枝の向こうに動くものが見えた。 禁色の真紅。魔除けの色だ。 頭、首筋、そして手指。普段は肌を曝す部位をさりげなく赤い装身具で覆っている。 最も狙いやすい急所をこうまでガードされていては付け入る隙がない。 使い魔程度なら一瞬で灰にするほど強力な退魔の呪が編みこまれているそれらは、直江といえども好んで触れたいものではないのだ。 己の結界内だというのにさらに護符を帯びさせる天宮の用心深さに苦笑しながら、さらに眼を凝らし耳を澄ませた。 そろそろ引き返そうかと立ち止まっては躊躇っている、羽のように軽い足音。見え隠れする小さな影。 この鳳雛もまた賢い。 雪に誘われて外れまで出てきたものの冒険は此処でお終い。これ以上は踏み込むべきではないことを 本能で感じているのだ。 今日のところはおとなしく引き下がるべきかもしれない。でもせめて真正面から件の鳳雛と向き合いたい。 そんな思いで、隠伏を解いた。 こちらに気づき、驚いたように足を止める小さな子ども。 あどけない顔立ちに細い身体、たよりない手足。 本当に噂通りの人の子だ。 けれど臆せず真っ直ぐに見つめてくる澄んだ瞳の色に直江は魅入られ、我を忘れた。 脆い器に宿ったがゆえにより収斂された霊力が奥底で凝っている、 無垢でありながら無限を秘めた黒の双眸。 なんとしてでもこの子どもを傍におきたい。 それはもう理知で動く公子らしからぬ希求。思惑を遥かに超えた激烈な衝動だった。 直江自身はこれ以上結界の中へ入ることはかなわない。 だから、瞳の中から子どもの名を読み取り呼びかけた。 子どもが認めて頷く、それが最初の接触、蜘蛛の糸より細い最初の繋がり。 子どもが自分の名を呼び返す、その声音に心が震えた。 ささやかな手妻をしてみせると、 可哀想に、子どもは瞳輝かせて自ら天宮の境界を越えた。 すぐ近くで眺めるその雪の結晶は、直江の掌の上、繊細な形を保ったまま中空に浮いていた。 とても綺麗で不思議な手品みたいだと見惚れながら首を傾げる子どもに、直江が言った。 「手を出してみて。高耶さん」 「………こう?」 揃えて差し出された小さな両手。 その上に、そっと直江は浮んだ結晶ごと自らの両手を翳し、慎重にその手を分けた。 ふるふる揺れる結晶を子どもの手の上に移して、すかさずその手を下から包む。 二組の掌に支えられて、瞬間、六花は眩いばかりに煌めいた。 「うわあ!」 思わず洩れ出る感嘆の響き。 けれど、そのそのわずかな気の乱れが均衡を崩したのだろう。結晶は再びただの雪の一片に戻って子どもの手の中で消えた。 本当に手品のよう。白昼夢のような一瞬だった。 でも、夢じゃなかったよね? 子どもは同意を求めるように直江を見つめ、そこに浮ぶ微笑に安堵した。 雪は消えた。でも、両手は直江に包まれたまま。 嫌じゃないけど、どうしよう?このままじゃ動けない。 そろそろねえやが心配してるかもしれない。もう、帰らなきゃ。 「あの」 「ずいぶんと手が冷たい」 莫たる不安を覚えて切り出しそうとした言葉は、すぐに遮られた。 「手袋、どうしちゃったんです?はずしちゃいけないと言われていたでしょうに」 相変らず優しいけれど、少しだけ咎める口調。 思わず見上げた直江の顔は、微笑んでいたけれどなぜだか哀しそうに見えた。 「せめてまだ手袋があったら、易々と付け入られることはなかったのに。でも、もう遅い。 逃してあげられない。あなたはね、これから悪い大人に攫われてしまうんですよ」 「?」 言われた意味がよく解からなかった。 だって、ここはまだ庭の外れの林の中で。直江は不思議な手品を見せてくれた優しい人で。 ちっとも怖くなんかない。 悪い大人って、誰?攫われるってどういうこと? 首を傾げて直江の顔を覗き込んでいたら、直江がすっと視線を外した。 なにかとても疚しげに。 え?! 思う間もなくコートが生き物のように広がって視界を覆う。 漆黒の巨大な翼、一面の闇に包まれて、子どもの記憶はそこで途絶えた。 |