痛みについて




「オレはおまえを喰っちまいたいと思うよ」
何を言い出す、と怒気に頬を染めて、義明は振り向いた。
しかし、ジーンズのポケットに両手をつっこみ、 こちらを見やる高耶の目は思いがけない切なさを含んでいて、彼の声を封じる。
「頭っからバリバリと。全部。骨のひとかけ、血のひとしずくも残さずにな。 もう誰の手も、おまえに触れられないように。そして―――」
冷たい口調で。
「おまえも、誰にも触れたりできなくなるんだ」
ひどく悲しそうな瞳で。
「そうしたら、きっと…」
城山公園の上に、夜のきざしが下りてくる。
高耶は、ゆっくり踵を返した。
「四百年ごしで、ゆっくり眠れる夜が来るんだろうな」
そのまま行かせてしまうべきだった。
だが遠ざかろうとする背中に、義明はただただ腹を立てた。
――こっちを向け!!
少年は肩に力をこめた。
「あなたになんて!」
高耶は足を止めた。
「絶対、喰われたりしませんよ!」
振り向かないまま、高耶は口の端を上げた。
「でも他の誰にも、喰らわれたりしない。あなたを喰らわせたりもしない」
低くなった背後の声に、高耶は目を見張った。
「そんなこと誰にもさせない」
高耶はこうべをめぐらせた。
まだ少年の面差しを残してはいるが、丈高く『男』の空気をまといはじめた肩の、十七歳の橘義明。
その端正な顔立ちの中の――
とび色の怜悧なまなざしが激しいものをたたえて、高耶を見返した。

その表情―――。

高耶は辛そうに顔をゆがめた。
「…見せるなよ」
瞳の奥で熾火がゆらめく。
「…こじあけてほしいのか?」
大股でゆっくり近づいてきた男の手が、義明の左肩をつかむ。
「…オレに、返せ」
指先のくいこむ強さ。
義明は、つ、と唇を開いた。
その苦しげな表情、再び唇を閉ざしてかみしめる――。

この顔が。
悦楽にほどかれたなら。
どんな表情になるのだろう…。

高耶は血が沸きたつのを陶然として受け止める。
「…『直江』…」
押し出される低い呼びかけは、睦言のよう。
「こんなオレを見ているのは、楽しいか?」
艶をまとったささやき。呪うように。
「帰ってきてくれと、嘆願させたいか?」
「た…」
義明は、ぎっと奥歯をかみしめ、肩の痛みにすくみかけていた上背を立て直した。

痛いのはこちらなのに、何故自分の方が傷を負ったかのように。

「俺は『直江』じゃない」
義明は短く、きっぱりと言った。
高耶の表情は変わらなかったが、くいこんでいた指の力は静まった。
「逃げられないぞ」
穏やかになった分、もっと底知れぬ昏さに染まった声音。
「見つかりたくなかったなら、あれヽヽの側に現れたりしなければよかったんだ」
ゆっくりと、義明の肩から指が離れた。
「覚えとけ。これはおまえが選んだことなんだ」
今度こそ振り返ることなく、高耶は去っていった。
遠くなる彼の車の音を追う自分の耳を、いとわしく思いながら――義明は空を見上げた。
白くおぼろな月が、彼の頭上に在った。




またの名を
「聞かせてよ。愛の言葉を」
ちなみに「取替えばや話」の主題歌は
山下達郎 「GET BACK IN LOVE」






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