はじめに


先日、月花草さま宅に、拙作「Precious 誕生日のおくりもの」をもらっていただきました。

以下は、その続きというか前振りというか背景というか・・・。
本当は「僕が遊んであげる」の台詞を書きたいゆえのお話だったはずなのですが。
・・・・・・どんどんどんどん膨らんじゃって、差し上げものだけでは収まらず(苦笑)
結局自分ちで続けることとあいなりました。
月花草さん、こちらに続けさせていただくこと、ご了解くださってどうもありがとうございました。










Precious ―なれそめ― 




先代が建てたという光厳寺所有の古びた家作。
今時、こんなぼろやを借りる物好きはいないと長兄が断言して憚らなかった、その長屋の一画に借り手がついたのは、まだ春も浅い頃だった。

だだっ広い敷地にへだてられてはいてもいわゆるお隣りさんであり、大家という立場もある。偵察がてら(と、直江は思っている)自治会の案内を持って挨拶に出向いた春枝は、やがて、少しとまどったようなおももちで戻ってきた。

曰く。その仰木という借家人には、まだ小さな子どもがいるらしい、と。

別に支障はないだろう。そう、直江は思った。
子どもに少々汚されたところで目くじら立てるほどの家ではない。むしろ先方もそういう基準で古いこの物件を選んだのかもしれないのだから。

だが、母の懸念は別な方をむいているようだった。

「だって、こんな寂しい処なのよ?墓地と林に囲まれて。自然がいっぱいといえば聞こえはいいけど、孟母三遷の例えもあるでしょう?学校にもかなり歩かなきゃいけないし、好んで子育てしたい場所とも思えないわ。」

それではその寺の境内を遊び場に育てられた、自分たち兄弟の立場はいったいどうなるのだろう?と、 内心で嘆息しながら、訊き返した。

「それで?その仰木さんはうちを選んだ理由をなんて言ったんです?」

「勤め先に近くて家賃が格安だったからですって。お子さんのことは考えにも入れなかったような口ぶりだったわ。今度一年生になる男の子らしいんだけど…、入学するのを機に一緒に暮らすことにしました…って。じゃあ、それまでは別々だったのかしら?詳しくは伺えなかったけどなにか訳ありみたいねえ……」

「はあ……」


そんな茶飲み話から数週間後、気がつけば、母はすっかりくだんのその子と仲良しになっていた。
時々、座卓にキャラクターのついたカップが載っていたり、昔、自分たちが使った古い図鑑やおもちゃが茶の間の片隅に片付けられていたりする。
が、直江は一向にその子と逢うことができなかった。
まるで警戒心の強い野鳥のように、彼は人の気配を察すると、ばたばたと逃げ帰ってしまうのだ。

「高耶くん、恥かしがりなの。でもすごくいい子なのよ。」

そう言って子どもを庇う母の顔は、まるで慈母のそれだった。
末っ子の自分にも手の掛からなくなった今、久しぶりに小さな子の相手をするのが楽しくて仕方がないといった様子で、本当にその子のことが可愛くてたまらないらしい。
そんな母も可愛らしくてつい笑みが零れた自分に何を思ったか、母は背筋を伸ばして、厳かに命じたのだった。

「義明。あなたも学校が始まったらちゃんと面倒見てあげてね。まだこのあたりには不慣れなんだから」

「はあ」

まさしく、鶴の一声。
その迫力に思わず気の抜けた相槌を打ってしまったものの、そのときの直江はまだまだ彼のことを真剣に考えてはいなかった。


数日後。
実際、そんな会話があったことさえきれいに忘れていた新学期の朝、いつものように駅までの道を歩くうちに、後ろからついてくる小さな影に気がついた。

話し掛けるでなく視線を合わせるでなく、それでも懸命にはぐれまいとして一定の間隔をあけて追いかけてくる。
土塀と林と墓地とが点在するこのあたりは、人気もない上に確たるランドマークもない似たような風景が続いている。なるほど小さな子どもにとったら、果たしてこれが正しい道なのか本当に学校へ行けるのか、不安で不安で仕方がないのだろう。

自分が立ち止まれば一緒に止まるし、声を掛けようと振り向けばそっぽを向いて慌てて隠れようとする。
その仕種に気を削がれて再び歩き出すと、彼もまたとことこと歩き出す。

その様子がやっぱり警戒心の強い仔猫のようで、笑いをかみ殺して歩くうちに、ようやく道は、人通りの多い通りへと合流した。
ランドセルを背負いおそろいの帽子を被った年嵩のこどもたちが数人歩いているのを見て、ようやく物言わない連れは安心したらしい。小学校の方角へ、今度はその上級生たちの後をついていく。
その後ろ姿を見届けて、おもむろに直江は駅へと踵を返した。心の奥にふわふわとした暖かいものを感じながら。


思えば、高耶だって必死だったのに違いない。
慣れない土地に引っ越してきて。道もまだよくわからないというのに、あたりは本当に寂しいところで。
おそらくは春枝あたりに言い含められていたのだろう、自分の姿を目印に、縋るように追いかけてきたのだ。
元来が人見知りの激しい子なのだろう。それとも自分という人間を見定めているのだろうか、無言のまま後をついてくる朝が三日ほど続いて、ついに、直江はそのもどかしさに我慢ができなくなった。

「おはようございます」

ぴたりと立ち止まって視線を合わせ、逃がさないよう気迫を込めた声を出す。

「あ……、お、おはようございます」

咎められると思ったか、それとも緊張してるのか、どもりながら高耶は小さく挨拶を返した。
その脚が竦んでしまっているのに気づいて、今度はなだめるように直江は微笑みかける。

「高耶さんでしょ?今度越してきた仰木さんとこの。せっかく同じ方向なのに、ふたり黙って歩くのもつまらないから、少しお話しませんか?」

「え?」

吃驚したように見上げてくるこどもらしい柔らかい顔立ちが、匂いたつように輝いたその瞬間を、直江は生涯忘れることはないと思う。

莟んでいた花が綻ぶように、群雲から月影が射すように、みるみる高耶の表情が明るくなる。
嬉しそうに微笑み、こっくり頷いてくれるその様子に、春枝同様、直江もすっかり囚われてしまったのだった。






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月花草さんにもらっていただいた、小学一年生の高耶さんのお話の始まり部分です。
こんな朝があって、それからしばらく日が過ぎて、直江にすっかり懐いた頃にあんな「台詞」が出たのではないかと(笑)
私が抱きしめたいほど可愛いっ!と思った月さんのお子さんは、母の日にこうおっしゃったそうです。

「プレゼントとして僕が遊んであげるからボウリングに行こう」

ね?ね?ね?…なにかこう、悶えるほどにこみあげてくるモノがあると思いませんか?みなさま?(笑)
即物的にポテチとカレーパンをもらっていた私は、この言葉に撃沈しました。
で、発作的に書き殴ったのがあの話。
…素直に言葉どおりの意味に使えなかったのが、少々心苦しいです。
改めまして、月花草さん(と、そのお子さんにも)どうもありがとうございました。








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