冬のおと
曇天の暗い空から、光の筋が降ってくる。
わずかな螺旋を描きくるくる回りながらすとんすとんとおちてくる、白い小さなかたまり。
雨というには柔らかく、雪というには直線に過ぎる残像を残すそれは、たぶん、雪になりそこなった小さな氷のかけらなのだろう。大気は重く湿っていて、さらにはしんしんと冷え始めてもいて、確かにいつ何時雪が降ってもおかしくはない空模様だけど。
いったいどんな偶然が重なったものやら、成長する前にせっかちに雲の揺籃から飛び出したこの雪の子どもは、それでも無事に大地にたどり着き、弾みでころころと転がって、すうと消える。
地面に淡いしみを残して。
大きく育った雪片が淑女のようにひらひらと舞い降り、やがて世界を白く染めあげるまで。
どこか滑稽な、それでいて物悲しい幕間劇にも似た外の風景を、高耶は飽くことなく眺めていた。
床暖房のフローリングはぬくぬくと暖かくて、寝そべるにはとても具合がいい。
硝子一枚隔てただけでこんなに違う内と外とを同時に身の裡に感じながら、不思議な気分に浸っている。
かさり。
音ともいえない幽かな気配に振り返れば、囲炉裏の炭が静かに爆ぜるところだった。綿帽子のように被さった灰が崩れて、燈赤色に輝く炭が顔を覗かせている。
自在鉤に下げられた鉄瓶の口からわずかに湯気が洩れている。
しゅんしゅんと、急かすように賑やかな音をたててお湯が沸き立つのももうすぐだ。
そうしたら、きっと熱いほうじ茶にありつける。
枕代わりのクッションは手放さず、高耶はずるずると窓際から部屋中央、囲炉裏の傍へと移動する。
大掛かりに改装しなくても内部に火鉢を置くだけで囲炉裏になるというこのどっしりとした木枠は、何処からか男が求めてきたものだ。空調完備のこの家には必要もなかったろうに。
そのときの自分はきっと憮然とした顔をしていたのだろう。
冬の間は目に見える形で火があるのもいいものですよと、そういいながら、熱々の焼きマシュマロやポップコーンを作ってくれるものだから、ついそちらに気を取られて、反駁する機会を逸してしまった。
内心炎というものを畏れている自分に、男はさりげなく教えてくれようとしたのだ。
よく管理され手を加えられた炎は、とても暖かくて安全で存外に便利でもあることを。
食べ物で釣るあたりが、手の内を読まれているようで少しばかり悔しいけれど。
その男は、高耶の反対側、囲炉裏の向こうでなにやら木切れを削っている。
リズミカルな手の動きと飛び散る木っ端と。
時折、灰の中に飛び入ってぱっと炎のたつのが小気味よい。薄く立ちのぼる紫の煙はなにやらあやしげな呪文のようだ。
幻惑されたように見つめていると、不意に男の手が止まった。
窺うように視線をあわせれば、自分に笑いかけてくる貌がある。膝の上の木屑を払って立ち上がりながら、男は高耶の一番欲しい言葉をくれた。
「お湯が沸きましたね。お茶でも淹れましょうか」
香ばしい湯気の立つ湯のみをとん、と囲炉裏端に置かれて。
茶受けには、最近、いたく気にいっている柿の種をざらざらと器に盛られて。
ぽりぽりとそれを頬張る高耶は、至極ご満悦である。
噛み砕くたび頭蓋に響く音。感触。
焼き締められた煎餅の歯応えとは対照的な柔らかなピーナツの歯触り。 脂のあまみ。
それは、昔、屠ったばかりの獲物の骨を夢中で砕き、温かな血を啜ったあの恍惚を思い起こさせて。
この男がそばにいる今、自分は冷たくもひもじくもないけれど。身体の奥に沁みついたあの瞬間の歓喜だけは忘れられない。
高耶はうっとりと目を細めながら、彼にとっての郷愁を誘う味を咀嚼するのだった。
静かな室内に響き渡る、ばりぼりといういささか興醒めな音を聞きながら、直江もこっそり首をひねる。
なんだってこの人はこんなさもない駄菓子が好きなのだろう?と。
美味しいおやつなら他にもいっぱい、よりどりみどりで用意しているというのに。
まさか、故郷をしのぶ骨の代用品だとは、さすがに想像だにせぬ直江である。
それでも。
幸福そうな高耶を見つめて、直江もまたしあわせに浸る、穏やかな冬の午後だった。
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