しんとした大気。湿った落ち葉の匂い。 独特の静寂が呼び起こすものは、まるで自分が世界から切り離されたような、漠とした不安。 再び足を踏み入れたイラズノモリの印象は、十年前と変わらなかった。 それでも、同じように迷うわけにはいかない。 ……でも待てよ。 モリの際で佇んで、高耶は暫し腕を組む。 あの時は必死で帰り道を探しまわって結局直江のところにたどり着けた。だったら今度も迷ったほうがいいんじゃないか? いやいやいや。それじゃせっかく直江のくれた地図が無駄になると思い直して、我ながらの無茶苦茶ぶりに、一人、笑いがこみ上げた。 つまるところ、自分もさほど変わってはいないのだ。 ならば、大丈夫。多少の回り道はするかもしれないけれど、モリは、きっと直江の元に通してくれる。 口元に笑みを残したまま、高耶はもう一度、ぐるりとあたりを見渡した。 モリは季節によってその貌を変えるのだと、昔、そう直江は言っていた。 たとえば見事な花畑が一ヵ月後にはただの草むらになってしまうこととか、 高耶の身体に誂たように楽々通り抜けられた秘密のトンネルが、実は晩秋から春先限定で夏の間は藪に覆い尽くされてしまうのだとか。 キイチゴやアケビなんかはもっとそう。実をつける時期は一年のうちのほんの少しの間だけ。 だから場所を覚えておきたかったら葉っぱの形や枝ぶりをよく見ていてくださいね、と。 その教えが役に立った。 だってさっきまではなんの変哲もない下ばえに見えた緑の蔓が、今はちゃんとつやつやしたサルトリイバラの葉っぱだと解るから。 秋になってつけるこの蔓の珊瑚珠みたいな真っ赤な実が大好きだった。 さらに言えば、御伽噺にあるようにトゲのあるこの蔓から本当に糸が取れるものか、石で叩いて試してみたことさえあったのだ。 今いる此処がイバラの茂みの場所だとすると―――、高耶は頭の中で地図を広げる。 出発点(今に限っては到着点であるが)だった直江の家の裏庭に戻るにはああいってこういって―――、でも今は季節が違うから通れない道もある。 だったらあそこの二股道をこう曲がってあの木のわきを通り過ぎて―――こうだ。 頭で検討したルートを今度は地図の目印とも照らし合わせる。すると、 さっきまではなかったルートと終点の丸印が紙に浮き出ていて、花丸もらった子どもみたいに高耶は笑った。 正解です。よく覚えていましたねと、直江にほめてもらった気がした。 もう安心だ。後は道を進むだけ。直江はきっと待っていてくれる。 逸る心を抑えながら深呼吸をひとつ。 そしてしっかりとした足取りで高耶は木立の中を歩き始めた。 あの頃よりは高くなった自分の目線に、目印を見落とさないよう気をつけながら。 こんもりしたサルナシの木。 今は茫々伸び放題の花畑。 花芽とはがらりと印象の変わったネコヤナギの枝。 モリの縁はもうすぐだ。 突然視界が開けた。懐かしい風景の中、懐かしい人が見えた。 昔は転げ落ちてしまった一メートル足らずの段差を、今日はなんなく飛び降り一気に傍に駆け寄る。 「直江っ!」 こんなに年月が経ったのだ。 会えたにしてももっと面映かったり気まずかったりするんじゃないかと少し心配だったけれど、それはまったくの杞憂だった。 直江は昔のまま、自分を認めて微笑んでいてくれる。それがこんなにも嬉しいことだなんて、実際に会ってみるまで解らなかった。 「……ただいまっ!」 もう振り仰ぐほどの身長差はなくなったけど。それでも間近に見交わせば、まだ直江の方が背が高い。 息弾ませる高耶を緩やかに引き寄せて、直江は笑った。これ以上ない幸福な笑みだった。 「おかえりなさい。そしてイラズノモリへようこそ」 「十年ぶりだけど……直江は全然変わらないのな」 「十年経って、あなたは本当に美しくなりましたね」 「……それ、十八にもなったオトコにとっては、全然褒め言葉じゃないんだけど?」 「でも本当だから仕方がない」 悪びれない直江の言葉に思わず高耶が苦笑して。 そうして約束は果たされたのだった。 この裏庭が実は異界の風穴であり、イラズノモリはその緩衝帯であること。 自分は、人と異形との間に無用な騒ぎが起きぬよう天帝から遣わされた関守なのだと、 種明かしのようなうち明け話を寝物語に聞かされたのは、それから程なくのことだった。 |