memories of his days




波の音に誘われるように松林を抜けてたどり着いたのは、名もしれない小さな磯だった。
岩礁と岩礁の間に潮が引く時だけ現れるのだろうわずかな砂地、潮溜まりのできた岩場、その向こうに見える水平線。
急に拓けた視界ときらめく海と陽射しを弾く白い砂に 目が眩んだのは、一瞬。
けれどその同じ瞬間に、彼は脇をすり抜け歓声を上げて光の中へ飛び出していった。
濡れた岩を器用に渡っていく姿を尻目に、それまでの林の際から一段低い砂浜へと足を下ろす。
靴越しにもざっくりとした感触が伝わった。 それも道理、視線を落としてよくよく見ればそこに堆積している『砂』は細かく砕けた貝や石の集合体で、 粗い分だけ濁りがないのか寄せて渦巻く波はどこまでも透明な水の色を湛え、無数の小さなかけらともに岩と岩との隙間をさらさら流れてる。
と、彼の呼ばわる声に我に返った。
「直江っ!でっかいアメフラシがいるっ!」
そう叫んだ彼は石の間にしゃがみこみ、水の中を指差していた。
「すげぇんだ。ヒトデもイソギンチャクも、ちっこい魚までいる―――それにほらっ!」
近づくのを待ちかねたようにすぐ傍に据わるラグビーボールほどの石を除けると、はしっこい小さな影がさささっと別の岩の下へと隠れた。
な?と、目線で窺う彼に応えた。
「カニ…ですね。あと、そそくさ逃げていくこの巻貝はヤドカリかな」
「そうなんだ」
子どもみたいに彼が笑った。
「こんなにいるの、初めて見た。すげーなー。昔読んだ生き物図鑑みたいな潮溜まりってほんとにあるんだな」
素直に感嘆する声に、ああそうか、と得心がいった。
山に囲まれた盆地に育った彼は―――少なくとも今生の彼は、海水浴場の砂浜か防波堤越しテトラポットに覆われた海しか知らなかったのだ。
こんなにも生き物の影の濃い海辺は、きっと彼には初めての場所。
邪魔しないよう 静かに退いて、砂浜の端、上手い具合に転がっていた倒木に腰を下ろす。 そして嬉々として動き回る彼を見守った。
片っ端から石を返し小さな獲物を捉えては放し、また別なのを捕まえて―――かと思えば、潮溜まりに手を突っ込み、一心不乱に何かを探っている。 イソギンチャクでもからかってでもいるのだろうか。時々彼の顔に浮かぶしてやったりの表情が目に楽しい。
ちょうど引き潮の時間らしく、そうして過ごす間にも水面に隠れていた岩場が次々顔を覗かせだした。勢い、石伝いに渡る彼の行動範囲も広がって 時々は姿が見えなくなったりする。
さてどうしたものかと、 苦笑しながら考えた。
出来ることなら目の届く場所に留まっていてほしいのだけれど。 そんな過保護な心配を告げたら、きっと彼は子ども扱いするなと怒りまくるだろう。
今の自分に出来るのは、充分に遊び足りた彼が戻ってくるのを待つことしかなさそうだと、銜えた煙草に火を点けた。

「なあなあ直江」
彼が戻ったのは意外と早く。わくわくした顔で。両手一杯に何かを抱えて。
「これって、サザエだよな?」
そう言って見せてくれた巻貝は、確かにそれっぽい外見をしていたけれど、かといってサザエと言い切るには少し小ぶりのものだった。
「……断言は出来ませんけど、たぶん同じ属にはくくれるでしょうね。美味しいかどうかは食べてみないとなんともいえませんが……」
「え?食べられんの?これ」
当たり障りなく返した言葉にすっとんきょうな声を出すから、逆にこちらが面食らった。
「そのつもりで採ってきたんじゃないんですか?」
とたんに高耶はそわそわ視線を彷徨わせだす。
「いや、その。これもしかしてサザエかもって思ったら、やったラッキーって頭にカアと血が上っちゃって。つい目に付くだけ採っちまった…」
狩猟本能に火がついて、ついでに値段の連想も働いて、眺めるだけでは足りなかったということか。
窘められるかと後ろめたそうにしている様子が、また可愛くて愛しくて。
「とにかく火を熾さないとね。乾いた枝や松ぼっくりを少し集めてくださいませんか?」
「うん!」
イレギュラーも甚だしいが、それが当初からの予定みたいにして声を掛けると、高耶はまた二つ返事で駆け出していった。

林から充分離れた位置に石を並べた竈を作り、焚きつけの松葉にライターで火をつける。
パチパチと小気味よい音を立てて燃え上がった炎はやがて枯れ枝に移って順調に燃え出した。
「すげーなー!」
思いがけない焚き火に高揚したか、高耶が弾んだ声を上げる。
「でも、ここからどーすんの?鍋も網もないんだぜ?」
「まあ見ていてください」
まさか散策の途中で野外炊飯をするハメになるとは思わなかったから確かに何の用意もしていなかった。 けれど火さえ熾せれば後はなんとかなるものだ。
薪があらかた燃え尽きたところで隅に寄せ、充分に熱せられた火床に貝を並べ、その上に拾った海藻を被せる。
盛大な蒸気と灰とが、にぎやかな音ともにもくもく立ち上った。
「おおおっ!」
その迫力におもわず高耶がのけ反ったほどだった。
頃合を見て被せた海藻を取り除けば、蒸された貝の口が開き香ばしい匂いを漂わせていた。
「火傷しないように気をつけて」
これもまた林の中から折ってきた小枝を箸代わりにして、身をほじる。
「うまいっ!」
熱い上に満足な道具もなくて口に運ぶのも一苦労だったが、その分、磯の香の濃厚な野趣溢れる蒸し焼きは格別の味がした。


黙々と平らげ、火の始末を終えた後も、高耶は寡黙なままだった。
倒木に腰掛けたまま、ぼんやりと海を眺めたり、手にした枝で落書きをしてみたり。 食べ終えたらまたすぐに飛び出していくのだろうと思っていたから、少し意外だった。

時々、沖を船が通りかかる。
ポンポンポンと懐かしいようなエンジン音があたりにこだまする。
漁船の姿が見えなくなっても残された水脈はしばらく白い航跡を印し、次第に微かになっていくエンジン音は、やがて潮騒や林を渡る風の音に紛れていく。
初めから在ったその音に今ようやく気がついたみたいに、高耶はじっと聴き入っているようだった。

波がひたひた打ち寄せる。
先程まで遊んでいた岩場が、また少しずつ波間に沈んで見えなくなる。
満ち潮に転じたのだ。

「また、来ような」
ジーンズの尻を払って立ち上がりながら、ぽつりとひと言、彼が言った。
「ええ、今度はちゃんと準備をして。鍋を持って歩くのはイヤですけど、まあ金串くらいなら」
わざとおどけてみせた返事に、彼も笑ってつけくわえた。
「あと、お茶とおにぎりと海パンだな。………さ、帰ろう。直江」
膝丈の段差を乗り越え、浜から松の林の中へ。車に戻るにはここから二十分ほど山道を歩かねばならない。
その際で、彼はもう一度、小さな磯を振り返る。
「また、来ような…」
慈しみを湛えた瞳で。そう、自分に言い聞かせるように。







こういう磯浜が、昔、本当にありました
子どもの私は貝殻集めに夢中になったけど、高耶さんはしないだろうな(おい)
でも美弥ちゃんへのお土産にひとつぐらいきれいなシーグラスを拾っていってくれたらいいなと思います






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