直江の住まいに押しかけたのが木曜日。 続く四日間を、高耶は直江とともに過ごした。 初めて身体を重ねた。 初めてふたり同じ床で眠りについた。 今までそうしていなかったのがいっそ不思議なほど、直江の傍らは心地よくて。互いの肌がしっくり馴染むようだった。 メールや通話では伝え切れなかった日々の徒然をいっぱい話した。 理吉と出逢ったことも正直に告げた。 その経緯を語るにつれ、はじめ驚きに目を瞠っていた表情が徐々に柔らかくなって微笑が浮かび、そしてまたいつのまにかその眉間にしわが寄る。 「なに?ひょっとして妬いてんの?」 冗談交じりに尋ねれば、その通りですと真顔で頷かれて。 「でも、霊体の理吉叔父にこんなことはできませんよね」 そう言って抱き寄せられ髪を撫でられ頬触れ合わせてうなじに顔を埋められる。 まるで主人の愛を確かめたくてかまって欲しがる犬みたいに。 「直江っ!くすぐったいって!」 笑いながら押しのけようとするけれど、直江の過剰なスキンシップは一向に収まらなくて。 他愛のないじゃれあいがやがて熱と疼きを帯びた愛撫に変わっていくのも、また無理のないことだった。 互いにあまえて甘やかされて満たされた蜜のような週末。 名残惜しげな直江にキスをひとつくれて、月曜の早朝、高耶はまた田舎の家へと戻っていった。 「ワヒコにさ、泣きつかれちゃったんだよ。宿題アテにしてたのにもう帰っちまうのかって。 んで、それ聞いてたばあちゃんと母さんに二人がかりでこづかれてるの見てたら、なんか可哀想になっちゃってさ…」 とりあえず自助努力、それでも解らないところは週明けに見てやる約束をしたのだ、と。 「本当に、妬けますね…」 ためいきまじりに直江は言ったが、 日頃、世話になりっぱなしの隣家の主婦二人にも拝むようにして頼まれたと聞いては、諦めるしかない。 「来週末には迎えに行きますから。引き上げる準備をしていてくださいね」 「うん。解った。……じゃあ、行ってきます」 「どうか、気をつけて。行ってらっしゃい」 いつもとは立場の逆転した見送りとコトバ。高耶だって後ろ髪は引かれたけど、それも電車のシートに納まるまで。 何度か乗り換え、車窓の風景がのどかな田園のそれになるにつれて、帰ってきたのだという思いが強くなっていった。 開けっ放しの無人の駅舎を風が抜ける。 相変わらずの晴天だけど、吹き抜ける風にすでに秋の気配を嗅ぎとれる気がする。 真っ直ぐな青い穂の揃う一面の田圃。遠目に霞む桜の樹。 初めて此処に降り立った数ヶ月前は、ただ心細いだけだった。それが今は旅の終わった安堵感さえ感じるほど、この景色に馴染んでしまった。 さて、もう一息。 駐輪場に停めっぱなしだった愛用の自転車にまたがると、ぐっとペダルを踏みしめた。 とりあえずの挨拶とお土産を手渡すだけのつもりで寄ったお隣で、高耶は思わぬ足止めを食った。 応対に出た刀自とろくに言葉も交わさぬうちに、玄関へ飛び出してきた和彦に引っ張り込まれたのだ。 すでに机には付箋のついた数冊のワークが広げられていて、そのまま 高耶はなし崩しに和彦との約束を果たす羽目になった。 おやつをいただき、夕食をよばれ、泊っていけという強引な誘いをなんとか振り切って、ようやく家にたどり着く。 (さすがに、疲れた……) 静まり返った座敷に大の字に寝転がる。 (なんか、寂しがる余裕もなかったよな) 本当は少し心配だったのだ。直江との濃密な時間を過ごした後だったから、此処で一人に戻る暮らしはまた心がどうにかなってしまうんじゃないかと。 でも、杞憂だった。当の高耶も意外なほど、きっちり気持ちの切り替えができてしまった、らしい。 (直江には悪いけど……な) 午後からは携帯をいじるヒマもなかった。きっと直江はやきもきしながら高耶からの連絡を待っているだろう。 その様が目に浮かぶようで、高耶はくすくす笑いながら、短いメールを送る。 すぐにコール音が鳴った。 もっぱら話しかけるのは直江の方で、高耶からはああとか、うんとかを繰り返すだけのやり取り。 それでも互いにおやすみを言って通話を終えた後も、まだ直江の余韻に包まれているよう、満ち足りた優しい思いは眠るまで続いた。 学校が始まるまでの三日ほど、高耶は和彦の課題に付き合った。 最初は一対一だったのが次第に部活の仲間もやってくる。 増え続ける人数に合わせて座卓を三つくっつけた宴会場のような卓面に広げられたノートや教科書に、持ち込みの菓子、飲み物。片隅には、最大限に首を振りながら風を送る扇風機。 鈴木家の座敷はすっかり私塾の様相を呈してしまった。 わいわいがやがや。 開け放たれた続き間は育ち盛りの中学生で喧しい。 にぎやかに勉強もするけど、当然脱線する連中もいる。 笑いの絶えない中、要所要所でしっかり手綱をしめる高耶は、頼りがいのある兄貴分としてすぐに皆に懐かれた。 アパートでの一人暮らしのこと。学校の様子、交友関係、サークル活動。皆、興味津々で、気がつけば質問が高耶自身に向いてくる。 そもそも一夏此処で過ごすきっかけ、大学での専攻について語る流れで、教職免許も取れるのだとなにげなく口にすると、場が一斉にどよめいた。 なら、なってよ! 高兄が先生なら楽しいよなっ! 教え方、解りやすいし。歳も近いし。部活の顧問、争奪戦になるんじゃね? 言えてる!バドなんかほとんど名前だけだもんな。 本人の意向をよそに和彦たちの話はどんどん盛り上がっていく。苦笑しながら聞いているうちに、それもいいなと思えてきた。 元々、社会科の教員免許は取るつもりでいるのだ。もしも受け入れてもらえるのなら、ここの中学校で実習ができるかもしれない。 なんだか急にわくわくしてきた。 そしていつか本当に赴任できたら。 此処に住まう正当な理由ができる。 ただの留守番、居候でなく、一年三百六十五日、四季の移ろいをこの身で感じ取りながら、 本当にこの土地に根ざした生活が送れるのだ。 時間にすればほんの一瞬。その瞬きほどの間に、 この数週間、高耶の中で少しずつ根を張り巡らしていた思い、高耶自身も自覚することのなかった思いが、 このなにげない会話をきっかけにして、一気に芽吹き枝葉を伸ばして確かなものへと変わっていく。 まるでタイムラプスの映像を見るように。 それは、ここでの暮らしの愛着が一気に育って花開いた未来への展望だった。 「高兄?どうしたの?ぼんやりして」 「…あ?いや、なんでも」 気がつけば、彼らの話題はすでに別なものへと移っている。 怪訝そうな和彦に笑みを返して、高耶はぱんと手を叩く。 「お喋りはここまで。お昼までにワークの目処をつけるぞー。仕上がったヤツから順に個人的にテストのヤマ掛けしてやるから」 「「えええーっ!」」 途端にあがるブーイング。 それでも一人、また一人と真剣に課題に集中しだすのは、テストのヤマ掛けというアメが効いた所為だろうか。 静まり返った座敷にサラサラとシャーペンの走る音が響く。そこに重なる扇風機のモーター音、そして外から聞こえる蝉の声。 高耶にとって、一生忘れられない夏休みになった。 |