コーヒーブレイク考




んふふ…と向かいの席で笑う顔に、義明は、ふう、とため息をつく。
「なんですか?」
下校時を狙って拉致するような真似をして…と、文句を言っても相手はまったく平気である。
「え、だってぇ、幸せじゃん。美形の高校生と差し向いで、いいコーヒーvですよ! ん、もう、おねえさん、女みょーりにつきますわv」
さらりとゆれるボブスタイルの黒髪、明るい美しさの門脇綾子は笑う。
「何、そんなにふくれてるのよーぉ。 おねいさんにお茶屋に連れこまれたことばっかりじゃないんでしょお?
何があったん?」
手元に置かれたコーヒーカップは白くて何の装飾もない。
けれど香り立つ湯気は豪華だ。
「あんなに憎んでいるのに…」
ぼそりと呟かれた少年の言葉に綾子は目を細める。
「取り戻したがっているのは…。 そんなにすごい戦力だったんですか?直江って」
「えェ?」
綾子は、目を上げた義明をまじまじと見つめる。
「憎んでる、って…」
「何かあったんでしょう?もともと直江信綱って、 景虎の敵方の人間で、いい関係とは言い難かったんだろうけど、不和になる何かもっと…」
綾子は、きっと唇のはしをひきしめた。
「それは…」
「そんなに嫌っている相手を捜してる…。それは戦列に欠かせないからで」
は…?と綾子は眉を寄せる。
「それは、俺が思い出せばヽヽヽヽヽ使える力なんですか?」
真剣な瞳―――なのだが。
「ああ、まあ、ねえ…」
綾子は、はあっと長い息を吐いて横を向いた。
「…景虎が煮えるはずだわ、これは」
「は?」
ぽかんとした義明をよそに綾子の声がどんよりくもる。
「で、景虎煮えると、長秀がギチギチしてきて、こっちにおはちが回る、っと…」
いや、ちょっと待て、と綾子は額に指をあてる。
「思い出すって、あんた、橘くん」
指先が義明の方へと向けられる。
「あんた認めるのね。自分があたしたちの捜してた『直江』だって」
義明は、びくっと、カップへ伸ばした手を震わせた。
「…いや…」
かぶりを振ってから、少年はむっと黙り込んだ。
「失言でした。忘れてください」
ふふんと綾子は鼻を鳴らす。
「意地っ張りー」
「何とでも」
男の子だねぇ、と綾子は一人ごちる。
力だ戦力だ、そういうことに反応するとこ。
それでも、ずいぶん―――柔らかくなったよね、最初の頃の『鉄壁』に比べれば。

こんな表情するんだ―――って思っているんだ、景虎は。
28年の飢えを満たすために。喰いいるように見つめて…。

綾子はふと真剣な顔になる。

(危ういな…)

『喪失』の苦しみは彼女も知っている。
けれど、相手が有限の生命の人と知っていて愛した。
景虎と直江の間にあった果てのない『束縛』は、彼女には語れない。
それを語れるのは当の二人だけなのだ。
けれど、そんな濃密な―――誰にもわかれない絆を。
こうして全て忘れている彼を、景虎は―――。

景虎は―――。



「こォら、ガキがブラックなんて飲むんじゃねぇよ」
背中側からにょっと右手のカップの方へ伸びてきた手に、義明が、目を見張る。
「なっ…」
見上げようとした時に、クリーマーから、どば、とエバミルクの白が 彼の頼んだコロンビアへと注ぎこまれ、
あっという間もなく、はかなげな薄茶色になってしまった。
「―――!」
にらみ上げようとした少年の目をついてこさせて、高耶がどんと義明の隣りに腰をおろす。
「あら、早かったじゃん」
綾子は、頬杖を突いて、空いている左手の指を躍らせた。
は、と義明の目が彼女に動く。
図られた、と眉が寄せられる。
「ごめんね、あたし、こいつの部下だから…。って、ウソよ。示し合わせてた訳じゃないわ」
「オレが波動をたどってきただけだ」
そう、あたしのじゃなくて、この子のね。
綾子は心の中で呟いた。
(霊針まで、きっちり埋めこんで、毎週自分で継続させにきて。
『お宝』の譲君は、軒猿にまかせても、この子のことは、全部自分でやりたがる。まるで…)
「誰も触るな、ってカーンジィ?」
妙に甘ったるく引き延ばした綾子の語尾に、義明はは?とますます顔をしかめた。
高耶は口元にあてた左手で、顎を支え彼女を見ていたが、やがて唇がにやりと大きく笑った。
獣のように。


珈琲店の女主人が、からんと鳴る大きな氷の入った水のグラスを置き、
高耶は、メニューも開かずに言った。
「ココア、熱いやつ。大盛りできる?」
同席の若い女性と、男子高校生は、がくっと、衝撃を露わにしたが、
半白の髪の小柄な女主人は、まったく動じなかった。
「カフェ・オ・レ・ボウルで、ホイップクリームを倍盛りでよろしいですか?」
「上等!」
「お代も、倍でよろしい?」
高耶はちょっと逡巡したらしいが、大きく頷いた。
「お願いいたします。奥様」
カウンターへと戻っていく女主人をちらりと見て、綾子は、ふう、と溜息をつく。
「いい勝負をありがとう」
どういたしまして、と高耶が親指を立てる。
「甘党なんですか?」
我関せず、でいようとしていたはずなのに、押えきれなくなったらしい義明に目を向けて、高耶が微笑む。


――世界に二人きりって顔だよ。景虎。

綾子はやれやれと自分のカップを持ち上げる。

でも、あんたが笑うの、あたしは嬉しい。
これから、何が起きても、今のあんたは幸せなんだね。

仰木の家族があんたを支えて、大切にして、
ここまで守ってきたけど、それでも――こんな顔はさせられなかった。

――あたしはすごく嬉しくてうらやましいよ。




おとなの女のひとがスキ。





BACK