そんなのはあり得ない。 だって、直江は男で、自分も男で。そもそも恋愛対象にすらなっていない。 だから、相愛なんか、考えられない。 そう、言下に否定しようとした。 が、咄嗟に開きかけた口はそのまま固まって、またへの字に結ばれてしまう。 翁の言葉が正鵠を射ていることを、すでに心のどこかで知っていたから。 認めたくなかったのだ。 直江との今の関係が心地よすぎて。恋心を認めてしまったらきっと何かが変わってしまうと、 それが怖くて、ずっと気づかぬふりをしていた。 でも。 こうしてあからさまに指摘され突きつけられてしまったら、これ以上の否定は公正じゃない。 それは高耶を高耶らしめている根幹でもあったから、そこだけは譲るわけにいかない。 結果、高耶は、翁に対して否定も肯定も返せず、ただ唇を噛みしめる仕儀となった。 そんな高耶を前にして、本当にこのお人は、と、理吉も内心嘆息する。 凛とした強さ、潔さは、人ならぬ身の昔のまま。 人として生れ落ちた今も、その気性は変わらず真っ直ぐに前を見据え、そのくせ、純真な子どものようにどこか無垢でおぼこいのだ。 まったく危なっかしくて愛おしくてたまらない。 彼が人として生きるに至った経緯を、理吉は承知している。 二十年前の甥孫と彼との邂逅を漏れ聞いてしまったからだ。いつもは気配を察するのがやっとの自分が、あの会話だけははっきりと耳に届いた。 つまりは、それほど彼が昂ぶり、あたりに気が満ちていたのだ。 前世以前からの深い深い縁で結びついている二人が、人間として生れ落ちた今生で恋仲になるのは至極当然のこと。 理吉はそう思うが、さて、高耶はどうだろうか。 記憶にもない因縁を持ち出したりしたらただでさえ潔癖な彼の心をさらにこじらせてしまいそうだ。 今は、まだ時期尚早。もう少しふたりの様子を見守るほうがよかろうと、この切り札を胸一つに収めることにする。 なによりすぐそこまで来ている別れの刻に、彼には笑顔でいてほしいから――― 理吉は噛んで含めるように、語りかけた。 「ご自分の心に素直になっても、何も悪いことにはならぬと思いますぞ。 あなたさまは、あの甥孫が大事、一方の甥孫はそれ以上に主殿一筋じゃ。悪いほうに転がりようがない。 ……そうはお思いになりませんかな?」 「……そうかな?」 ようやく出された助け舟に泣きそうな顔で高耶が返す。もちろんしたり顔で翁も頷く。 「そうですとも。だから、安心してあれにあまえてやってくだされ。ああ見えても儂の血筋、主殿の思う以上に強かじゃ。 寄りかかってもびくともせん。現に今も―――」 視線を遠くに飛ばしていた翁の声は途中で途切れ、代わりに不思議な笑みが浮かんだ。 高耶が質す間もなく、有無を言わせぬ口調が続く。 「さて。主殿。そろそろ刻限じゃ。火を焚いてくださらんか。そしてまた来年呼んでくだされ。頼みましたぞ」 あたりはもう薄闇に包まれていたから、高耶も黙って従った。 寂しくて、切なくて、でもやはりパチパチ爆ぜる明るい炎は魅せられるほどに綺麗で。 「楽しかった。ありがとう……」 炎を見つめたまま、そう呟く。 煙が目にしみて、涙が滲んだ。それを乱暴に拳で拭う。 「また来年。きっとだよ……」 やがて送り火の炎も消えて、そうして高耶は独り闇に残された。 何をする気にもなれず、今まで翁としていたように縁側で夜を過ごした。 翁が褒めてくれたあの冷酒を一人手酌で杯を重ねる。 もう酔い潰れてしまっても、誰も上掛けを掛けたりはしてくれないのだ。 ほどほどにしとかないとな―――どこか冷めた頭で思ってはいても、もう身体はうまく動いてくれなかった。 ごろりと横になって目を閉じると、耳が痛くなるような静寂とそれに紛れた夜の物音が聴こえてくる。 裏山から響く梟の声。 何に驚いたか甲高い雉の叫び。 庭先からはまだ微かな虫の音。 前の道路を徐行する車の気配。 ……タイヤが砂利を踏む異音。すぐ近くに。 そしてエンジンが止まり、 バタンとドアが開いて、閉まって、人の歩みが近づく足音。最初はゆっくり、次第に早足。 焦がれていた声が聞こえる。 ―――高耶さん?高耶さん?! ああ、理吉さんは知っていたんだ。直江が此処にやって来るのを。どうせなら、もう少しいてくれて直江と会ってくれたらよかったのに。 目は瞑ったまま、くすくすと笑いを洩らす。 血相を変えた直江が外から回り込んできたのは、それから、すぐ。 「高耶さん!」 抱きかかえたその瞬間に、高耶が目を開いた。 「おかえり、直江」 これまで見たこともないような、うっとりと花綻ぶような貌だった。 |