微 睡





車窓から望めるのは一面の田んぼ。おわんを伏せたような里山の連なり。
ちょうど季節は萌黄の頃。
優しい風情の雑木の若芽と、所々にぼんぼりを灯したような山桜の淡紅色。 田植えが済んだばかりの水を湛えた水田が鏡のよう。青い空と淡い彩りの山々が逆しまに映りこんで絵のように美しい。
そんな風景を眺めながら在来線と三セクを乗り継ぎ、半日掛りでたどり着いたのは、田んぼの真ん中にぽつんと建った無人の駅舎だった。
降り立ったのは高耶一人。もっとも一両編成のマッチ箱みたいな電車内だって、ほとんど客は乗り合わせていなかったのだけれど。
うら寂しい改札を抜け、鉄製の階段を下りた先にも見事なくらい何もない。正面にはのどかな田園風景が広がり、人家はおろか線路に並行する道路にも走る車の影はない。
確かに田舎だとは聞いていたけど、本当になにもないのな。と、 ようやく最寄り駅に到着した安堵感よりは不安が先にたった高耶だった。
目的地は駅から歩いて二キロほどだと聞いている。念のため地図にしたためてもらった道順も途中何度も見直したからとっくに頭に入っている。
もっとも、今の時期なら地図なんて要らないと相手は豪語したのだ。 駅から出たら右手を見ろ。山際のひときわ目立つ桜の木が目印だからと。
なるほど見間違えようがない。田んぼの向こう、里山の連なるあたりに一本、遠目にも白く花をつけた見事な桜がある。
ただ問題があるとすれば。
どう見てもあそこまでは二キロじゃきかないってことだよな……。
ため息をつきながら高耶は荷物の詰まったショルダーをゆすり上げ、霞のかかる山並み目指してはじめの一歩を踏み出した。



連休を挟んだ十日ほどの期間、趣味と実益を兼ねたバイトをしないか?
そう声を掛けてきたのは、顔見知りの非常勤講師。 俺の見立てじゃおまえが一番適任だと思うんだがと、前置きした上での話の内容は高耶の興味を引くのに充分だった。
彼の遠縁にあたる人物が先ごろ相続した旧家の蔵の整理をするに当たって、住み込みの助っ人を探しているという。
元々は名主の家柄だったから、古い古文書の類も保存してある。貴重な資料と相対するのは近世史を学ぶ学生にとって絶好のフィールドワーク。 手弁当でもやらせてもらいたいところに、かなりの報酬を払ってくれるというのだから 願ってもない美味しい話だろ?な、おまえもそう思うだろ?
一気に畳み掛けられて、素直に頷くより先にふと疑念が影をさした。
この講師だって専門は近世だ。遠縁というならなおさら、何故自分が手伝わないのだろう?
そう疑問をぶつけると、彼はやれやれといった風情で頭を掻いた。

遺言によって家屋敷を相続したのはこの講師の従兄弟にあたる人物だが、やはり、最初は彼本人に手伝いの話がきていたらしい。
「けどな、自慢じゃないがその家は本っ当に田舎にあってな…」
山と田んぼと畑ばかりで周囲にコンビニや弁当店の類はない。つまり日々の食事は自力で用意するしかなく、その従兄弟も含め、料理の心得のない彼らはそんな状態で十日も暮す自信がないのだという。
それにしたって、大袈裟な話だ、と高耶は内心ため息をついた。
無人島じゃあるまいし、不便といっても商店ぐらいはあるだろう。レトルトなり冷食なり、十日分を買いだめすればそれですむ話ではないか。
率直に直言すると、講師もまた深いため息をついた。
「おまえなあ……三食それで意気が上がると本気で思うか。仕事の能率に係わるだろうが」
確かに。
レポートで忙しい頃の己の食事情を鑑みて、高耶は少し納得をする。
そんなときに限って素朴な芋の煮っころがしなんかが無性に食べたくなったりするものだ。
が、家庭料理を振舞うにしても高耶だって一人暮らしの必要に迫られて台所にたつ程度。大の得意というわけではないしレパートリーも限られる。
ここは男の自分より料理自慢の女子学生に頼んだほうがよくはないか?
再度意見を述べると、講師は憐れむように頭を振った。
「忘れたか?雇い主は俺のイ・ト・コ。若い盛りはちいっと過ぎたが立派な独身男性だ。 そんなヤツと人里離れた一ツ家で十日も一緒に暮らすバイトを女の子に紹介できるかっつーの」
万一でも間違いがあったらどーするんだと、ぶつぶつ呟く姿はまるで心配性の父親のようで。
故郷に居る妹を思い、なるほど、それは風紀上宜しくないと、激しく同意した高耶だった。

その後は押しの強い講師にそのまま押し切られた。
とりあえず、バイト料はいいし、勉強にもなる。 高耶の側に積極的に断る理由はない。
その上、素人料理を作るほかの家事一切は、死なない態度でかまわないとまで講師は言い切って。

今、こうして高耶は田舎道をてくてく歩いている。



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イラズノモリと同工異曲の話を少々
実はこの書き出しでどっちにも転びそうだったんでした(苦笑)
そしてまだこれの結末は視えない…(おい)











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