「女の子って、おそろしいこと考えてるもんだな……」 妙にしみじみとした口調で、ぼそりと千秋が呟いた。 前かがみになって物入れの中のCDを熱心に物色していた綾子が一瞬動きを止める。 「あらやだ。あんた、あの話聞いてたの?いやーね。女同士のオフレコだったのに」 文句を言いながら上体を起こしたものの、その顔にはどこか余裕を残している。案の定、微笑いながら納得したように付け加えた。 「どうりでね……タイミングよすぎると思ったわよ。あのチャイム」 「抜かせ!おまえだって、知ってて話していたんだろうが。第一、赤ん坊がいるうちにはいるのに、 無神経にチャイム鳴らすバカがどこにいるよ?気配を消してったら、おまえらの内緒話が聞こえちまったんだよ」 言いながら、千秋はがっくりと肩を落とした。 「まさかおまえとくっつけられていたなんてなぁ。反応がニブかったわけだ……。俺、結構まじめに貢いでいたんだぜ? それが全部ムダだったわけ?恋愛の対象外ってか?」 盛大に嘆く千秋を、綾子は笑いを含んだ意味深な眼で見つめていた。 口惜しがってみせてはいるが、それがこの男の本心ではないことを綾子は知っている。 穏やかな幸せの中にいる美弥の様子に安堵しながら、それを素直に面にださずに斜に構えてしまう。つまりは照れ隠しなのだ。 (……そういう奴よね、あんたって) 綾子の呟きは、千秋には届かない。 確かに周囲が呆れるほど、千秋はこまめに贈り物をしていた。 またそのやりかたが実にさりげなくてツボにはまっていたものだから、毎回毎回美弥を大喜びさせ、高耶の気を揉ませることになっていたのだった。 全身ハリネズミにでもなったような高耶の警戒ぶりを思い出して綾子はこみ上げてくる笑いをかみ殺す。 実際あれは高耶に対する嫌がらせ以外の何ものでもなかった。 同時に、千秋は決して認めないだろうが、あの兄妹への憧憬がまじっていたのだと綾子は思っている。 人好きがするくせに自分の裡には踏み込ませない。「特別」な人間など必要ないといわんばかりに自らの信念だけを拠り所にし、長い年月を飄々として生きてきた男だ。 そんな彼でも、美弥がその兄に寄せる全幅の信頼には感じるものがあったらしい。 同じ笑顔を分けてもらいたくて、「気前のいい優しいお兄さん」を演じる程度には。 綾子の視線に気がついた千秋が、横目で流し見た。 「なんだよ?」 「別に……。あんたも複雑だなって思って」 大げさに顔をしかめて見せた千秋にはかまわず、綾子が続けた。 「……よかったわね。美弥ちゃん、すごく幸せそうで。だんな様が優しいのね、きっと」 「おまえ、よりにもよってそんな感想を今言うか?傷心の俺に向かって?」 落ち込んだ様子の千秋に、今度こそ声を立てて綾子が笑った。 「何いってんのよ。あんたは美弥ちゃんの心の中で永遠に憧れの王子様やってられんのよ?その方が夢が壊れなくて絶対いいって」 「俺としては実際に手を出せるほうが嬉しいんだが……」 なおも言い募る千秋に、綾子の柳眉がつりあがる。 「じゃ、あんた、景虎のこと『お兄さん』って呼びたかったわけ?まあ、さぞかし麗しい義兄弟になることでしょうねぇ、もれなく直江もついてくることだし。 ……もっともそうなる前にボコボコにされてると思うけど」 恐ろしい想像に、千秋は棒でものんだような顔になり,げっそりとして言った。 「…………悪かった。忘れてくれ、今の台詞」 「判ればいいのよ」 つんとすました表情で綾子が返す。 しばらくの間、白々とした沈黙が流れた。 やがてその不毛な雰囲気を振り払うように、再び綾子が口を開く。ひどくまじめな声音だった。 「でも、ほんとにいい子よね、美弥ちゃん。よくぞ景虎の妹に生まれついてくれたと思うわ」 「……」 夜叉衆がその大将を見失っていた間,高耶の精神を支えていたのは彼女だったのだから。 「あんただってわかっているんでしょ?あの子はもうあたしたちに巻き込んじゃいけない。 普通の時間の流れで幸せになってもらわなきゃないって……」 「……まあな」 観念したように目を細めた千秋は、真摯な素の顔になっている。 が、その表情はすぐに消えて、いつもの調子に戻った。 「メシでも食っていくか?」 「あら、誘ってくれるの?珍しいわねぇ。もちろん、あんたの奢りよね?」 即座に気持ちを切り替えた綾子が応じた。 「こんな時だけオンナを武器にするなよな。茶のみ友達だろうが。割り勘だ。わりかん」 「あーっ、可愛くない!んじゃ、盗み聞きの口止め料としてこれ、貰うわね!」 言いながら、物入れから目をつけていたらしいピアソラのCDをさっと抜き取る。 勝ち誇った様子に、泣く子とこいつには勝てない……と、ため息を吐く千秋だった。 後日、綾子の元に美弥からの手紙が届いた。 封を切ると、便箋のほかに二葉の写真が入っている。 見覚えのある服を着せられた赤ん坊と、もう一枚は、直耶を抱く高耶が写っていた。 自分まで撮られるとは思っていなかったのだろう、写真の中の高耶はひどく無防備な笑顔を腕の中の赤ん坊に向けていた。 しばらく見入ってから、おもむろに綾子は手紙を読み始めた。 前略 綾子様 お元気ですか?私も直耶も元気です。 この間はわざわざお祝いに来てくださってありがとうございました。 さっそく、頂いた服着せてみたので、写真お送りします。 どうです?似合うでしょ?あっ、ちょっと親バカ入っていますね。 そんなこんなで私はなんとかやっています。 そうそう、このごろお兄ちゃんがよく遊びに来ます。 直江さんと一緒だったり、ふらりと一人で来たり。 直耶がお目当てみたいで、いつもおみやげ持ってくるんですよ。絵本とか、おもちゃとか。 いったいどんな顔して買ってくるんでしょうね? 想像するとおかしくなります。 この写真撮る時もちょうど居合わせたので手伝ってもらいました。 直耶を抱っこしてもらったんですけど、あんまりいい顔しているんでこっそりピントずらしてお兄ちゃんも写してしまいました。 本人には内緒。 だって普通に撮ったら、絶対こんな風に笑ってくれませんから。 綾子さんに一枚おすそ分けです。 千秋さんや直江さんにもあげたいけれど、お兄ちゃん、死ぬほど嫌がるだろうなぁ、きっと。 折をみて、お二人にも見せてあげてくださいね。 それでは、このへんで。 またお会いできるのを楽しみにしています。 かしこ 何度か読み返したあと、再び写真に目を移す。 日々動き回る赤ん坊を相手にしているせいか、美弥のセンスはなかなかいい。赤ん坊をあやす高耶の一瞬の表情をうまく捕えている。 これ以上はないぐらいのしあわせそうな笑顔だった。 眺める綾子の眼にもいつのまにか涙がにじんでいた。 あとがき 五月の終わり、流浪同人焔堂の神楽蒼さまから一冊の本が届きました。 タイトルは「透明な窓」 美弥ちゃんがママになる内容に、松王、すっかりはまってしまいました。 で、勝手に作った続きの短編集です。 神楽さま、ごめんなさい。そして、ありがとうございます。 すごくすごく楽しかったです。 独立した素敵な作品に、くっつけてしまった余計な「しっぽ」たち・・・ ねーさんと千秋の掛け合い、暴走する橘ファミリー、 それから、最後はやっぱりしあわせそうな高耶さん・・・ 原作と遠く離れた世界で、遊んでいただけたら、幸いです。 松王さくら 拝 |