見れば見るほど立派な桜だった。 遠目からでもよく目立つその樹は、こちらが見据えているときは一向に変わり映えがしないのに、ふと視線を落としまた上げると、どんどんその存在感を増していった。 遠近の測り難い田んぼを抜ける農道もようやく終わりが見えてきて、高耶は暫し足を止める。 本当に一幅の絵画を見るようだった。 里山を背景に建つ家屋、ぐるりと続く白塗りの土壁。それらすべてを従えて立つ桜。 ちょうど今は花の季節でパステルカラーの優しい色合いにまとめられているけれど、夏も、秋も、冬も、きっと此処からの眺めは四季折々に美しい表情を見せるのだろうと 思わせるような。 そんな郷愁めいた夢想を破ったのは、砂利を踏むタイヤの音。 他ならぬ家屋の方から聞こえてきたそれに高耶は我に返る。 程なく門扉からゆっくりと滑り出てきたセダンは、道に出たところですぐに停まった。 おそらくは自分に気がついたのだろうと、高耶もまた会釈を返して様子を窺う。 こんなところを用事のない余所者が歩いているとも思えないし、車の主だって此処から出てきたからには今回の雇い主に違いない。 降りてきたら挨拶しようと構えていたのに、その相手はなかなか姿を現さなかった。 もしかして、人違い?いや、ひょっとして場所ごと間違えたとか? 嫌な連想ばかりが働いて冷たい汗を感じた頃に、ようやくカチャとドアの開く気配がする。 降り立ったのは端正な物腰の長身の男性。件の講師の口ぶりよりも数段上の美丈夫だった。 そんな男が信じ難いものを視るような、やけに真剣な眼差しを高耶に向けてくる。 その雰囲気に呑まれて、つい声を掛ける機会を逸してしまった。 数メートルの距離を隔てて突っ立った男二人が見つめあっている様は、傍からすればかなり間抜けに見えたろう。当事者たる自分だってそう思うのだから仕方がない。 でも今さら口火は切りにくいし、黙りこくったまま近づくのも気まずいし。 煩悶する高耶をよそに、やがて、男は夢から醒めたようにふっと表情を和らげた。 「仰木さん?」 確かに自分のことを知っているのだとそんな声音で問われて、救われた思いで頷いた。 「はい。仰木…高耶です。今回はよろしくお願いします」 「こちらこそ。直江といいます。あなたのことは修平から聞いています。買い物がてら駅まで迎えにでるつもりだったのですが、つい、時間を過ごしてしまって……ご不便をかけてすみません。こんな田舎の無人駅で一人にされてずいぶん心細い思いをしたでしょう?」 折り目正しい物言いと気遣う口調に恐縮し、反射的に首を振る。 「いえ、道順は千秋…先生に教えてもらっていたし、立派な目印もありましたから。本当に見事な桜ですね」 振り仰ぐ自分につられて相手も上を見たのだろう、声のトーンが違って聞こえた。 「言い伝えではこの桜に一目惚れした先祖が此処に棲みついたとか……。 こうして見るとその気持ちも解らなくはないですね。……さ、立ち話もなんですから、中へどうぞ。今、車も退けますから」 急に話を切り替えられて、なぜだか高耶のほうが慌ててしまった。 「あ、でも、これから買い物なんでしょう?よかったら同道させてもらえませんか?お店の場所、一度教えてもらえれば次からは一人で大丈夫だと思うから」 自分のほうこそ唐突で図々しい申し出だったかもしれないとそう思ったのは、鳩が豆鉄砲を食らったような男の顔に気がついてから。 でも一度切り出してしまった言葉は取り消せない。 「その、ここ、方向転換するのも大変そうだし、それに、出鼻挫かれると行く気が失せたりもするし……」 どんどん言い訳めいてくるのが我ながら情けない。居たたまれなくてつい俯いてしまったから、 どんどん優しくなっていく男の視線に気づかなかった。 だから。 「それもそうですね。お茶の一杯も出さないのに急かして申し訳ないですが、先にこちらにつきあってくださいますか?」 そう朗らかに問われて逆に吃驚した。 「え、あ、はいっ!」 にこにこ笑う笑顔に後押しされて、高耶はあたふたと助手席に乗り込む。 そうして、男は、まるでそうすることが最初からの予定であったみたいに平然と車を発進させた。 |