はじめに


先日、月花草さま宅に、拙作「Precious 誕生日のおくりもの」をもらっていただきました。

以下は、その続きというか前振りというか背景というか・・・。
本当は「僕が遊んであげる」の台詞を書きたいゆえのお話だったはずなのですが。
・・・・・・どんどんどんどん膨らんじゃって、差し上げものだけでは収まらず(苦笑)
結局自分ちで続けることとあいなりました。
月花草さん、こちらに続けさせていただくこと、ご了解くださってどうもありがとうございました。










Precious ―宴の後― 




その晩、高耶は熱を出した。
こんなになるまで大人のペースで連れまわしてと息子を叱りつけながら、往診の手配をし高耶の父に詫びの連絡を入れてと、春枝がてきぱきと立ち動く。
程なく診察を終えた医者は、神妙な顔で控える直江たちに向かって、それほど深刻な症状ではなく一日もすれば熱は下がるだろうと告げた。
もちろんその後も安静は必要で、結局、看病にまで手の回らない父親に代わり容態が落ち着くまで、高耶はそのまま橘の家で預ることとなったのである。


座敷の一室に布団を敷いて、そこが急ごしらえの病室となった。
夜半から翌朝にかけて、薬が効いてこんこんと眠り続けていた高耶は、目を覚ますと不思議そうな顔をした。
ここがどこだか解らない。自分がどうしたのか思い出せない。何故直江やおばさんがいるの?まだ夢を見ているんじゃないだろうか?と、ぼんやりとした表情で。
そんな夢うつつの彼を驚かせないように、春枝が手馴れた様子でかいがいしく世話をする。
差し出されるままに水分を取り、お粥を数匙口に入れ、また薬を飲んで横たえられた高耶は、再びすぅと寝入ってしまった。先程よりは少しだけ血色のよくなった穏やかな表情をして。

「本当に疲れていたのね……」

額に手を当て熱の様子をみながらいたましそうに春枝が呟いた。
昨日一日、遊園地で遊んだだけの疲れではない。
新しい環境に馴染もうとして、ずっと高耶は頑張ってきたのだから。
きっと心身の疲労が限界にまできていたのだ。

「今思うとちょうどよかったわわね。こうしてうちで面倒を見られるんですもの。もしも、この子が独りでいるときに具合が悪くなっていたらと思うとぞっとするわ」

自分の顔を思わせぶりに見つめて言う母に、苦笑しながら直江が返す。

「……怪我の功名ってことですか?」

夕べのきつい叱責は、多分に高耶の父を意識してのポーズということらしい。
もっとも、高耶を一日独り占めしたやっかみもずいぶんとまざっていたと思うのだが、母を敵にまわしてもろくなことにならないと承知している直江は、賢明にもその言葉を飲み込んだ。


その日の夜には、医者の言葉どおり高耶の熱は引いていた。
一日寝ていてさすがにもう眠くはないのだろうか、落ち着きなく寝返りを打つ高耶をしり目に、直江が傍らに自分の布団を敷き始めた。夕べの春枝に代わって、今夜は自分が付き添うことにしたのである。

「直江もここに寝てくれるの?」

「はい。よろしくお願いしますね」

えへへと、そんな照れ臭そうな笑みを残して、高耶は頭まで上掛けを引き被る。そして、また目元だけ覗かせて、はにかみながら言った。

「すごく、うれしい。夜も一緒にいられるなんて夢みたいだ」

「本当は昨日もそうしたかったんですけど。夕べはまだ熱が高かったから母が付き添っていたんです」

「おばさんが?」

「覚えていない?」

う〜ん。と、高耶は考え込んで、やがて思い当たった顔をする。

「時々、冷やっこい手がおでこに触ってくるのが、気持ちよかった。誰なのか確かめようとしたんだけどどうしても目が開かなくて。……ずっと夢かと思ってた」

言いながら、高耶の表情が次第に沈んだものとなる。

「ごめんなさい……僕が熱なんか出すから。すっかり迷惑かけちゃって」

「謝るのは私のほうですよ。つい自分のペースで動いてしまって。高耶さんにもお父さんにも申し訳ないことをしました」

あくまでも今回は自分が悪者になろうと、春枝との阿吽の呼吸のやりとりで決めていた直江である。
居ずまいを正して頭を下げると高耶が吃驚したように飛び起きるから、慌ててそのふらつく身体を支えた。

「……くらくらする」

立ちくらみを起したのだろう、再び突っ伏す高耶に手を貸して上掛けを戻す。

「大丈夫?気持ち悪くはないですか?」

「うん。大丈夫…」

見あげる表情にはまだ揺れる思いが残っていて、安心させるように直江が言った。

「やっぱりまだ休んでいないと。眠くなくても寝ていないと駄目ですね。さ、灯りを消しますから」

「でもお話するのはいい?」

縋るように言う言葉に微笑んだ。

「少しならね」


常夜灯だけが微かに灯る薄闇の中で、ぽつんぽつんと交わされる、とりとめのない会話。
年齢差を考えればおよそ話題の接点などなさそうなものなのに。
それがちっとも不自然でも気まずくもなかった。
やがて、沈黙が少し長く続いて、さすがに高耶も眠くなったのだろうかと、そっと様子を窺った時、やはり黙ってこちらをみつめていた高耶と視線が合った。

「あの……」

もじもじと言いにくそうに口ごもる。

「はい?」

励ますように合いの手を打つと、ようやく高耶は意を決したように口にした。

「そっちのお布団にいってもいい?」

一瞬の間。

やがて直江はにこりと笑うと黙って自分の上掛けをめくり上げて隙間をつくる。
瞬きもせず獣の仔のようにその仕種をじっと見つめていた高耶が、するすると直江の脇に滑り込む。 しばらくもぞもぞと身じろぎしてやがていい具合に落ち着いたのか、満足げなため息が聞こえた。

「ホームでは独りで寝るのが決まりだったから。……ずっとしてみたかったの」

「こうして抱っこされること?」

恥かしそうに言う高耶の身体を直江はそっと抱き寄せる。
高耶の体からは、幽かな薬のにおいと子どもらしい乾いた汗の匂いがした。

「うん。赤ちゃんみたいで可笑しいよね。でも……」

今だけ、お願い……と、蚊の鳴くような声で呟いて高耶はまた布団に顔を隠してしまった。
高耶にしてみれば千載一遇の好機に、勇気を振り絞ったのだろう。
温かな温もりに包まれることで訪れる安らかな眠り。
それはきっと、病気で弱った心が欲している。
直江は黙って高耶の背中をさすりつづけ、そうして高耶は深い静かな眠りに落ちていった。



翌朝は、痺れたような腕の重さで目が覚めた。
寄り添うようにして高耶が寝息をたてている。
が、その可愛らしい寝顔をじっくり眺める暇もなく、高耶がぱちりと目を開いて開口一番、こう言った。

「おなかすいたっ!ご飯食べたい」

思えば昨日一日、高耶はお粥と水分しか口にしていないのだ。
すっかり回復したらしいその様子に、直江が吹きだしながらも安堵する。

茶の間に揃い、賑やかに皆で食べる朝ご飯はとても美味しかった。



連休最後になってしまったその日を、大事を取って、高耶は一日室内でゲームやビデオを観て直江と過ごした。

せっかく小さいたかやもいることだし久し振りに子どもの日らしいお祝いをしようと春枝が張り切り、高耶の父も夕飯に招いて、その晩はささやかな宴となった。

暖かな家族的な雰囲気に仰木某も気持ちがほぐれたらしく、穏やかに酒を嗜みながら住職や居合わせた長兄と話し込み、時々、はしゃぐ息子の様子に目を細める。
その高耶はひととおりの食事の終わった後、兜をかたどったチョコレートケーキを切リ分ける春枝の手許を一心不乱に見つめている。
皿に載せられた一切れが意外に小ぶりなのが不満そうな高耶に、なだめるように春枝が言った。

「病み上がりだから、欲張るのは止めておきましょうね。大丈夫。心配しなくても明日のおやつに取って置くから」

「でも、おじさんたちやお父さんは?」

残りのケーキと、上座で盛り上がってる大人たちとを高耶が不安げに見比べる。
この大人数では今晩のうちに無くなってしまうと考えたらしい。

「のんべえさんたちはケーキ食べないのよ。女こどもの食べ物だそうだから。そうよね?そこの小父さん・・・・たち?」

含むところがあるのだろう、皮肉を込めた問いかけに照弘が応じた。

「おう!お兄さん・・・・たちの分は高耶くんにあげるから。安心して明日また食べにおいで」

そう言いながら、さりげなくカラになったとっくりを持ち上げてお代わりの催促をする。

「うんっ!」

嬉しそうに返事をする高耶の背後で、春枝が呆れたようにしかめ面をしてみせ、直江は直江で必死に顔を背けて笑いをかみ殺ろさなければならなかった。


終始和やかだった宴もやがてお開きになり、高耶たちの帰る時間となった。



「おやすみなさい。また明日」

「うん。また明日ね」

家族総出の見送りの中、会釈を繰り返す父に手を引かれて、高耶も何度も振り返っては手を振り続ける。
大きい影と小さい影がすこしずつ長く伸びて、やがて、街燈の真下で深々と頭を下げたのを最後に、二人の姿は闇に溶けた。
向き直る瞬間、高耶が父親を見上げて楽しそうに何か話し掛け、父も何か言葉を返す横顔がシルエットとなって逆光に浮ぶ。

ずきりとわけもなく胸が疼いて、直江はしばらくその場を動けなかった。

あっという間の三日間。
高耶と本当の家族のように過ごした夢のような時間。

それでも高耶には帰る家が別にあり、傍らに、自分以外の保護者たる父がいるのだと、 そんな当たり前のことが、ひどく切なかった。




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誕生日の夜から三日間のお話です。
差し上げた「誕生日のおくりもの」を含めた五編でひとまとまりの感じです。
次は…いや、やめておこう……(笑)








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