早苗月生まれの君に



大陸では花は長く保(も)つ方がよいという考え方だそうです。
あちらでは不滅、不動、永遠が望まれることで、散って去っても、また時が廻れば会えるから、と見送ることを好しとするこちらとは違うのでしょうか。

風の形が見えるようですね、と笑いながら、おまえはそんなことを言ったんだ。

明るい陽の下で、宙を舞う桜の花びら。
見上げ、言葉をなくしたオレが振り向いたら、右手をゆっくり差し上げて、桜の流れをなぞるように動かして。

わらいながら。


あの時のおまえは――どんな姿だったのか。

今、ここに横たわり、眠っている少年とは似ていなかったはず。

豆球は昔ながらのオレンジ色の淡い光で、眠る彼を照らす。
大丈夫だから、と新学年から学校に戻ったけれど、やはり無理を重ねていたのだろう。
発熱は免れたようだが、一度起きてイオン飲料を少し飲んだだけで、また丸一日。

睫毛の影が濃い。
オレはそっと指先を伸ばして、やつの髪に触れた。
今度目を覚ましたら、風呂へ追いやって寝具を換えて。そんな物思いから戻ってくると、指のそばでぼんやりとこちらを見上げている瞳に出会う。
「ああ、わりぃ」
 不意打ちで、うまく笑えない。
「起こしたか」
 違う、とかすかに首が振られた。
「ゆめ、みてて」
 胸の奥できしむもの。
「海、のか?」
 え?と目が大きくなり、また小さなかぶり。
「祖母がね、笑ってました」
 そう言ってこいつも笑う。
「いつも、言ってた……。よっちゃんの生まれた日はすごくいい日なんだよ、って。すばらしいことが決まった日だよ、って」
 こいつとこいつの弟に、優しい言葉を降り注いだひと。
「もうこの国は戦争をしないんだよ」
 幸せな言葉。
「いつも誇らしそうに。早苗月のいい天候の多い頃にふさわしいよ、って」
 ふうっと。笑みが消えた。
 やつは天井へ目を向けた。
「でも俺は」
 声が低くなる。
「本当にそうだろうか、って――思ってた」
 オレはその翳りに隠れた目を追って、身を乗り出した。
「……繰り返される愚行から……本当に……。その輪から……抜け出せるのだろうか、と」

 声の響きが。

「信じたかった。その明るい自慢げな声を。でも」
 唇が重く動く。
「『俺』は」

 直江。呼ぼうとした。したけれど。
 早苗月――新緑の輝きの皐月に生まれた橘義明。

 おまえ、は。

 おまえ、は、なに、でありたい?

「……高耶さん?」
 不思議そうなまなざしがオレを見上げていた。
 うー、とやつが首を振って起き上がる。
「……た、たった……か、からだが」
 ぎしぎし言うー、とぶつぶつ言う声がいつになく子供っぽくて、オレは笑い出してしまった。
「まぁな、よっく寝てたから」
「え、今なんじ……ってか、え、ええと」
 オレが日付と時刻を告げると、目がまんまるになった。
「うそ!」
 オレは爆笑して、その栗色の髪を掻き回した。
「うわ、わっわ、やめてくださいよー!」
「うひゃ、汗くせえ!」
 ええ!?と慌てて、スエットの胸元を嗅いでみるやつの仕草にまた笑う。
「うーるさーいい!」
 がらっと背後の襖が開いて。
 これもぶかっとしたピンクのスエットスーツの綾子が入ってきた。
 オレの頭にどす、と左手を乗せて伸び上がり、ぱちぱちんと電灯を切り替える。
 うっわ。
 やつも、うわーと目を覆う。
「綾子さんー、昼光色に換えませんー?」
「あたしは白く輝く、が好きなんだね!」
「ってぇか、LEDにしねぇか?」
 目をしばたかせながら、もう一度やつの髪を撫でる。
「『憲法記念日』には元気になってろな」

  輝く琥珀の色の目。
その祖母は、誇るべき日に生まれた孫の瞳に、希望を見たのだ。

『もうこの国は戦争をしないんだよ』

「そうだな」
 オレは笑う。
「おまえは、すごくいい日に生まれたのさ」




                          了(‘12.5.2)





おお、すれすれだ。
大家さん、すみません(ぺこ)。
曾祖母がいつも私の誕生日を
誉めてくれてました。
いい日に生まれたね、おめでたい日だね、と。
重陽の節句の日ですが、
実は曽祖父と同じ誕生日でもありました。
どういう思いを込めた言葉だったのか。
そんなことも思い出しつつ。

(塚戸さんコメント)


また今年も他力本願
塚戸さん、どうもありがとうございました〜<(__)>
今日のこの日は晴れの特異日かと思ってたんだけど
今年は記憶にないくらい荒れますね〜〜。米沢祭り、大丈夫かしら??


2012/5/3





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