その日の午後、直江は初めて高耶からのメールを受け取った。 今、戻りました。 夕飯にカレーを作ろうと思います。 そっけないほど事務的な文面で、 今朝はずいぶんくだけた物言いになっていたのにと、少し残念に思いながらもすかさず返信を送る。 お帰りなさい。お疲れさまでした。 七時過ぎには帰れます。 デザートにプリンでも買っていきましょうか? すぐにまた送り返された画面には、喜び満面の絵文字がひとつ。 直江もまたにやける顔を必死で取り繕わなければならなかった。 そんなわけで、帰宅した直江を出迎えてくれたのは、高耶のわくわくした顔と、そこはかとなく漂うカレーの香り。 「お帰り」と言う高耶に、「ただいま」と応え、深く息を吸い込んで 「いい匂いですね」と、付け加えた。 「アパートの冷蔵庫に材料残っててさ、勿体ないから持ってきた。 特売品ばっかだから、直江の口には合わないかもだけど……」 プリンの箱を捧げ持つようにして受け取りながら心配そうに口ごもるのを、 すぐにでもご馳走になりたいですと、笑顔で打ち消す直江だった。 乱切りにしたニンジン、タマネギ、ジャガイモと、一口大に切った肉。 高耶の作ってくれたチキンカレーは、いかにも家庭的な見た目で、おふくろの味を思い出させる懐かしさだった。 一口食べて、相好を崩す。 「美味しいです。とっても」 向かいで様子を窺っていた高耶がほっとしたようにスプーンを口に運び始める。 「お肉がしっとり、ほろほろですね。圧力鍋でも使いました?」 いやいやいやと首を振って、高耶が面映そうに種明かしをしてくれた。 「鶏肉、ヨーグルトに漬け込んでいたから。やわらかくもなるけど日持ちもするんで、特売の肉買ったときはたいていそうしているんだ。 無駄にしないでよかった……」 そのなにげない一言に、高耶の人となりがすべて表れている気がした。 きっと、地にしっかり足をつけた暮らしぶりだったのだろうと思う。 浮つかず、労苦を厭わず、何事にも誠実に向き合うような。 「本当に美味しいです……。高耶さんのお料理、カレーだけじゃなくて他のも食べてみたくなる」 さりげなく強請ると、高耶がきょとんとして顔を上げる。 「作れっていうなら作るけど。たいしたもんは出来ないぜ? 魚の切り身焼くとか、肉焼くとか。あとは小鉢におひたしとか奴豆腐とか。 で、暑いときは素麺で、寒くなったら鍋。まあ、そんな感じ?」 実に男らしい豪快な献立だ。でも彼が手を掛けてくれるならどれも吃驚するほど美味しいに違いない。 「それで充分ですよ。早速、明日の夕飯もお願いしてかまいませんか?後で買い物用のお財布お渡ししておきますね」 そう言うと、見る見る顔が輝いた。 「そりゃ助かる。下のスーパー、便利だけどぼったくり値段で……」 途中でごもごもと口ごもるのは、店内に入っては見たけれど思うようには買えなかったということだろうか。 だとしたら、申し訳ないことをした。タクシー代などと言わずに黙って財布を預ければよかったのだと後悔しながら、改めて念を押す。 「私もご馳走になるんです。食費として必要なものは好きなだけ買ってください。あ、もちろんあなたのおやつもですよ? 美味しいモノが揃っているという噂ですから」 「了解。じゃあ遠慮なくお言葉に甘えます」 でも今はお土産プリンが楽しみだと、そんな嬉しがらせを言ってくるから、直江の気分もたちまちに浮上する。 なごやかな雰囲気のまま食事は済んで、プリンを食べて。 直江は当然のように自分の分も高耶に進呈して、高耶も遠慮しいしいそれを受けたのだった。 食後の時間は彼のたっての願いで、ちょうどBSで再放送されているドラマを見た。 彼曰く、すごく見たかったけど以前うっかり見逃して地団駄踏んだ回、だそうで。 設備が彼の役に立てばそれでなにより。直江は珈琲を淹れて、テレビの前に陣取る高耶にそっと差し入れ、その傍らに腰を下ろす。 暫くの間、俳優たちが繰り広げるどたばたを見るともなしに眺めていると、肩のあたりが不意に重くなった。 食い入るように画面を見つめていたはずの高耶の頭が、ふらふらとこちらに向かって傾いてくる。 そっと手を伸ばし、うつらうつらしている彼の頭を肩口にもたせかけると、そのまま安心したみたいにすぅと寝入ってしまった。 寝息が聞こえて、心地よい彼の重みと温みを感じながら、ただじっと彼を支える背もたれになりきる。 今日一日、彼はいろいろ頑張ったのに違いないから。 せめて少しばかりの休息を。 自分という存在が傍にいても、うたた寝できるほどには気を許してくれているのだと思うと、もうこみ上げる笑いを抑えることができなかった。 画面からは相変わらず騒々しい台詞の応酬と効果音。それでも高耶が目覚める気配はない。 彼を揺り起こすのは、ドラマが終わるまで待とうか。 きっと彼はまたいいところを見逃したと口惜しがるだろうけど。 気づいてたならなんで起こさなかった?と逆ねじ食らわすかもしれないけれど。 今は、この状況を存分に楽しみたい。そう思う直江だった。 |