先年、月花草さま宅に、拙作「Precious 誕生日のおくりもの」をもらっていただきました。
以下は、その続編になります。
本当は「僕が遊んであげる」の台詞を書きたいゆえのお話だったはずなのですが。
・・・・・・どんどんどんどん膨らんじゃって、差し上げものだけでは収まらず(苦笑)
結局自分ちで続けることとあいなりました。
月花草さん、こちらに続けさせていただくこと、ご了解くださってどうもありがとうございました。
Precious ―ターン 6―
綾子たちの尽力によりほどなくもう一人の当事者も判明したが、あえて直江は不問に付す道を選んだ。 報復したい気持ちがなかったわけではない。 が、ことを公にして相手を糾弾すれば、被害者である高耶も好奇の目に晒されることになる。 人の口に戸は立てられない。たとえ名は伏せたとしてもこうした風聞はまことしやかに尾ひれがついて広がるものだ。 高耶の今後を第一に考えれば、そんな事態だけは避けなければならなかった。 同じ理由で、学校側にも怪我をした事実だけを報告し、経緯については伏せた。 真実を知っているのは綾子と千秋、そして無体を仕掛けた当人だけであり、 もちろんその彼には千秋と綾子二人がかりの叱責ときつい口止めをした。 「こんなものじゃ、お詫びの気持ちにもなりませんけど」 数日後、綾子は神妙な面持ちで、二度と高耶の前には姿を見せないという当人直筆の念書を直江に差し出した。 「でも、この文言は信用してくださって大丈夫と思います。高耶くんが怪我をしたこと、すごく気に病んでいるようでしたから」 「だからといって見舞いを受ける気はありません。すまないと思う気持ちがあるなら、もう彼に係わらないでいただきたい。私に言えるのはそれだけです」 そう突き放して、テーブルに置かれた封筒を再び綾子へと滑らせる。 「これも、あなたか……いや、千秋先生が保管してくださったほうがいいでしょう。そのほうが歯止めにはなる。自身の保身を考えないほどあなたのお友達も馬鹿ではないでしょうから」 こんな紙切れなど信じないと言外に撥ねつけられて、その怒りの激しさに綾子は思わず首を竦める。 確かに表沙汰にはしない。一見加害者に温情を掛けているように取れる隠蔽を指示しながら、 今、目の前に静かに端座しているこの男は、高耶に為された仕打ちを許す気も忘れる気もないのだ。 それは保護者としての当然の感情というよりは、もっと根深い何かが奥底にわだかまっているようだった。 「あの……それで、高耶くんの具合は……?」 その何かが気になって、糸口を掴もうと話題を変える。 「順調ですよ。腫れもひいたようですし。明日の診察で登校の許可が下りるのではないかと思います」 が、とってつけたようなにこやかな笑みを浮かべ、直江はそこで話を打ち切った。 「その……悪かったな。こんな目に遭わせて。俺が謝るのも筋が違うような気がするんだが、もうあいつとは顔をあわせたくないだろうしな。 本人は本気で反省してる。どうか、水に流してやってくれ」 家まで送ってもらう途中、信号待ちのわずかな間に、正面を見据えたままの千秋が言った。 俯きがちの高耶が、返事の代わりに曖昧に首を振った。そのまま逃げるように顔を背けてぼんやりと窓の外を眺めだす。 以前のはつらつとした覇気がまるで感じられない仕草を横目で窺がいながら、千秋も内心ため息をつく。 これは思ったよりも重症だと。 まさに、傷ついた足以上に彼の受けた精神的なショックの方が問題のようだった。 医師から許可はされても、高耶を一人で通学させるのはまだ無理がある。 なにしろ凍った冬の道だ。また転びでもしたら目も当てられない。幸い学校はあと十日足らずで冬休みにはいる。そこでその十日の間だけでも朝は直江が学校まで送り、 帰りは成り行きで千秋が時間を割くこととなった。 すでに免許を取って運転の出来る綾子が嬉々として送迎を申し出たが、まさか彼女に任せるわけには行かなかったからだ。 教師と生徒という関係以前に、このふたりは幼なじみの親戚で遠慮のない間柄であり、高耶もそれはすでに承知だった。 五日ほど休んだ高耶がようやく登校できたその帰り道でのことだった。 そうやって気遣われれば気遣われるほど、申し訳なさに居たたまれない思いがした。 あの日以来、直江はもちろんのこと、事情を知る綾子や千秋までもが、まるで腫物にでも触れるように高耶を扱う。 元気のないのは襲われかけたショックのせいなのだと思い込んで。 確かにあれが引き金にはなったけど別に引きずっているわけじゃない。見当違いの心配なのだと、いつもみたいに笑って言えればいいのに。 直江への感情を自覚した今となっては無心に接することさえ難しい。 おどおどと、まるで借り物の猫みたいに内気になった彼の態度に直江が気づかないわけもなく。 そして、直江は直江でなにかを恐れるみたいに、それを打ち破ろうとはしない。 まるで透明なガラス越し姿だけを見て触れられない、迷路の中にでも放りこまれたよう。 だが不安定に緊張する日々も、やがて冬休みとともに小休止する。 高耶は父のもとに、そして直江は仕事納めの後実家の手伝いに戻るからだ。 少し前までは淋しくてたまらなかったこの一時の別離を、今の高耶は息潜めるようにして待っている。他ならぬ自分自身に向き合うために。 窓の向こう、走り去る風景に向かってため息を一つ。 白く曇ったガラスにこつんと頭をもたせて、高耶はゆっくりと目を瞑った。 |