくても分かってはいたが。弘明の顔がもっと冷たくなって、オレはこいつの中では、まだましな位置にいるらしいと知るために問うたわけだ。
「あんたが後見人になったから、より一層、愛するお仕事に専念してる」
 目を伏せて唇を歪めるさまは十五には見えない。
「元々、俺の書類の類は、全部兄貴がやってたからな。別にいいよ。半年以上顔を見せてなくても困らない。金だけは潤沢だから、その点だけは評価できるよな」
 は、と広い肩をすくめる。
「……あいつの書類は……誰が書いてたんだ?」
 弘明は、ふわりと笑みの種類を替えた。
「兄ちゃんはすごく字がきれいだからな。逆に少し走らせて崩せば、十分通用する。ばあちゃんが逝っちゃってからは、それでやってきた」
 弘明は、んせ、と立ち上がった。
「中抜けしてきたんだ。終わったらまた寄る」
「別に来なくてもいいぞ。ちゃんと見てるからな」
 見下ろされるのにむかつくが、身長差は致し方ない。
「飯は家から持ってくるさ。ついでに兄ちゃんの着替えもな」
 ふん、と鼻を鳴らすそいつの目を捉え、詰問する。
「海の夢、ってのは?」
 弘明は、むう、と口を結んだが、まあ、いいか、とつぶやいた。
「時々見るんだって言ってた、昔から。いろんな海の夢を」
 いろんな……海。
「ぬるい潮溜まりに手をつっこんだり、暗くてどんよりした空と境目の分からないような冬の海に向き合ってたり。遠い砂浜をどこまでも歩いていたり」
 弘明は、苦く笑った。
「ひとり、で」
 心に。鈍い熱を帯びた焼きごてを押し当てられたような。
「にいちゃん、おれもいきたい、って、いつも言った。でも兄ちゃんは笑って『ひとりなのはしかたないんだ』って答える。ほかのことは、いつだって『そうだね』って言ってくれるのに、その時だけは言ってくれない」
 柔道着の弟熊は広縁から下りかけて、あ、と懐から小銭入れを取り出した。中からなにやら紙片をつまみ出す。
「綾子さんに渡そうと思ってたんだけど、あんたでもいいや」
 いちいち癇に障る言い方しかできねえのか、貴様は。
「合宿のこと、ころりと忘れて、予約してたんだ。ちゃんと受け取ってくれよな!」
 『5/3 六号 バースディケーキ ろうそくあり  栄光堂』
 すたんと自転車にまたがる、は、いいが……ボリショイサーカスの出し物だな、まるで。
 さあさあ、熊さんが自転車に乗るよ〜っ!
「ちゃんと18本、受け取れよーっ!!」

 むかつく気持ちをなだめて、枕際に座った。白っぽい顔、額の栗色の髪が、じんわりと湿っている。
 熱が上がらないといいが。
 そっと頬に指を滑らせた。
「なあ……」
 オレは連れていけよ、とつぶやく。
 おまえの中にあるいくつもの――淋しい海へ。

 来週こいつは十八才になる。


                                   了(‘11.5.7〜9)





お誕生日に間に合わなかったー。
昨年の「世界に満ちる全ての緑」の
直後の話です。
こうれんさんの海のお話と呼応している
ように思えて、慌てて打ち上げました。

(塚戸さんコメント)

やっぱりミラってシンクロ率高いよね。。。
読ませていただいてのけ反りました(笑)
塚戸さん、また今年もありがとうございました<(__)>

2011/5/10





BACK