どうにもいけ好かない、軽薄な印象をふりまく色男のヤサオトコ。 これが、千秋に対する高耶の第一印象だった。 なにしろ初めて顔を合わせるなり、眼鏡の奥の瞳を細め、ひゅうと口笛を吹いて、彼はこう言ったのだ。 「へえ?これが噂の仔猫ちゃんか?なるほどかなりの上玉だ」 いきなりの初対面、相手は戸口を半分跨いだところで歩みを止めていて、気配を察して振り向いた自分とは、まだきちんと向き合ってさえもいない。 ひょっとしてこれはケンカを売られているのだろうか?と、高耶の眉間にたてじわがよったのは、むしろ自然な反応だろう。 ところが。 視線の先にいるこの無礼な若造は、そんな高耶を見てさらににやりと口角を吊り上げた。 「おまけにかなり気性もきつそうだ。こりゃ確かにおまえ好みのかわいこちゃんだな。綾子?」 そう言って振り返るより先に、邪魔なオトコを押し退けるようにして綾子が教室に入ってきた。 「待たせちゃってごめんね、景虎。それと紹介しておくわ。コレ(と傍らのオトコを指差して)は千秋修平。今回の喫茶でウエイターをしてくれるの。 んで、こんなんでも、一応、ここの先生だから。いろいろ役には立つと思うわ。ということで、よろしくね」 嘘だろ?こんなのが先生? 高耶の内心の驚きが正直に伝わってしまったらしい。 その千秋センセイは、わざとらしさがみえみえの、傷ついた表情をつくった。 「あ、今、信じられないって顔したね?このオコサマは。でも残念でした。正真正銘、俺はここの教師なの。三年三組副担。 社会全般を教えちゃいるが専門は政治経済だ。……まだ中二じゃ政経までは習わんか。ま、助けが必要になったらいつでもこの千秋サマを頼ってきなさい。 コスプレ仲間の誼だ。きっちり面倒見てやるから」 そう言って、どんと片手で胸を叩く。 「………」 そのコスプレを強要する上級生がいたり、こんなノリの軽い先生がいたり。 自分の学校選びは間違っていたかもしれないと、少しばかり世をはかなんでしまった、高耶だった。 タメ口なのも道理、千秋と綾子が遠い親戚同士だと知ったのは、そのすぐ後だ。 「まあ、ガキの頃からの知り合いには違いないけどな。まだ親戚ってわけじゃないぜ?おまえが無事に慎太郎と結婚できなきゃ俺らは永久に他人のままだ」 「五月蝿いわねっ!絶対してみせるわよっ!」 「へーへー、せいぜい頑張んな。ま、仲を進展させようにも、あいつが日本にいないんじゃ手の打ちようがないけどな」 「それが余計なお世話だってのよ。でも、とりあえずはこの喫茶を成功させるためにもこうして協力を頼んだんだから。あんたもしっかり稼いでよね」 「まったく。その態度の何処が『お願い』なんだ?もうちっと可愛く頼めんもんかね?」 「いまさら地の知れてるあんたに可愛く振舞ってもしょーがないでしょ。第一、そうしたらそうしたで逆に気味悪がるくせに」 繰り広げられる丁丁発止のやり取りを、ただ唖然として聞いている。 そんな高耶に気づいた千秋が、にやりと笑ってこちらに話を振ってきた。 「『景虎』って猫の話はもう聞いたか?昔々な、川を流されてたその仔猫を腰まで水に浸か って助けたのが俺の従兄弟の慎太郎で、それ以来、慎太郎は、こいつの白馬の王子様なんだ。 麗しすぎて涙がでるほどの純愛物語だよな」 「昔々って、いったい…?」 思わずそう突っ込んでしまった高耶に、千秋の視線が綾子へ動く。 「そうさな。あれはもう何年前になる?」 確認する千秋に、平然として綾子が答えた。 「十三年よ。あたしが五つの時だから」 「―――っ!」 絶句してしまった高耶を尻目に、千秋はさらに楽しそうに思い出話を語りつづける。 「俺たちのじーさんと綾子のじーさんとは古いつき合いでな。その日は、たまたまこいつもくっついて遊びにきてたんだよ。 門脇のじーさん、きっと孫娘を見せびらかしたかったんだろうな。髪にリボンを結んでエナメルの靴をはいて、 よそゆきのドレスを着てた綾子はそりゃまあお人形みたいに可愛かったからな。今じゃ見る影もないが」 失礼ね。今だって可愛いわよっ!と、すかさず飛んでくる肘鉄を巧みにブロックしながら、千秋は高耶を見つめ、な?と目線だけで同意を求める。 解る。どちらの言い分も。 思わず深く頷いてしまった高耶だった。 もちろん今の綾子は誰しも認める美人なのだが、どっこい見た目を裏切る雄々しい性格だ。 千秋の言いたいのは、外見通りに中味もおとなしやかだった、その頃の美少女ぶりなのだろう。 「ただな。幾ら可愛くたって俺たちは別にお人形遊びする趣味はなかったんでな。ちやほやもてなすおふくろに相手を任せてさっさと遊びに出たんだよ」 ところがだ。と、さらに千秋の話は続く。 野球から帰ってきてみれば、その綾子の姿が見えないと、家中が大騒ぎになっていた。どうやら、『大きいお兄ちゃんたち』の後を追いかけて外へと出てしまったらしい。 大人に追い立てられるように修平と慎太郎はもう一度近所をぐるりと探しまわり、そして見つけたのだ。裏の川辺で泣いている綾子を。 ピカピカだった靴もドレスも見るも無惨な有り様で、でも小さな彼女が気に掛けていたのは自分の身なりではなく、箱に入ったまま中洲に引っ掛かっている仔猫のことだった。 結局。 ふたりは大人に助けを求めることなく川に入って仔猫を無事に救い上げ(もちろん後で親からこっぴどく叱られた)、小さな綾子の尊敬と愛情を勝ち取ったのだ。 「ほんとに、あの時の慎太郎さんってカッコ良かったんだから。最初おうちで挨拶した時はおっかない人だと思ってたのよ。 それが、無愛想はそのまま、黙って猫を助けてくれるんだもの。こんな優しい人はいないって、そう思ったわ。大きくなったら絶対この人のお嫁さんにしてもらおうって」 当時の心境を思い出したのか、うっとりと綾子が言う。すかさず脇の千秋が茶々をいれる。 「ヒーローは慎太郎だけか?俺だって、ずぶ濡れになって協力したんだけどな?」 「だってあんたは最後まで及び腰だったじゃない」 「的確な状況判断といってくれ。慎太郎が猪突猛進タイプなら俺は沈思黙考型なんだ」 あいかわらず漫才にしか聞こえない会話だが、ふいに高耶はあることに気づく。言葉と裏腹、綾子を見る千秋の眼差しに。 どこまでも優しいその色は、他ならぬ自分の保護者が高耶を見つめるのと、同じ色だ。 口ほど悪いヤツじゃないのかも、と、高耶は認識を新たにする。 むしろ、その性格を熟知してるからこその綾子の容赦ない突っ込みがあるのだろうし。 ならば、自分も。 どうせ学祭が終るまでは一蓮托生の身。ヘタな遠慮はこの際無用というものだろう。 そんなわけで。 秀麗な容貌、洒脱な雰囲気で女生徒に絶大な人気を誇る千秋先生にタメ口を利く小生意気な生徒がもう一人、この日、誕生したのだった。 そして、今。 人払いをしたその同じ教室の真ん中に三人の男女がいる。 身体のラインにぴったりと添うブルーグレーのシャンタンで仕立てた民族衣装を纏った女性と、しなやかな長身の小粋なギャルソン姿の若い男性。 そして愛らしいドレスを身につけながら、壮絶に不機嫌な仏頂面のメイドがひとり。 今日は衣装あわせの日なのだ。 自分の衣装については予めきいていたものの、この日初めて同僚となる千秋の扮装をみて、怒り心頭に発した高耶である。 「ずるいずるい、ねーさんの嘘つき!」 と、アオザイ姿の綾子にくってかかる。 「オレには黒と白が似合うっていったくせに。白黒なら、千秋も一緒じゃん?なんでオレだけスカート穿いたメイドなんだよ!同じ色ならオレもこっちの格好がいい!」 十も年下の中学生にびしりと指を突きつけられて、やれやれとった調子で千秋が天を仰いだ。 困ったように笑うのは綾子も同様で、怒り狂うこの少年をどうやってなだめようかと、考えあぐねている。 そんなふたりを交互にねめつけて、やがて高耶は切れた息を整えようと口を噤む。 その口から再び罵声を聞くまえに、千秋が機制を制した。 「そりゃな、景虎。おまえにとっちゃ確かに不服かもしれないが、綾子の配置は俺も適材適所だと思うぞ」 「なんだよ。その適材適所って。いつもいつもいがみ合うくせに、こんな時だけ二人結託してねーさんの肩もって。千秋もずるい!」 ぎろりと睨みあげる黒眸はきらきらと輝いていて、怒りのためかうっすらと紅潮した肌からは若さが匂い立つようで。 柳眉を逆立てたこの仔猫はいつも以上に魅惑的で、キャスティングの確かさを証明しているのだが、いかんせん、その自覚が本人にだけない。 千秋はため息をついて、説得を放棄した。 「いいか。よく聞け。このバカネコ。ノーマルな嗜好の女性陣は俺様が引き受ける。同じくノーマルな野郎どもの眼を綾子が惹きつける。 だがな、世の中にはそれだけじゃ括れない隠れた需要ってもんがあって、収益向上のカギはその潜在需要の掘り起こし如何に掛かっている。 ついでにいうと客の固い財布の紐を緩めるためのインパクトもだ。メイドのおまえはいわば全方向型の秘密兵器。究極の人寄せパンダってわけだ。 ん?わかったか?解ったな。解ったら観念して四の五の言わずに接客しやがれっ!」 さすがは教師というべきか、迫力満点、立て板に水の弁舌を聞かされて、高耶はぐぐっと返事に詰まった。 恨めしげに見上げるその眼差しに、今度は千秋が苦笑を漏らして表情をやわらげる。 「まだ自分の魅力に気づいてないのかな?高耶クンは。じゃ、ひとつ先生がアドバイスをしてあげよう。 誰でもいい、おまえが確実に本音の感想を聞きだせると思う相手に、そのカッコ見せてみ?そいつの反応がなによりの答えだ。かまわないよな?」 最後の台詞は綾子に向けられたものだった。 「衣装持ち出しは原則禁止なんだけど…まあ、仕方ないわね。当日までに戻してくれればそれでいいわ。でもくれぐれも内密に。あんたの扮装は重要機密なんだから」 笑いをかみ殺しながら、綾子も千秋に同意してしまって。 結局、なし崩しにメイド服一式を持ち帰るハメになった高耶であった。 思いつめた表情で、覚悟をきめた高耶が直江の部屋のドアをノックしたのは、それからさらに一週間後。 学園祭前夜のことである。 |