Precious きぼうを生むもの― 



夏が終わって秋が過ぎて―――やがて季節は晩秋から初冬に向かう。
夜半の氷雨と、暖かな小春日和と、吹き荒れる木枯らしと。そんな天気が交互に巡って、 少しずつ寒さが厳しさを増してきた十二月のとある朝、 いつものように直江の前に現れた高耶は、真新しい冬靴を履いていた。
履き口からのぞくふわふわのボアがいかにも暖かそうな、鮮やかなミントグリーンに白と黄色をあしらったブーツ。
「ステキなブーツですね」
目敏く気づいて声をかける直江に、高耶は少し困ったように目を伏せる。
「お父さんが買ってくれたの。でも、女の子みたいな色でしょ?ヘンじゃないかな?」
パステルカラーの可愛らしい色合いが、高耶にはちょっぴり気恥ずかしいらしい。 心配そうに訊いてくるから、直江はどんと太鼓判を押してやる。
「平気ですよ。女の子でも男の子でもはけるデザインだから。それに、高耶さんにとても似合ってるから大丈夫」
「そう、かな?」
大好きな人に誉められてようやく安堵したのだろう、高耶も嬉しそうに笑った。
「足がね、すごくあったかいんだよ。ふかふかしてて気持ちいいの」
「これで安心して氷を割ったり出来ますね」
「うん!」
冷え込む朝は、水溜りにはる薄氷をぱりぱり踏んで割るのが、ここ最近の高耶の楽しみなのだ。
勢いあまって凍りきれていない中の水を跳ね返すことも多かったから、 高耶の新しいブーツは直江にとっても幸いだった。 分厚いソールと防水性のある靴ならもう、つま先を濡らしやしないかとヤキモキしなくてすむからだ。

人気のない朝の道を、今日も高耶は白い息を吐きながら、次々とめぼしい氷を制覇していく。
元気な仔犬が飛び跳ねるようなそんな様子を、直江は、にこにこ見守りながら、ただ黙って後をついていった。



クリスマスを控えて街なみはとても華やいだものになっていた。
開店前の店が連なる通りでさえ、揃いの赤や緑や金色のモールで軒や街燈が彩られ、歩道に樅の木の鉢植えがはみ出していたりする。

「そういえば八百源のおじさんが言ってたんだけど」
商店街がみえてきて、思い出したように高耶が言った。
「もうすぐイルミネーション始まるから、よかったら見においでって」
「ああ、そうですね」
毎年この時期の商店街の催しを直江も思い出す。
葉の落ちた街路樹にコードを巻きつけ、たくさんの小さな電球を灯すこのイベントは、ささやかな規模ながら、なかなかの評判らしい。
遠出をするわけでなし、暗くなってから高耶を連れ出すこともこの程度なら許してもらえるかもしれない。
「今度観にきましょうか?お休みの前の日なら、少しくらい夜更かししても平気でしょう?」
「うん!」
元気良く高耶が頷いた。
「じゃ、それまで風邪引かないようにしないとね」
「大丈夫。ちゃんとうがいと手洗いするから……直江、なんかおばさんみたいだ」
口やかましかったかと苦笑する直江に、高耶は約束だよと指切りをして、それからふたりはそれぞれの学校へ、左右に通りを折れていったのだった。



それから数日が過ぎた、夜歩きの当日。
その日は朝からどんよりと曇っていた。

「この調子だと雪になるかもしれないわね…」
春枝が心配そうに呟くのに、直江は中止を申し渡されるかと一瞬ひやりとする。
こと高耶に関しては実の子以上に心配性になる母なのだ。
が、しばらくなにかを逡巡していたような春枝は、座敷から包みを手にして茶の間に戻って来た。
「冴子からあなたたちへのクリスマスプレゼントにって言付かったものなの。少し早いけど、こんなお天気だし。しておいきなさいな」
そう言われて渡された紙袋の中身は手編みのマフラーだった。
「今年は高耶くんとお揃いですって。あの子のにはオプションで帽子と手袋もついているのよ」
可笑しそうにいわれて、直江はなんともいえず微苦笑を浮かべる。

多忙なくせに多趣味な姉は、編物も能くする。
毎シーズン律儀に編んでくれるのはいいのだが、一目で手編みと知れるそのマフラーは、新しくなるたびに学校内で要らぬ詮索の種となり直江を辟易させるのだ。
もっとも、冴子にしてみればその騒ぎ込みで贈ることを楽しんでいる節があるのだから、始末に負えない。 末の弟はいつまでたっても彼女のオモチャなのである。

いささか屈折した感慨を抱く直江とは違い、高耶は、この思いがけないプレゼントに大喜びだった。
「あったかいね」
嬉々としてマフラーを巻き、帽子を被り、手袋をはめる。
足元は例のブーツだし、上に着込んでいるのはフード付のダッフルコートだ。
そんな完全装備の高耶を見た春枝は安心したようににっこり笑い、楽しんでらっしゃいと気持ちよくふたりを送り出してくれた。



果たして、いくらも歩かぬうちにちらちらと白いものが舞い降りてきた。
「寒くないですか?」
「うん。平気!……雪、積もるといいね」
立ち止まり、空を見上げ、掌に落ちてくる雪のひとひらを受け止めながら、高耶が言う。
「雪だるまが作れるぐらい?」
「うん。それと、かまくらもっ!」
そんな話をしながら、ゆっくりと歩く。
地面に着くやいなや、雪片はたちまちに溶けてしまって、なかなか高耶の希望通りにはなりそうもなかったけれど。
夕闇に降る雪は、天から届けられる最後の光の贈り物のように見えた。



闇を透かして木々の梢に宿る、ちいさな金色の光。
おりからの雪に滲むように輝き、無数に重なって煌めくそれは、どこまでも無限に続く天の川のようだった。

「きれいだね……」
それきり高耶は言葉を失う。
降りかかる雪も気にならないように上ばかり向いて歩く高耶の顔には魅入られたように至福の笑みが浮んでいて、 そんな彼を見ているだけで直江も幸福に包まれる。
そして、おぼつかげな足どりを庇うように、ゆっくりと手を引いてやりながら、見物人でごった返す光の廻廊を進んだのだった。

夢見ごこちのまま駅まで歩き、折り返して戻る途中で喫茶店に入った。
熱いココアで温まった頃には、もう、かなりの時間が経っていた。

「そろそろ帰りましょうか」
「……うん」
後ろ髪引かれるようにして、窓際の席を立つ。
夢の国へ誘うような、そんな輝きが徐々に遠ざかるのを、店を出た後も、高耶は何度も名残惜しそうに振り返っていた。


寡黙なまま、交叉する幾つかの角を折れて、いよいよ家までの一本道に差し掛かったとき、
「うわあ!」
突然拓けた目の前の光景に、息を飲んだ。

降り続いていた雪が、人通りの絶えた道にうっすらと降り積もっている。
街燈に反射してほの白く浮かびあがる、どこまでも白く伸びる道。通い慣れたいつもの道が、このときばかりは別物に見えた。
高耶も先ほどの光の余韻を引きずっているのだろう、ごくりと唾を飲む気配が伝わる。

「……高耶さんのお願い、届きましたね」
「うん。すごいや」

そう言ってそろりと踏み出す始めの一歩。 わたのような感触を楽しむように踏みしめる。
すぐにその歩みは大胆になって、ずんずんと歩き出す。
次々とまっさらな雪に残される高耶の足跡。
見るともなしに眺めていて、不意に直江は気がついた。
「高耶さんのブーツ、星がついている」
「え!?」
慌てて高耶も足元を見下ろした。薄く積もった雪の上にくっきりと残った靴裏の滑り留めの模様の一部が、確かに星の形をしていた。

「……全然気がつかなかった」
あらためて自分のブーツを見ながら高耶が呟いた。
「お父さん、本当にステキな靴選んでくれましたね」
「うん」
たぶん、偶然には違いないのだろうけど。それにしてもこの季節、なんて彼に似つかわしい偶然だろう。

「高耶さんが歩くたび、星を播いていくんですね」
「えへへへ」
得意げに高耶は微笑み、またぺたぺたと歩き始める。
そのたびに生まれるたくさんの星々。
「……さっきのイルミネーションよりすごいかもしれない」
この星は光を生まないけれど。けれど、いつも高耶の歩みとともに在る。

「ね。早く帰ろ。おとうさんにこのこと教えてあげなくちゃ。それと、おばさんにも」
今度は高耶が直江の手を引かんばかりにして、早足になる。
素直に手を取られながらも、直江はもう一度後ろを振り返った。


街燈の明かりの下、たった今、自分たちのつけた、ふたすじの足跡が見える。
おおきいのと、ちいさいのと。
連綿と、まるで命を繋ぐ証のように。
これからもこうして命の鎖を紡いでいくのだと思うと、不覚にも涙が零れそうになった。

これから続く未来。
その未来にも、高耶は自分と一緒に歩いていてくれるだろうか。
彼は他人に希望を与える存在もの。自分の在る無しに係わらずきっと光のように生きていく。
だけど自分は―――

今この瞬間の高耶に寄り添うことの喜びと、同時によぎる不安。

急に動かなくなった直江を、高耶が不思議そうに見上げてくる。
「……なおえ?どうかした?」
「……なんでも、ないです」
無理やりに取り繕った笑みは、たぶん泣き出しそうに歪んでいたかもしれない。
そんな直江を小首を傾げて高耶はみつめ、やがて握る手にぎゅっと力を込める。

大丈夫。僕がついてるから。そんな思いが伝わるほどに。

こみあげてくるものを呑み込んで、直江は深く息を吐いた。
「帰りましょう…」
「うん」

もう高耶は仔犬のようには駆け出さない。
手を繋いだまま、気遣うように歩調をあわせてくれようとする。

高耶の一歩一歩が大地に印す星。
それは天が彼に与えた祝福の象徴。希望の徴。
それが、今、自分たちの後ろに続いている。 やがては、積もる雪に消えてしまうのだとしても。

今日のこの夜を、きっと一生、忘れない。











星のブーツとイルミネーションと手編みのマフラーと……。冬らしい、そんな話(笑)
エピソードの配置で唸るのはいつものことなんですが。
マフラーの思い出も喫茶店での様子も全部削って、今回は、とりあえず星メインで。
時期的に12月半ばなんじゃないかと思います。
で、肝心のクリスマスは……すみません。パスです。たぶん、皆さんの心に浮ぶ情景の方が
ヘタレ管理人書くより直高らしいクリスマスなのではないかと…(脱兎)








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