「そりゃ、夏といえば海でしょう」 と、照弘が断言する。 「そうよね、夏といったらスイカに花火に海水浴と昔から相場は決まってるわ。ちょうど夏休みにもはいるんだし。いいんじゃない?それで」 と、冴子も同意する。 「いや〜、それにしても七月中で幸いでしたね。もしも来月だったらさすがにこんなに悠長には構えてられませんから」 「ほんとそうよね」 「ふたりとも。いったい何の話なんです」 うんうんとツーカーで頷きあっていたふたりは、ここに至ってようやく話に割り込んできた弟を呆れたように見返した。 その察しの悪さを憐れむみたいに。 「バカね〜。高耶くんのお誕生日の話に決まってるじゃないの」 「それ以外になにがあるっていうんだ?」 当たり前のことのように言い切る姉兄に、頭を抱えたくなる思いがした。 姉も交えた久しぶりの家族団欒は、食事が終った後も延々と続いていて、所在なげに直江もそれに付き合っていたのだが。 ちょっとぼんやりしていた間に、いつのまにか、話題は高耶に移っていたらしい。 それにしても。 何故、高耶の誕生日について、こうも熱心にこのふたりが口出ししてくるのだろう? 「つくづくバカな子ね、そりゃあんたが前科持ちに決まってるからじゃないの」 不満顔の直江に冴子が諭せば、 「五月の騒ぎを忘れたか?どこかに連れ出すにしても付き添いがおまえひとりじゃ仰木さんだってうんとは言わんだろう。だから、俺たちも付き合うんじゃないか。 ありがたく思え、弟思いのこんないい兄ちゃんを持って」 そう、照弘がしめくくって。 冗談じゃない。高耶の誕生日には前々からの約束通りもう一度遊園地に行くつもりでいるのに。 このふたりがタッグを組んでしまったら、どうあっても自分に勝ち目はないではないか。縋る思いで母に視線を向ければ、その最後の頼みの綱である母は、にっこりと微笑んで、こう宣った。 「いいんじゃない?平日だからご本人は難しいでしょうけど。あとで仰木さんにお話してみるわ。私はお留守番しているから、 義明。お兄さんとお姉さんのいうことをよく聞いていってらっしゃい」 そういうわけで、来る七月二十三日、高耶七歳の誕生日には、長兄たちの引率で日帰り海水浴に繰り出す予定が、(橘家においては)決定したのだった。 「海なんて久しぶりね。わくわくしちゃうわ」 「俺もです。この歳になるとさすがに一人で行くのは気恥ずかしいんですがね。 時々、あの炎天下の砂浜で食べる焼きソバの味が無性に懐かしくなるんですよ。ろくに肉なんかはいってないのに。 なんで海の家で食べる焼きソバは旨いんでしょうね?不思議だなあ」 「それを言うならカキ氷もそうよ。削りが荒くて、蜜の色はどぎつくて。駅前の甘味処の宇治金時の方が繊細でずっと美味しいのに。 でも海で食べたいのはあの舌がピンクになっちゃうイチゴ味なのよね」 「思うにあの非日常の狂騒が味覚にも刷り込まれているんでしょうね。あのテの食べ物はまずうちじゃ出てこなかったし、あんな行儀でも食べられなかった」 「そうねえ、今なら、私たちってわりといいもの食べて育ったんだって解るわ。子供の頃はそりゃあ、地味なおかずだなあなんて思ってたけど」 和気藹々、ふたりだけの世界に浸っている。元々、歳子であるこの姉と兄はとて仲がいいし、話の土台となる思い出にほとんどタイムラグがない。直江にはとても手を出せない領域である。 そんなふたりの思い出話に、ひょいと春枝が口を挟んだ。 「あらあら、そんなに母さんの作るゴハンが不満だった?」 「とんでもない!」 悪戯っぽく問い掛けられて、とたんにふたりは口を揃えてぶんぶんと首を振る。 「あの頃、きっちり躾られたおかげで、何処で接待しても恥かかなくて済みますし。箸遣いで人柄まで見込まれて商談まとまることもあるんですから。 お母さんには足を向けては寝られません」 「そうそう。でもだからこそハメを外した海水浴が楽しかったわけで。まああたしたちが楽しかったコトを高耶くんにも分けて上げられたらいいなあ…と。 そういうわけで、義明、あんたも頑張って高耶くんと遊んでね。浮き輪とイルカとビーチボール、用意しておくから」 ……いつのまにか、お鉢が回ってきてしまった。 なにやら付き添いの動機には不純なものを感じないでもないけれど。 でも、確かに。 夏の海での一日が大人になっても忘れられない思い出になるぐらい、高耶が楽しんでくれればいい。それでこそのお祝いというものだ。 高耶の笑顔を思い浮かべて、直江は姉の言葉に素直に頷いたのだった。 当日。 雲ひとつない青空はまるで誕生日を寿ぐような絶好の海水浴日和で。 主役である高耶はもちろんのこと、付き添いの三人にも最高に楽しい一日になった。 午前中いっぱいをまるまる海中と波打ち際で過ごした高耶は、お昼には大人顔負けの旺盛な食欲をみせた。 葦簾張りの日除けの下、ゴザ敷きの板の間に水着のままあがりこんで、折りたたみの簡易テーブルに並んだ焼きソバやトウモロコシやフランクフルトをぱくぱくと食べていく。 「ごちそうさまでした。あ〜、美味しかった!」 締めくくりにとやってきたカキ氷を最後のひとしずくまで飲干してそう言いながらも、 高耶はすぐにもの問いたげに直江を見上げる。 その仕草に煽られたように慌しく直江が席を立って、ふたりは、一分一秒を惜しむようにまた海へと戻っていった。 「……結局、あまり食事には意味はなかったかしらね」 再び水と戯れだす二人の姿を遠目に眺めながら、冴子が言った。 「あの子の記憶に残るのは、ああやって義明と遊んだこと。だけなんでしょうね。きれいに平らげてはくれたけど、きっと味なんて覚えてませんよ」 空になった皿を見渡して、照弘が返す。 「まあ、それも考えりゃ当然だわ。なにしろ運命の相手なんだもの。焼きソバやカキ氷に負けちゃったらそっちの方が悲惨よね」 「違いない」 そう言って、取り残された付き添いの付き添いは、くすくすと笑いあう。 「さて。あたしたちはもう少しゆっくりしてましょ。 照弘、あんた、ビール飲まない?帰りの運転は代わってあげるから、へべれけにならない程度になら頼んでもかまわないわよ?」 つい、そんな温情をかけたのを後悔したのは数時間後。 くたくたに遊び疲れた後部座席の二人と、ほろ酔い加減の助手席の一人と。 それぞれに気持ちよさそうに眠りこけている男連中を乗せて、冴子は内心悪態を吐きつつ、一人黙然とハンドルを握って帰路についたのだった。 (受験が済んだら、速攻、免許取ってもらうから。来年の運転手はあんたよ。義明。おぼえてなさいっ!) |