THE ENCOUNTER
―1―




退屈なパーティだった。
退屈な上に不愉快でもあった。
何を勘違いしたものか、しきりに秋波を送ってくる女。それを嫉む同伴の男。 酒の勢いを借りて絡んでくるその始末を主催者側の人間に任せ、早々に中座をきめこみ会場を後にした。
そのまま外に出てしまわず最上階のバーへ向かったのは、いったいどういう気まぐれだったのか。
そしてそこに彼はいたのだ。

足を踏み入れたとたんに、いい店だと直感した。
華美に過ぎない上品な内装。静かに流れるピアノ曲。通奏低音のような客たちのざわめき。
光量を絞った照明。カウンターだけを照らすように設置されたピンライトが、そこに置かれるカクテルの彩りを鮮やかに際立たせている。
そのさらに奥、カウンター内の壁面で揺らぐように煌めく酒壜とグラスの類。白と黒を纏って影のように動くバーテンダー。
視線を転じれば、眼下に広がる光の海。触れられそうな近さで輝く、見事な夜景。
引き寄せられるように歩を進め、入り口近くカウンターの端に腰を据えた。
店内と窓越しの夜景。両方を手中に収めるために。
直感は正しかった。
必要なら、会話を。或いは極上のサービスと沈黙を。
客の望みを、ここの主は瞬時に見抜けるようだった。
傍観の立場を楽しみながら、モルトのグラスを注文しプレートのチーズや果物を摘み、頭を巡らせ下界の瞬きをぼんやりと眺める。
そうして無為に過ごすうちに、いつのまにか一人のバーテンダーに釘付けになっている自分に気がついた。
二十歳は越えているのだろうが、まだ少年の面影を残したような青年だった。三人ほどいる中で、間違いなくもっとも若手でもある。 黙々と指示された雑事をこなしている彼に何故視線が行くのか自分でも不思議だった。
すらりと伸びた容姿のせい?流れるように優美な身ごなしのせい?時折光に浮かび上がる形のよい白い指先のせいだろうか。
そのどれでもなく、どれでもありそうだった。
惹かれる理由を考えながら、グラスを舐めるように傾けた。時に煙草を燻らし、長いことそうしていた。

値踏みをするような、執拗で不躾な視線であったろう。それに気づかぬはずはないのに、いっこうに、彼の様子に変化はなかった。
自分の眼力が他人に及ぼす影響を、男は熟知している。
女なら赤くなる。恥かしげに俯くか、或いは婀娜に微笑み返すか。いずれにせよ挙動に媚が含まれる。
男でも同様だ。世慣れた人物ならいざ知らず、常人は、まず、手許が怪しくなる。 かなりの緊張を強いられ、やがてリズムが狂って、油の切れたブリキ人形のようにぎくし ゃくしだすのが常なのだ。彼のような若輩なら、なおさら。
が、どうやら彼は稀有な例外であるらしい。
その事実をようやく認めたとき、胸のうちで何かがざわりと蠢いた。

「……なにか不調法でもございましたか」
穏やかに問い掛けられて我に返った。
「ああ、失敬。ずいぶんと若いひとがいるものだと思って」
「ああ」
主の顔に穏やかな笑みが浮かぶ。
「正社員というわけではございませんで」
「…アルバイト?学生さん?」
(格調を重んじるこのホテルで?)
眉をあげた表情ひとつで、言外の質問は充分に伝わったらしかった。
「はい。二ヶ月ほどよんどころない事情がございまして、階下のティールームからスタッフを一人引き抜きました。向こうのチーフからはずいぶんと恨まれましたが。彼は本当によくやってくれています」
内緒話を打ち明けるように身を屈め声をひそめる。客の優越をくすぐる仕種。それでいて、さりげなく部下を庇い肝心な事情はいっさい洩らさない。
なるほど。彼を知るには、まずこの主の眼鏡に適わねばならぬらしい。まるで忠実な乳母の護る深窓の令嬢を口説くようだと、内心で苦笑する。
一筋縄ではいかぬ相手にいったん矛先を収め、あらたな会話を装って再び遊戯を仕掛けようとしたその時、思わぬ邪魔が入った。
抜け出したパーティの番頭格である側近が、所在を探し当てて飛び込んできたのだ。
不手際を詫びるくだくだしい陳謝と懇願に、男はため息をついて腰を上げた。
どうにも一度戻らねば治まりがつかないらしい。
「…また寄らせてもらいます」
名残惜しげに言うと、主は微笑して慇懃に頭を下げた。
「お待ちしております。橘さま」
名乗りもしなかった名前をさらりと口の端に載せる。
もう意外とも思わなかった。ここはそういう店であり、主はそういう人間なのだ。
支払いの間さえ惜しむように、もどかしげに番頭は片手を一振りする。心得たように主が頷いて、直江は促されるままに足を踏み出す。
最後まで無関心を貫いていたカウンター奥の彼が、立ち去ろうとする客にようやく視線を向け、会釈をした。
初めてまっすぐ自分を見つめてくる貌の、その強い光を宿す黒曜の瞳が、ひどく印象的だった。


* 初出 2005 /9 ひびきさまへの差し上げもの




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ひびきさま宅に差し上げた THE ENCOUNTER。すでに閉鎖されているようなので、改めましてupです
しかし。かなり恥ずかしいわ。。。(--;)








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