「……つくづくもったいないこと、したよねえ……」 傍らに座る相手の、すとんとまった真っ平らな胸元を撫で下げんばかりに眺めながら、黒髪の青年がため息をついた。 「なんだよ、それ?」 剣呑な表情で、少年が青年を見上げる。 「今のセリフ、ルーファじゃなかったら、ただじゃおかないところだぞ?」 「そう?」 面白そうに青年は微笑い、悪戯っ子のまなざしで少年を見遣る。 「じゃ、たとえば好色そうな中年親父だったら?」 「殴り倒して蹴り飛ばす」 断固としたその返事が可笑しくて、思わず吹き出した。 「まだ指一本触れていないのに?思わせぶりな一言だけでそうなるのかい?ひどいなあ」 「実害が出てからじゃ遅いんだ。とにかく、張り倒してぶっとばして身の危険を回避する」 「君にダメージ与えられるほどの剛者はそうそういないと思うけど?」 「野郎のアタマん中で妄想の種にされてるって考えただけで鳥肌がたつ。理由はそれで充分だ」 とぼけた調子の会話を大真面目に続ける二人の傍で、突然革袋を踏んだような奇妙な音がした。 見れば、寝そべっていた黒豹が腹を上にして笑い転げている。小刻みに揺れる尻尾が床に当たってぴたぴたと乾いたリズミカルな音を刻んだ。 「漫才をしてたつもりはないんだけど…ねえ?」 「同感だ」 憮然として顔を見合わせる二人に、ようやく息を整えた黒豹が、苦しげに人語を絞りだした。 「おまえらふたりは、ただ揃っているだけでお笑い芸人だ。何処にいってもメシが食えるぜ」 「他所のメシなら食ってきた。六年もな」 様々な感慨を込めて、ため息まじりに少年が言う。 「でも、居心地は最高だったでしょ?あの王様のそばだもの」 「なんだよ?ルーファは平気だったのか?」 意地悪く訊ねるリィに応えたのは黒豹のほうだった。 「平気なわけあるか。俺たちがこいつをあやすのにどれだけ苦労したと思ってるんだ」 おおげさに鼻面をしかめながら力説するその傍らで、のほほんと本人が付け加える。 「もちろん平気ではなかったよ。でも、もういいんだ。こうしてまたエディといられるんだから。そうすると……やっぱりもったいなかったな…と思うのさ」 「なんだよ。また振り出しに戻ったぞ」 「だって。十三から十九までの六年間だよ?女の子が一番華やかに美しく成長する時期じゃないか。それを間近に見られなかったのはつくづく惜しいなあと、言いたかったんだよ。また十三からやり直すといっても、もうエディは男の子に戻っちゃったわけだし」 ひょいと青年の手が伸びて少年の素直に伸びた黄金色の髪を一房、その指に絡め取る。 「……この髪がくるくる巻いて波打つところ、見たかったな。白いドレス姿も」 「見たじゃないか。再会したとき、おれは花嫁衣裳を着ていたはずだ」 「かなり薄汚れてたよ。だから、あれはなし」 「それから、まんまとウォルに騙まし討ちにされて茶番の囮をやったときも花嫁もどきの衣装だった」 「女言葉だったしね。あれは確かにきれいだったな。でも、笑いを堪えるのに必死で正直よく観賞してなかったんだ」 「怒るぞ」 「エディはエディだから。もちろんどんな姿をしていたってかまわないんだけど。やっぱり、最高にきれいな君を見られなかったってのは、少し、悔しいかな」 あくまで本気のルウの言葉にリィが脱力する。 「頼むから、そういうセリフは恋人のために取っておけよ」 「そいつは違うぞ。ルウ」 一人と一頭の言葉が重なった。 えっ?!という顔で振り向く二人に、デモンがわけ知り顔に髭をうごめかす。 「女性が一番きれいになるのは恋をした時だ。幾ら年頃で別嬪になったとしても、リィはその王様に惚れて結婚したわけじゃないんだろ?だったら……」 青年の顔がぱっと輝いたのと、リィが血相を変えて豹に飛び掛っていったのはほとんど同時だった。 「なんだよっ!」 鋭い刃のようなその攻撃を紙一重で躱したデモンが毛を逆立てながら唸る。 「気色の悪いこと言うんじゃない!なんでおれが男に惚れなくちゃならないんだっ!」 「だから、そうじゃなくてよかったなって言ってんだろ?こら!落ち着け!リィ!」 「問答無用!」 どたばたと足音と怒声が遠ざかっていく。 話を振った張本人が、やれやれとため息をつく。 「……まったく、こどもなんだから」 取り残されてぽつんと呟くルウの顔には、このうえなくしあわせそうな笑みが浮んでいた。 |