その瞬間の彼の表情は解らなかった。 彼は、頭ひとつ高いそのひとの首に両腕を投げかけ、顔をうずめてしまっていたから。 けれど、しがみつく背中の強張りや跳躍に浮き出た脚の腱が、彼がこの迎えをどれほど待ち望んでいたかを伝えてくる。 そして、渦の向こう、飛び込んできた彼を庇うように抱きとめたそのひとも。 きつく抱きしめた彼を見つめる顔にあるのは、安堵でも歓びでもなかった。 罅割れる寸前の鏡ならたぶんこんな像を結ぶだろうと思わせるような、極限までの緊張を孕んだ眼差し。 苦しげに寄せられた眉。何かを言いかけて、それでも言葉にならない唇。 届かぬ救いに焦れ眠れぬ夜に歯噛みしたのは、このひとも同じ。おそらく彼も。そのひとの胸の中で同じ表情を浮かべていたのだろうと思う。 端然とした典雅な佇まいと優しい微笑みの似合う人だと思っていた。 少なくとも此処で彼が自分たちに向けてくれたのは、優しい感情と誠実な情愛だった。 そんな彼が穏やかさをかなぐり捨て、狂わんばかりの激情をぶつける相手が此処にいる。 彼が生命を削って千もの祈りを飛ばしたのも道理。 そのオーラを道標に時空を渡ってきたのもまた当然。 彼らは互いが互いの唯一無二なのだから。 互いの腕の中で、きっと、互い以外のことには目に入らなかったろうに。 それでも彼が、あの最後の瞬間に自分に何かを語ろうとしてくれた。 それだけで、充分に報われると、今ならば思える。 彼は本当に素晴らしい人だった。 その彼に尽くせたのが自分の誇りだと。 再び住む者を失った塔の上で、キメイは空を見上げる。彼がそうしていたように。 そして想いを虚空に飛ばす。 あなたが、あなたの地で、いつまでも幸福でありますようにと。 |