Prcious ―雪灯り―





雪が降り始めたのは土曜日の未明だった。
朝起き出せば一面の雪。しかも学校はお休みだ。
出勤する父を見送った後、いつものように高耶は直江の家にやってきた。
「こんにちは!」
挨拶までが弾むよう。大人だけのこの家に彼は元気を持ってくる。
「外、まだ雪が降ってるよ。いっぱい積もりそうだね!」
わくわくした声でそう言ってコートや帽子の雪をぱたぱたと払う。雪で遊ぶのが楽しみで仕方ないのだ。 きっとその小さな頭の中にはソリ滑りやかまくらや雪合戦の計画がぎっちり詰まっているに違いない。
あいにく受験を控えた身としては彼の希望にまるごと沿えるほど時間の取れないのが残念だけど―――彼にはなんと説明しようか。
想い惑っているうちに、高耶はさっさとコートを脱いで高らかに宣言する。
「まずはドリルと宿題やっちゃうね!」
これは一本取られた。
直江は今、ジュケンでとっても大変だから勉強の邪魔しちゃいけない。 誰に言われたわけでなく高耶はそんな雰囲気を察しているらしい。大人顔負けの気遣いを感じさせるその言葉が嬉しくもあり寂しくもあり、 直江は複雑な笑みを浮かべて茶の間に向かう彼に続いた。

そうして炬燵に潜り込み、互いの問題集に専心すること暫し。
切りのいいところまで進み、はっと眼を上げて高耶を見れば、彼はとうに自分の勉強を終え、それでも静かに本を読んでいた。
直江の雰囲気が和らいだことを感じたのだろう、にこっと笑って本を閉じる。
「雪、どうなったかな?」
炬燵から這い出して窓の障子を細く開けるのに付き合って外を窺う。
まだ頻りに降っている。朝よりも少し嵩を増した感のある庭木のわた帽子に、腰を上げた。
「まだまだ熄む様子はないけれど……、気晴らしに少し庭に出ましょうか。一度雪掃きしたほうがよさそうだし」
遊びじゃなくてお手伝い。だから全然邪魔じゃない。
そんなニュアンスをこめた誘いに、
「うん!雪掃きすることおばちゃんに言ってくるね」
高耶は子犬みたいにして暖かな茶の間を飛び出していった。


さくさくさく。ぱさぱさぱさ。
降り頻る雪が防水の布地にあたるかすかな音と、雪を払う箒の音。そして目深に被ったフードに篭る自分の息遣い。
あたり一面白と灰色に塗りこめられて、世界にたった一人になったみたいな透徹した感覚。
この感じを嫌いではない。
何処へ行くのか何を為すべきなのか。
目の前に在る雪を無心に掃いていく作業は、内なる声を聴くことに似ている気がする。
紛れもなく見慣れた自宅の敷地内にいるというのにそれはひどく現実離れした瞬間で、どうかするとぐらりと大地が揺れ自分の立ち位置さえあやふやになる。
眩暈にもにた幻想を振り払おうと、顔を上げ腰を伸ばした。振り返れば確かに自分の成果である黒々と土の覗く人幅ほどの小道と、後ろで遊ぶ高耶の姿。
掃き寄せられた分も利用して、彼は幾つも雪だるまを拵えている最中だった。
思わず笑みが零れた。
自分の在る理由が、間違いなく、ここにひとつ。急いで門口までを済ませてしまって、高耶の元へと歩み寄った。

「この雪、固まりにくくって。なかなかおっきくならないんだ」
水分の少ないさらさらの雪は軽くて掃く分にはとても具合がよかったけれど、遊ぶには不向きらしい。 なかなか納得いくものができないのだろう、何度も何度もやり直して、結果、少しいびつなだるまが道なりに幾つも並ぶ仕儀になっている。
「でも、可愛いですよ。雪だるまが行進してるみたい。お伽の国みたいです」
予想外の感想に、高耶はえっ?!とばかりに雪だるまたちを見渡した。
きっと、完成度に熱中するあまり全体像は眼に入っていなかったのだろう。改めて直江の言葉通りなのを確かめて、照れくさそうに振り返る。
「ほんとだ。まとめてみると面白いかも」
「ね?これで顔や腕をはやしてあげたらもっと楽しいですよ?」

そうしてふたりは春枝にそろそろ家にお入んなさいと声を掛けられるまで、 ああでもないこうでもないと雪だるまのひとつひとつに個性をつけることに熱中していた。


午からは直江が勉強する間、高耶は春枝相手に茶の間で過ごした。そうして雪が熄むのを見澄まして裏手の丘でそり遊びを少々。 それから遅いおやつを相伴すれば、もう夕暮れがすぐそこまで迫っていた。
楽しかった、じゃあまたね、と帰る高耶を送っていく。彼の手には小さな紙袋が握られていてかさかさ音を立てている。 別れ際、春枝が高耶に渡したものだ。気になって訊いてみた。
「高耶さん、それはなあに?」
「あのね、おばちゃんが本堂の短くなった蝋燭くれたの。かまくらみたいに雪洞作って灯りを入れるととっても綺麗だからおうちの前で試してみてねって。 でも火をつけるのは直江かお父さんにしてもらいなさいって言うんだけど……」
語尾を濁してこちらを窺う顔に苦笑する。
雪の反射もあり日脚も伸びたこともあって、日は落ちていても外はまだほの明るい。もうちょっとだけなら雪遊びに付き合っても平気だろう。母公認でもあることだし。
「いいですよ。じゃ、高耶さんの家の前に作っちゃいましょう」
そう返事をすると高耶は本当に嬉しそうに頷いた。

半日留守にして積もったままの家の前の雪を寄せると、すぐに十分な量になった。
気温も少し上向いたのだろう、雪質も先程よりはよほど扱いやすくなっていて、 高耶とふたり流れ作業で雪を固め中をくり抜いてたちまち数個のかまくらが出来上がった。
「じゃ、点けますよ」
「ん」
期待に満ちた眼差しに見守られながら、雪室に据えた蝋燭に次々と火を灯す。
「うわあ!」
思わずもれる感嘆の声。
次第に濃くなる夕闇の中、雪洞全体が淡く発光しているよう。 微風にも揺れるか細い炎は、意外なほどの明るさで雪の壁に照り映え暖かなオレンジ色の光をあたりに放つ。
美しくて厳粛で、幻想的な眺めだった。

「……高耶?」
ふたりで灯りに見惚れていると、後ろに人の気配がした。
「あ、お父さん。お帰りなさい!」
高耶が飛び上がるようにして父親の腕にしがみつく。その仰木も視線は雪洞の灯に釘付けだ。
「これね、今直江とふたりで作ったんだよ。おばちゃんに蝋燭もらって。とっても綺麗でしょ?お父さんも見せられてよかった!」
得意げに告げる息子の言葉にうんうんと頷いてその頭を撫でながら仰木はまだ呆然と灯りを見つめている。魂を抜かれたように。
やがてゆっくりと直江に向き直った彼は、こころなしか涙ぐんでもいるようだった。
「……いつも高耶によくしてくれてありがとう。本当に何ていったら言ったらいいか……」
「いえ……」
そのまま声を詰まらせる仰木に、直江も曖昧に頭を振って言葉を濁す。
彼の心中はいやでも解ってしまったから。
綺麗だからお父さんにも見せたいと、一途に慕う気持ちをこんなに真っ直ぐぶつけられて心揺さぶられない人間なんて、いない。
高耶がくれたこの光景は、きっと、この先どんな闇が訪れたしても彼の心を照らす灯明になるのだろう。
あの時の自分のように。

まだ呆然と夢見ごこちでいる彼に、言葉少なに辞去を述べて踵を返した。
「バイバイ。またね!」
そう無邪気に手を振る高耶と、夢のように美しい暖かな灯に見送られて。





思いついた雪洞のネタを、結局プレシャスの高耶さんで
雪が降ったら直江、絶対敷地中の雪を集めてかまくらとか滑り台とか根性で作るよねっ!
そして翌日筋肉痛になったりするんだよねっ♪ と、以前某さんと盛り上がったことがあるんですが。
本当に形にできてよかったよかった(^^)





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