Precious ―おむかえ― 



天気予報では終日「くもり」だと言っていた。
放課後、教室の窓からちらりと見上げた空も、どんよりとはしていたけれどまだまだ明るい銀ねず色で。だから、ロッカーの置き傘にも手をつけず、そのまま帰路についたのだが。

道半ばで、霧のような細かな粒子が大気にまじった。

なに、すぐに止むだろうと、そのときは、まだ気楽に考えていた。
雨とも呼べぬこの程度のぐずつきなら、と。

が。
その時雨はいっこうに止む気配はなく、それどころか、駅にたどり着き電車を待っている間に、しっかり本降りへと化けてしまった。
窓を流れる幾本もの水の筋を見て、ため息を吐く。
問題は学校から駅までの距離よりも、これから降りる駅から家までの長い長い道程なのだ。

仕方がない。
不快には違いないが凍えるほどの時節でもなし、潔く濡れて帰ろうと、そう覚悟を決めて、電車を降り改札を通り抜けたとき、

「直江っ!」

聞きなれた可愛らしい声に、思わず耳を疑った。

「高耶さん?!」

薄暗い待合室の、まるでそこにだけ光があたっているようだった。
息を弾ませながら、高耶が駆け寄ってくる。

「よかった。間に合った〜。…はい」

そう言って差し出されたのは家に在るはずの自分の傘だ。

「……わざわざ届けてくださったんですか?」

うれしい気持ちより不審が先にたった。
家から此処まで、高耶の足では三十分はかかるのだ。学校への往復だけでもその小さな身体にはかなりな負担だろうに。
たかが傘一本のためによけいな往復をさせてしまうなんて。
そのことが申し訳なくてついつい眉根の寄る直江を、高耶が心配そうに覗き込む。

「……外見てたら雨ふってきたから…、今なら直江の着く電車の時間に間に合うっておばさん言ってくれたから。僕が頼んでお使いさせてもらったの。……いけなかった?」

いけないわけはない。
最後の一言で、ようやく直江は我に返る。
しゃがみこみ、高耶の顔を見上げるようにして見つめ返した。

「そんなこと、ないです。どうもありがとう。高耶さん」

「うんっ!」

心のこもった言葉に高耶の顔も輝く。
差し出される傘を押し頂くように受け取って直江は高耶と出口へと向かった。



「駅まで来たのは初めてでしょう?怖くなかった?」

早速傘を広げながら訊いてみる。

「うん。平気だった。途中までは学校行くのと一緒だし。後はいつもの角を左に曲がってまっすぐ行けば解るからって。どきどきしたけど、大丈夫だった」

高耶にとってはほんの少しいつものコースを外れる冒険。
やり遂げた達成感で高揚しているのだろう。弾むような足取りや声や、頭の上でくるくる回る傘がそんな気持ちを表している。

「おばさんがね、おやつに『くずゆ』を用意してるから楽しみに帰ってきなさいって。
……ね、『くずゆ』ってなに?」

その鸚鵡返しのたどたどしい発音に思わず直江が吹き出した。
では高耶は、肝心のおやつの正体もよく解らずに、それでもきっと元気な返事だけを母に返して家を出てきたのに違いないのだ。

「あまくてとろりとしててあったかい飲み物ですよ」

首を傾げて高耶が返す。

「う〜ん?……のみものなの?ココアみたいな?」

「少し違いますね。半透明で白っぽいし」

高耶はますます解らないといった表情になる。

「???………じゃあ、ホットカルピスみたいなの?」

 直江の肩ががくりと落ちた。

「……………やっぱり違いますね」

葛湯を知らないものに、その外見を説明するのはかなり難しいことに、いまさらながらに気づく直江である。要領を得ないやり取りに焦れて唇を尖らす高耶に、とりなすように提案した。

「さっさとうちに帰りましょう。口で言うより本物を食べた方が解りやすい」

「うんっ!」

早くおやつにありつくことに、高耶にだって異存はない。
力いっぱい頷いて、元気よく歩き出した。



駆け出さんばかりだった歩調は、幾らも経たないうちに次第に緩やかになっていった。

朝の通学と違って時間に追い立てられているわけではない。
いつもと同じ道を、いつもと違う時間帯に、高耶は直江と、直江は高耶と連れ立って歩くことが嬉しかったのだ。

その気になれば、みちくさの材料には事欠かない道ではある。
塀を伝うカタツムリや、道端に咲く草花を目敏く見つけては、高耶は直江にあれこれと訊いてくる。
それに答えてやりながら、直江は直江で、今までは気にも止めなかった、名もない小さな花の精巧な造形に瞠目したりする。
その名前や種類を、知識として知ってはいた。でも、それだけだ。心が震えることなどなかった。
それなのに、今は高耶が指差すものすべてが新鮮で、いつもの風景がまるで違ったものに見える。その小さな手がまるで魔法をかけているように。

いつのまにか雨はやんでいた。 雲の切れ間から陽射しが差し込む。
少し傾きかけたその光は柔らかな黄金色を帯びていて、荘厳な雰囲気をかもしだしている。

その幻想的な美しさに二人で見惚れた。

「……きれいだね」

「……そうですね」

同じ光景をこうして二人で見られることに幸福を噛みしめながら、直江が呟く。

「こういう光を天使の階段っていうんです」

「へえ、そうなんだ。直江って何でも知っているんだね。すごいや」

知識の量だけを、素直に感心されるのがくすぐったかった。
本当にすごいのは高耶の方だと思うから。
美しいものに気づかせてくれる力を、魔法を、彼は持っている。

その手を握り締めたくて、傘を畳んで距離が縮まったのをさいわい、そっと空いた片手を差し出した。
はじめきょとんとしていた高耶が、やがてにこりとして指を絡めてくる。

ふたり手を繋いで帰る道は、やっぱりいつもとは違ってみえて、このままいつまでも続けばいい…そんなことを思ったりした。



家では、母が、おやつの葛湯を用意して待っていてくれた。
大きめのマグカップにスプーンを添えて供された初めての食べ物を、高耶は目を丸くして見つめている。

「すごーい。きれい…」

カップを覗き込んだ高耶が歓声を上げた。

「まるで宝石箱だね!」

そんな高耶の反応に、春枝がにこにこと相好を崩す。
彼女お気に入りのこの葛湯は、京都の菓子司のもので、味もさることながら見た目も非常に美しいのだ。
半透明の葛の底に鮮やかな彩りのゼリーや甘納豆や白い求肥が沈み、香ばしいきつね色のあられが一面に散っている。

「食べちゃうの、もったいないみたいだ…」

そう言ってなかなか手をつけようとしない高耶に、直江は自分のカップからゼリーや小豆を選り分けて高耶のそれに入れてやった。
いいの?そんな目線で見上げてくる高耶に安心させるように笑いかける。

「お迎えに来てくれた、お礼です。いっぱいになったんだから安心でしょう?」

「ありがと」

促されるまま、ひと匙ひと匙すくい取って、美味しそうに味わう高耶は本当に幸せそうだった。



そんな和やかなおやつの時間が過ぎてまもなく。
春枝は器を片付けに、直江は着替えのために席を外した少しの間に、高耶はころんと寝いってしまっていた。

ほとんど同時に茶の間に戻って、畳に転がる高耶を見つけた二人が、驚いて目を見合わせる。

「疲れちゃったのね」

春枝が愛しくてたまらないといった仕種で高耶の髪をそっと撫でた。

「おやつ、先に食べる?って訊いたらね、この子、あなたと食べたいから帰りを待ってるって。
それで外ばかり気にして……だから降りだした雨に気づいたのも、傘を届けられたのもみんな高耶くんのおかげなのよ」

と、内緒の話のように打ち明ける。

直江は応えられなかった。
ただ呆けたように高耶を見つめるばかりだ。
こんなに自分を思ってくれる、小さな彼がたまらなく愛しくて。言葉にならなかった。

「……布団、敷きましょうか。あなたの部屋でいい?」

そう訊ねる春枝に直江は黙って頷いて、そっと高耶を抱き上げる。
少しだけ身じろぎした高耶は、それでも目を覚ますこともなく、そのまま大事な宝物のように、布団の中に横たえられた。

「今日は本当にありがとう。ご苦労様」

その寝顔に向かって囁いた。
瞬間、ふわりと微笑んだように見えるのは、気のせいだろうか。
はみ出た手を上掛けに戻そうとして触れた拍子に、袖口を握りこまれた。
身動きを封じられて、今度は直江の顔に微笑が浮ぶ。この小さな魔法の手が自分を囚えてくれたことに、溢れるような幸福を感じて。



やがて、日が暮れて夕餉の仕度が整った頃。
ふたりを呼びに部屋を覗いた春枝は、ひとつの布団で顔を寄せ合うようにして仲良く眠る、高耶と直江を見つけたのだった。










パロ部屋で展開中の小さい高耶さんとお隣りの高校生直江さんのお話です。
ちょうど季節がぴったりだったので、ミニ本に仕立ててオンリーのチラシ置き場に置いてもらいました。
この一連の話は「花盗人」月花草さまに差し上げた掌編がおおもとですので、
これこれこういうわけで、かわら版として無料配布しても構わないだろうか?とお伺いしたところ、
太っ腹にもイラストまでくださいました〜〜!!!
「美少年」な制服姿の直江さんですよ!めんこい高耶さんですよ〜〜!!(悶絶)
もう、ウハウハで(笑)ミニ本では扉絵として使用させていただきました。

制服姿なのは、これまたBBSでのやりとりがきっかけなのですが。
このイラストみて、またムラムラと別な話が湧き上がりました…(笑) 後日、イラストとともにパロ部屋にupいたします。
が。待ちきれない方は月花草さんちのエイタで詰襟の直江さんをご覧いただけます。

で、私、もともと製本作業は好きなのですが……今回ほど至福に浸れた事はありませんでした。
……だって。 床一面に散らばった、 王子様然とした麗しい直江さんの微笑みに囲まれての作業だったんですもん!!!
月花草さん、本当にありがとうございました。 心から御礼申し上げます。

かわら版置き場においてある話は、たいていが無料配布のペーパー代わりです。
冊子状のものもご希望があればお送りいたしますので、お気軽にお問い合わせくださいませ。




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