やよいの憂鬱



最近、高耶の様子がすこしおかしい。
ため息をついたり、心あらずの生返事をしたり。 そうかと思うと、時々、思い詰めた顔をしてこちらを見つめていて、それに気づいて顔を向けると慌てて視線を逸らしたりする。

どことなく落ち着かないその原因は、実は直江にも見当がついている。
解っていてわざとそ知らぬふりをしていたのが、その我慢もついに限界を迎えたのは、桃の節句を過ぎたころのことだった。

「お返しは決まりましたか?」
水を向けてきた直江に、今もタウン誌の特集記事を真剣に見入っていた高耶が救われたように顔をあげる。
「いや。まだ」
無言のうちに助けを乞う、縋りつきそうなその瞳をまともに見つめてしまってはもういけない。
一月前の不快はどこへやら、直江はこうして自分のライバルたちへのお返し選びを手伝う羽目になったのだった。


そりゃチョコでも飴でもいいんだけど……患者さんの中には食事制限している人もいるし。ハンカチなんかも考えたけど、その…使い勝手がいまいちで……。
あれいいな。これ好きそうだな。と個人的に思うのはあるんだけど。
そうやって一人一人に気にいりそうなもの考えてたら頭痛くなっちゃって……。

もの慣れないだけではない。数の多さも高耶がネを上げる理由のひとつだった。
なにしろ高耶がバレンタインにもらってきたチョコの量はハンパではない。
職場の同僚、患者さん、その家族に至るまで。老若男女を問わず、紙袋二つ分はあったのだ。
律儀に誠実にそれぞれの嗜好に合わせてお返しを考えていたら、予算も時間も幾らあっても足りはしない。

「そうですね。できたら一律に、平等に、皆に渡せる同じ品がいい」
ヘタな勘違いをされないように、と、内心で呟きながら、直江が力強く同意した。


間違っても相手の誤解や期待を招いてはならないし、品性を疑われるようなキワモノや廉価品も却下。かといって金にあかせたブランド品も論外。
リーズナブルで万人に喜ばれてそこそこセンスのよさも匂わせるもの。

紆余曲折の議論の果てにどちらも譲れない一線を盛り込んだ品物選びのポイントは、結果としてとてつもなく難度の高いものとなった。

「花なんてどうでしょう?」
おおまかな予算を訊き出してしばらく考え込んだ後、おもむろに直江が提案した。
「花?」
出てきた答があまりにありきたりで、高耶が一瞬絶句する。
花を女性に贈るなんて、この男のもっとも嫌がることかと思って遠慮してたのだ。だが、直江には別な算段があるようだった。
「大仰な花束じゃなくて、例えば薔薇を一本長いままのにリボンを結んで。あ、でも真っ赤なのだけは避けましょうね。花言葉が花言葉ですから。……薔薇よりはもっと可憐にフリージアや水仙でもいい。優しくて春らしい香りはみなさんに喜ばれるでしょう? ああ、春らしさならパステルカラーのスイートピーも可愛らしいですね。今は色の種類が豊富ですし。そうそうチューリップも最近じゃ切花用の園芸種が充実しているんです…」
韜々と語られる蘊蓄を、高耶は、ただ唖然として聞いている。

「でも、店の人に嫌がられないかな。花一本一本にリボン結んでもらうなんて……」
手間と儲けを天秤にかけたらどう考えたって割に合わない仕事だ。常連ならいざ知らず飛び込みの客に過ぎない自分が花屋にそんな注文をつけるのはかなり図々しくはあるまいか?
そうしりごんでしまう高耶に、自信満々、直江は胸を張って言い放った。

「融通の利く店知ってますから。予算と人数と種類の希望を告げて後はプロに任せましょう。
あ、バケツに二つ分にはなりそうですから、当日は私に送らせてくださいね。責任もってナースセンターまで運ばせていただきます」

「……よろしくお願いします」
にっこりと不敵に微笑む頼もしい恋人に、もう何を言い返す気力もなく、高耶は神妙に頭を下げたのだった。


ホワイトデー当日から一週間の間、病棟には、そこかしこに春の彩りと香りが溢れていた。

ベッド脇に飾られたフリージアや水仙が馥郁としたやわらかな芳香を放ち、ガーベラやチューリップの華やかな色合いが病室の雰囲気を和ませて、皆に誉められた高耶はおおいに面目を施した。

その同じ一週間の間。
高耶と直江のプライベートな空間にも真っ赤な薔薇をいけた花器がそこかしこに置かれ、噎せ返りそうなほど艶麗に香っていたのは当人たちだけの秘密である。

誰もがしあわせな、弥生の出来事だった。





桜も咲こうかという卯月の季節にホワイトデーのお話です。
つくづくうちはアニバーサリーとは無縁なサイト…(無言)
去年発行の「さつきしもつきはづききさらぎ」の『如月』の話の後日譚にあたります。
対になった話を書上げるのに何故一年以上も間があくのだろう……?

こんな小冊子でよかったら、五月に米沢おいでの方はどうぞもらってやってください…(拝み)




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