きらきらと輝くような赤だった。 「いいなあ」 揺らめく光に見惚れるうちについぽろりと本音が零れて、高耶ははっと口を噤む。 おそるおそる窺うと、案の定、直江は、困ったように微笑んでいた。 「あなたは、まだ、ダメですよ」 「うん……」 それは、解ってるんだけど。でも、そう言う直江だって、この思いの本当の意味を解ってはいない。 二年最後の授業が終った日、直江が連れ出してくれたレストラン。 そのディナーの席で、直江に供されたワインの色がとても綺麗だったから。 つい、食い入るように見つめてしまった。 返ってきたのは、柔らかな拒絶。 もしもこれが料理やデザートの皿だったら、こちらがねだるより先に一口分けてくれるのに。 アルコールだけは、そうはいかない。 高耶は自分の皿に視線を落として、肉を切り分けることに専念するふりをする。 直江だって、しまったと思ったのに違いない。 グラスワインは店側の厚意で添えられたもの、彼の意思ではないのだから。 そして、直江は家でも外でも自分の前ではほとんど酒や煙草を口にしない。 お父さんからあなたを預かっているんですから。よけいな誘惑からあなたの身を遠ざけるのは当然の配慮でしょう? そう、こともなげに笑うけれど。 今時、ほんとの親や先生だってそんなに厳格には接しない。 直江に気遣われ大切に守られているのは、心地のいいことだけど。 自分がまだ子どもだということを否応なく自覚させられ目の前が暗くなる思いがするのも、こんな時だ。 直江は十一も年上の大人でその差はどうやっても縮まらない現実を突きつけられた気がして。 でも、その子どもにだってプライドはある。黙り込んだままではせっかくの食事の楽しさを台無しにしかねないという分別も。 だからもう一度顔をあげると、心配そうに見つめてくる直江に向ってにっこりと笑って見せた。 「このお肉、美味しいね!」 その言葉は嘘ではなくて、ステーキも、サラダもかりっとしたパンも、本当に美味しかったから。 言霊に宿る真実が、束の間テーブルに漂った気まずさを溶かしていく。 メインの料理を食べ終えて一息置いてから運ばれてきたデザートプレートも、うっとりするほど綺麗だった。 さっきの埋め合わせをするみたいに直江は自分のケーキを半分以上も分けてくれて、高耶も遠慮はせずにそれをもらった。 これでワインの一件はチャラになる、そんな想いと一緒に。 実際のところ、極上の、しかもたっぷりとボリュームのあるスイーツは、一口食べるごとに、にんまり笑み崩れずにはいられないほど美味しくて。 少々細波はたったけれど、結局、この夜の高耶は、身も心も満ち足りた気分で家路に着いたのだった。 そして数日後。 明日の朝には父親のもとへ高耶が赴くという日の昼下がり。 出先から戻った直江が、にこにこと手渡してくれたお土産は紅茶の缶。 促されてその場で封を切ってみて、息を呑んだ。 あたりを満たした香気は、予想を見事に裏切った芳醇なワインの香。 茶葉に見え隠れする金色のアラザンがまるで宝玉のようだった。 「直江…」 ため息のように名を呼んだ。その彼は、悪戯っ子のように微笑んでいる。 「本物はまだダメだけど、これなら一緒に楽しめるかと思って。今淹れてきましょうね」 「いい。オレがするから!」 そのままキッチンへと駆け込んだ。 どうしよう。どうしよう。どうしよう。 別にワインが飲みたかったわけじゃない。 本当に欲しかったのは、 直江に好きだと伝えられるほんの少しの勇気。 そして、たとえ直江が困り顔になったとしても、その告白を冗談にしてしまえる言い訳。 あのきらきらしていたワインは、一口飲めば、そのどちらをも叶えてくれそうな魔法のアイテムのようで。 だから、あんな言葉が口をついた。 こ狡い考えだったと思う。あやうくあの夜の雰囲気を重苦しいものにするところだった。 それなのに。 直江は些細な自分の一言をずっと気にかけていてくれた。 ドキドキする。アワアワする。気恥ずかしいし、後ろめたい。 でも、それ以上に。 自分を包んでくれる直江の気持ちが、叫びだしたいほど、嬉しい。 一人百面相をしながら、お湯が沸くのを待つこと暫し。 何度も何度も深呼吸をしてようやく気を鎮めた高耶がリビングに戻ったのは、ポットと一緒にお盆に載せた三分計の砂が丁度落ちきった、そんな頃合だった。 白磁のカップに注ぎ分けられたお茶は、ワインの香りがいっそう鮮やかに華開くようだった。 「この匂いだけで酔っ払いそう……」 「……ですね」 甘酸っぱいようでいて渋さもほどよく残っている、そんなワインの味を連想させる香気に、思わず二人同じ感想を漏らして、苦笑する。 午後の陽射しの差し込む部屋には、薫る湯気とともに笑いの波紋もひろがるよう。 ほわほわと、心まで凪いでくる。 両手にくるんだカップの中では、茶漉しをすり抜けた細かなアラザンの箔がやっぱりきらきらと輝いていた。 「すっごい綺麗……」 しばらく見入っていた高耶が、そっと口元に運んでいく。 こくり、と、喉が動いて、そのあとに続くのは拍子抜けしたような声。 「味は普通だ。でもなんか……すこし、甘くね?」 高耶の仕草を見守っていた直江も、同意を求められて、彼に倣うように一口。 「本当だ。きっとアラザンの砂糖が溶け出したせいでしょうね」 「そっかあ……」 きつすぎるほどの香りの印象を、あるかなしかのこの甘さが和らげているのだ。 ちいさな金の粒々は、見掛けの華やかさだけでなく、きちんと役目を持っている。 砂糖を入れてしまえばそれで終わってしまう、泡のような儚さだけど。 そこに気づくかどうかは相手次第。アラザンのせいじゃない。 ああ、そうか。 不意に目の前が開けた気がして高耶が微笑んだ。 構える必要なんてない。考えすぎずに素直に口にすればいい。しあわせすぎる今の気持ちと直江への思いとを。 後のことは直江に任せて。 勇気をもらうようにきらきらごと紅茶を飲干して。視線を上げて凝と直江を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。 「ありがと、直江。……大好き」 高耶の言葉に、瞬間、驚いたような直江の顔に満面の笑みが浮んだ。 「私もですよ。……喜んでもらえてよかった」 残念。やっぱり通じなかったか。 でも、まあ、いいや。この魔法みたいなひとときを、自分もじっくり楽しみたい。 直江と二人の午後の紅茶。綺麗な琥珀の色と、酔いそうなほどに薫る芳香。柔らかな光。穏やかな時間を。 だって、ほら、勝手に頬が緩んでくる。 そして、とっておきの笑顔とともに会話は続く。 「うん……。お代わり、する?」 |