7月24日 午後 
〜続々々 平和について




 二回、口をすすぎ、やっぱダメだろ、と歯磨き。
 顔を洗っていたら、首筋や胸のあたりの二日酔いニンゲン特有の臭みが気になって、シャワー!と浴室に飛び込んだ。そんじゃいっそ、と追い焚きスイッチを押して――。
 浴槽に浸かったところで、やっと綾子にからかわれたのだと気づいたが、まるっきりハズレでもないだろうと、しっかり髪と全身を洗った。

 結局は。
 自分が弱かったのだ、と高耶はシャワーの水流の下でつぶやいた。

 心は繋がっていたし、今も想い合っていることに疑いはない。
 だが初めて肌を合わせたあの時、彼にそれだけの――いや、自分の飢えの半分ほどの情欲もあったとは思えない。
 魂は間違いなく「彼」でも、現実には十七歳の少年であり、次々にのしかかってきたものは、心にも肉体にも重すぎた。
 苦難を乗り越えて戻ってきた彼は、意志と思いこそ強く持ってはいたが、身体は鬼八という一民族の念を抱えていた時よりも、細く儚くなっていた。
 毒は肉体から抜け、看病も誰に止められることなく出来るようになり、ずっと傍らにいられるようになっても。
 落ち窪んだ眼と荒れた唇、削げた頬、細い手首。
 薄くなった肩や胸を清めてやりながら、オレは唇を破れるほどに噛みしめていた。
 こんなにやつれた者に――欲情を募らせる自分が情けなく惨めで……。
 眠ることも出来なくなっていた。

 あいつはそんなオレを救ってくれた。
 身を委ね、その劣情を受けとめて。

 そんな風に――始まってしまった。

 そしてこうして――オレは、またいつものつまらない猜疑心に囚われるんだ。
「欲しがっているのは、オレだけか?」

 高耶は何度目かの深い溜息をついて、浴室を出た。髪を拭い、バスローブを羽織り、洗面室のドアを――。
「あぅわっ!」
 ばぅんとドアに衝撃。
「え!?」
 ノブを引き戻して廊下を覗く。たっ、た……と鼻を押えた義明が、向かいの壁に寄りかかっていた。
「わ……! おい、すまん、大丈夫か!?」
 義明は左手に下げていた洗濯カゴを取り落とし、そちらの手も顔にあてた。
「カゴ戻しに来たのか。まさかそんなタイミングで……」
 高耶は少年の手首をつかんで引き寄せた。
「見せ……」
 涙をにじませた目と、痛みを逃がすために薄く開いた唇と――。
 駄目だ、これじゃ繰り返し――警告が心を叩くが、身体は止まらない。
 欲しいんだ、と指が。
 だん、と高耶の後頭部に鈍いショックが来た。
 え!?と目を見張る。
 壁に背中を押しつけられた自分を認識したのと同時に。
「ふ……わっ!」
 喉元のくぼみに熱いもの。湿った音のあと、強く吸い上げる感触に、腰が砕けそうになる。反り返りかけた顎を引き戻されて――唇が塞がれた。

 霧散してはいなかった弱気が言わせた、
「昼だけど、いいのか?」
 という無粋で野暮な言葉は、むっと結ばれた口元で一蹴され、午後は寝室で過ごした。

 充足して、右腕の上の柔らかい髪を抱き寄せ、額や鼻先に唇を押しあてると、眠ったまま抗議のようなつぶやきがもれて――でも離れてはいかない。
 そりゃ、眠いよな、とタオルケットを引き上げ、肩を包んでやりながら苦笑する。

 オレのやらかしたアホのせいで、一昨日の夜は少ししか眠れず、昨日は声もかけられないほど、きりきりと働いて、あげくに酔っ払いの世話だもんなぁ。
 多分昨夜もほとんど寝てなくて……。
 やっと今生で出会えた頃ぐらいに体力が戻ったばかりなのに――オレはおまえを削ってばかりだ。

 んぅ、と栗色の頭が揺れて、ぼんやりと彼の目が高耶を見上げた。
 すっと伸びてきた右腕に巻かれて、ゆっくりと高耶は彼の胸に抱きこまれた。
「………大丈夫……」
 くぐもったささやき。
「……そばにいる、から……」
 髪を梳く指先。
「…………泣かないで」
 泣いてなんか、と言い返そうとして、高耶は彼の胸を濡らす自分の頬に気づいた。
 深く穏やかになった寝息に、高耶は自分の呼吸を合わせ、大切なものをもう一度抱きしめた。
「ありがとな」

 オレの傍に来てくれて――ありがとう。


                    了('09.10.24)

              






 どわぁ……。
どうしたんだ。
甘ったるいじゃないか
(当社比)。


へびのあし
「ところで30歳と1日、
おめでとうございます」
「あぁ?」
んー、と高耶は人差し指を
立てた。
「まあ、あれだな。
『恋人はまだ十代なので』ってセリフが、
よりきらめくんじゃね?」
ばふん、と枕が顔に押しあてられた。
「そんなこと言って歩かなくって、
いいんですっっ!!!」






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