恋人だと正面きって言われれば、むきになって否定するのだが、こうやって泊り込みで直江の部屋に出入りしている以上直江の家族の解釈は半分は当たっているわけで、言い訳のしようがない。 なにより、直江とそう云う関係にある自分の存在を知られるのがたまらなく恥ずかしかった。 煩悶する高耶を尻目に、あくまで軽い調子で直江が続ける。 「家政婦が出入りすると思えばいい。あなたが気に病むことはないんですよ」
そういう問題ではないだろうと上目遣いに睨見つけるが、直江は意に介さない。 「まあとにかく。枯らす心配だけはしなくてすみます。それに姉が薔薇好きなのは本当ですから。頼んだ白の他にも色々置いていってくれました。おかげでベランダがこんなに手狭になってしまった…」 「じゃ、これ、みんな種類が違うのか…」
視線を薔薇の鉢に戻しながら、身体をひねってそっと両腕を突っ張る。
残念そうな直江の顔は見ないふりをして背を向け、しげしげと芽吹いた若葉を観察する。
真紅に近いワインレッド 「きれいでしょう?」 心のうちを読んだような問いかけに、ただ頷く。 「まだ柔らかくて弱々しいから、虫がつきやすいんです。それなのに繊細すぎて薬も使えない。結局、人の手に頼ることになる……。毎朝、薔薇の様子を見るのが日課になってしまいましたよ」
苦労話をしているようで、そのくせ、のろけているような甘い響だった。 「でも楽しそうじゃないか。面倒だなんて、ほんとは思ってないんだろ」 「それはね。これだけ手を掛けて気を配って……花をつけるのが楽しみです」 さらりと言った直江の言葉を背中越しに聞いていた高耶が突然振り返って指を突きつけた。 「なんか、今の台詞、すごくヤらしいぞ。……まるで源氏の若紫だ」 思いがけない反応に直江が目を見開いた。 「……よくご存知でしたね」
高耶の性格を考えれば、王朝文学の古典の世界をその口から聞くのはかなり意外だったのだ。 「オレ、このあいだ底の解釈あたったんだ。一緒に組んだのが森野で……ひでー目にあった」 嫌そうに高耶が言った。 「今やったら、幼児誘拐の立派な犯罪だぞ?それが、なんであの話だと許されるわけ?」 ばっさりと切り捨てる口調には容赦がない。 「私には…すこし解りますけどね」 たちまち三白眼で睨まれる。 「さっきも言ったでしょう?自分が手塩にかけた愛しい存在が日々成長していくのを見るのは…男にとっては嬉しくてちょっぴり切ないものなんです。…あなたにはまだ不可解な感情かもしれないけれど」 怪訝そうに眉を寄せる高耶の手を取って目の前の薔薇の芽を指し示す。 「こんなに小さなうちから身を守る棘はもっているでしょう?でも…」 不意につかまれた手が強引に枝に引き寄せられる。
「っ!」
指先に突き刺さるはずの痛みを覚悟して高耶はぎゅっと眼を瞑る。だが、いつまでたっても予期していた痛みはやってこなかった。 「……なんだ、これ。サギじゃないか」
拍子抜けした声で高耶が言う。
もう一度、今度は自分の意志で指先を伸ばしてみる。 半透明に透けながら、かっきりと鋭い鋭角をもつ棘はやはり硬質の硝子の質感を備えている。この鋭さが皮膚を突き破らないのが嘘のようだ。 「幼いのに精一杯の虚勢を張っている……完璧すぎて誰もが騙されてしまう。本当は…ほら、まだこの棘は何の役にも立たなくてこんなに他愛なく手折れるのに」
意味ありげに囁きながら、腕を伸ばし棘をむしりとろうとする。声にならない薔薇の悲鳴が聞えた気がして、慌てて高耶が制した。 「こんな様子をみせられたら…あんまりけなげすぎて守りたくなるでしょう?でもそれは純粋な騎士道精神なんかじゃない。他の誰も気づかない秘密を共有していることへの優越感…自分の独占欲を満足させるためなんです」 微笑みながら、その表情はどこか哀しい。 頷くことも反駁することも躊躇わせる何かを感じて、高耶は深い色を湛えた瞳で正面から直江を見つめる。 「…ほんのすこしの間だけです。私が全能の保護者気取りでいられるのは。この棘はすぐに充分な固さを持って、自分で自分の身を守るようになる。自分の大切な花をその外敵から……。だからこそ、私が必要とされるこの僅かな時間が、このうえなく大切なんですよ」 最後まで薔薇の話に終始して、直江は会話を切り上げた。
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