先年、月花草さま宅に、拙作「Precious 誕生日のおくりもの」をもらっていただきました。
以下は、その続編になります。
本当は「僕が遊んであげる」の台詞を書きたいゆえのお話だったはずなのですが。
・・・・・・どんどんどんどん膨らんじゃって、差し上げものだけでは収まらず(苦笑)
結局自分ちで続けることとあいなりました。
月花草さん、こちらに続けさせていただくこと、ご了解くださってどうもありがとうございました。
Precious ―スクールデイズ―
再び始まった、「お隣り」さんの日々。 もちろんそれぞれに独立した生活基盤があるのだから、始終一緒にいるわけでも毎日逢える確約もないけれど。 同じ建物内に高耶の暮す家がある。いつでも様子を見にいけるという現実は 互いの心的距離もぐっと縮めた。 高耶が気安く部屋にあがりこむ。本を読んだりゲームをしたり、時には気持ちよさそうににうたた寝をしていくこともある。 その様子は実家の家作に越してきた頃とまったく同じように見えて、実は、少し、違う。 心身ともに成長し世間に対して構えることもおぼえた彼が、自分の傍では以前のように甘え、寛いでくれることが 嬉しい。 直江にとっては夢のような日々が瞬く間に過ぎ、季節は秋を迎えていた。 「オレ、中学受験してみようと思うんだ」 月末を控えた金曜日、いつものように高耶の父は残業で、ふたりで夕飯を食べ終えたお茶の時間、 そう、さりげなく高耶は口にした。 ココアの優しい湯気を吸い込んでほっと安堵の息をつく、その吐息に載せるみたいに。 「はあ…」 間抜けな相槌を打ったきり、すぐには返事を返せなかった。 それほど意外だったのだ。 高耶の口から、受験という言葉を聞くのが。 彼の成績が優秀なのは知っていた。私学に挑戦しても不思議ではないほどに。 それでも高耶はこのまま近くの中学に進むのだろうと、漠然と考えていた。 実を言えば、小学校を終えることさえまだまだ遠い未来のことと、深く考えたことはなかった。 ぬくぬくと寄り添っていられる今の時間がなにより大切だったから。 が、どうも高耶は違うらしい。 自分と同じ日々を暮らしながらも、きちんと己の将来を見据えている。 彼のその志の高さが誇らしくもあり、逆に互いの想いの温度差を突きつけられたようで、浮かれていたのは自分だけだったのかと置き去りにされた思いもした。 彼に、非はないのに。 押し黙ったままの直江の向かい側、掌に包んだカップに息を吹きかけながら、高耶も無言でいる。 熱すぎる中身を冷しているふりで、自分の答えを待っているのだ。 沈黙が重苦しさをおびないうちにと、ようやく声を絞り出した。 「何処を受けるつもりなの?もう志望校は決めているんですか?」 「うん。隣町の〇〇。都立で中高一貫だっていうから」 「ああ、なるほど」 直江にも聞き覚えのある名だった。確か、ここから電車で十五分ほどの距離にある学校だ。 公立でのレベルの高さを取り戻そうとその筋の肝いりでモデル校に指定されたと、しばらく前になにかのニュースで観た気がする。 おぼろげな記憶をたどってそれらの情報を口にすると我が意を得たとばかりに高耶が身を乗り出してきた。 「な?公立だからお金もあんまりかかんないっていうし。その分、倍率もすごいらしいんだけど。でもほんとに入れたらすごいよな」 そう言ってきらきらと瞳煌めかせるさまは、まるで新しいゲームに挑戦するときのようだ。 ひょっとしたら試験そのものも彼にとってはひとつのゲームなのかもしれない。そう思うと、少し心が軽くなった。 「それにしても、もうそんな時期なんですね。受験を考えているお友達は他にもいるの?」 「うん、結構いるみたいだよ。あそこがいいとかここがいいとか。どこの制服がかっこいいとか。 そういうのって、はじめは興味なかったんだけど。でも、二三日前かな?この学校のこと聞いて。 ここなら、入ってみたいな……なんて。父さんだって許してくれそうだし」 向学心に燃える子どもに水を差す親はまずいまい。そう内心で突っ込みながら、ふと、高耶の物言いが引っ掛かった。 「許してくれそう…って、まだお父さんには話してないの?」 とても大切なことなのに。 怪訝そうに眉をよせる直江に、 高耶がこくんと頷いた。 「うん。話したのは直江が最初。先に確かめたいこともあるし……」 だんだんと歯切れの悪くなる口調が、可笑しかった。 高耶のこういうところは昔から変わらない。 何か『お願い』があるときに、彼は妙に遠慮がちになるのだ。 いつだって自分は彼の味方、彼の頼みならなんだって叶えたいというのに。 励ますように微笑んで待つこと暫し。やがて、伏目がちにして高耶がぼそぼそと口を開く。 「もしもオレが試験に受かってその学校に入れたとしてさ。 でも、父さんがまた転勤になっちゃったとしたら。オレ、此処に置いてもらっていいかな?」 「!?」 話の流れについていけなかった。かろうじて耳に残ったのは『転勤』という言葉と『此処に置く』という一語。 都合のいい幻聴かと思った。 「それは、つまり…」 噛みしめるように高耶が願いを繰り返す。 「すごく図々しいんだけど、下宿のお願い。ていうか、予約。父さん、しばらくは移動はないって言ってたけど三年先四年先のことまでは解らないし。 でもその時にオレが高校まで心配ないレベルの高いトコに入っていたとしたら。んで、直江が住まわしてくれるんだったら。転勤についていかずに此処に残って学校通うの、父さんも反対しないと思う」 「高耶さん……」 「まだ半年しか経ってないのに、もう次の引越しの心配なんて笑われるかもしれないけど。 でも、もう此処から動きたくないから」 だから、いいか?と。 最初の弱気は消え失せて、顔をあげ真っ直ぐに向けられてくるのはもういつもの彼の視線。 本当に敵わない。 ふたり過す時間が大切だったのは彼も一緒だったのだ。 でも彼は。 ただそれだけに甘んじず、更なる行動を起そうとしている。自らの手で望む未来を勝ち取るために。 「やっぱり高耶さんはえらいですね…」 目の眩むような幸福に包まれてそう言った自分は、きっと崇める目つきをしていたのだろう。 しみじみとした呟きに急に照れ臭くなったように、高耶がわたわたと手を振り回す。 「でもさっ、言うだけなら誰でもできるし。まだそんな褒められることじゃない。もちろん、そうなれるようにこれから努力はするけど」 「その志がなにより立派なんですよ。私にもできる限りのお手伝いはさせてくださいね」 どうにも我慢できずに手を伸ばし、彼の頭をくしゃりと撫でた。くすぐったそうに首を竦めて、すぐに高耶は神妙な顔になる。 「うん。そっちも当てにしてる。その…いろいろと、よろしく、オネガイシマス」 「こちらこそ」 とってつけたようにふたり頭を下げあって、くすくすと笑った。 そうして始まった、受験にそなえる日々。 二人過す時間は大抵勉強に費やされて団欒の意味合いはすこし違ってしまったけれど、それはそれで有意義な時間。 そして、一年半後の春。高耶の努力は見事に報われたのだった。 |