「夢を見てた……」 暖かなベッドの中直江の腕に包まれながらの高耶の声音は、いまだまどろんでいるようにふわふわしていた。 「夢?どんな?」 そう返す直江の声もまたとろりとあまい蜜のよう。 払暁前の闇の中、ぽっかりと目覚めたらしい恋人を一層深く引き寄せる。 「ん。おまえと初めて逢った時の」 「おや、奇遇ですね。私もです」 にっこり笑ってどんな偶然でも嬉しいと嘯く男をちらりと見ながら、高耶は暫し言い澱む。 やがて続いた言葉は彼には珍しく頼りなさげな口調だった。 「場所は確かにあの林の中なんだ。でも夢の中のオレはみなしごじゃなくて、なんか 御付きの人たちがいっぱいのすっごく大事にされているお坊ちゃんみたいで」 「……そして私はそんなあなたを攫いにきた上級魔族だった」 あっさり話を引き取られて、吃驚したようにもう一度見上げる高耶のことを、直江は穏やかな目で見つめた。 「他には?その後のことはなにか覚えていませんか?」 高耶が黙って首を振る。 「直江がとても優しかったことだけ。不思議な魔法を見せてくれて手を包んでくれて。ふわふわした気分になって。 後は急に真っ暗になって……。それでお終いだ」 「そう…」 直江はゆっくりと高耶の髪を撫で、静かにその頭を胸に抱え込んで、言った。 「私は覚えてます。ちいさなあなたに眠りの呪を掛けて攫った後、そのあどけない寝顔を見つめながら夢の中の私はひどく後悔するんです。ああ、誤解しないで」 身じろぎする高耶をぎゅっと抱きしめながら直江が続けた。 「一目見たときからどうしようもなくあなたに惹かれた。 後先なんて考えられなくてそのまま手元に攫ってきてしまった。 ……その衝動を悔いてはいない。けれど、魔族の私が手を掛けたことで天界に属するはずだったあなたの運命を狂わせてしまったのもまた紛れもない事実だ。 どんなに慈しんでもあなたが懐いてくれたとしても、成長したあなたが事情を知ればきっと私を恨まずにはいられなくなる。 なにしろあなたの未来を根こそぎ奪った張本人なんですから。 そこに思い至ったとき、夢の中の私の時間は止まったんです。 あなたと共に暮らし笑いあっていたかった。 心を操るのではないありのままのあなたに真実愛して欲しかった。 望みはただそれだけだったのに。 あなたの眠りを解かねば永久にそれは叶わず、けれど解いたらいつかあなたは私から離れてしまう。 煩悶したあげくにすべてを放棄してあなたとふたり闇にこもるところで夢は終ってしまったけれど。 きっと夢の中の私は今でも心引き裂かれたままあなたに焦がれ続けているんでしょうね……」 「ずいぶんと切ない話だな」 暫くの沈黙の後、高耶が呟く。いつのまにかその手を直江の背中に回ししっかりと抱きしめて。 「……ひょっとしてオレたちの前世だったりするのかな?」 「或いは今の私たちが『公子』の飛ばした『夢』のひとつかもしれませんよ?もしもあなたが鳳雛じゃなくて自分も魔族じゃなかったら、と。 何の力もなくていい。ふたり平穏に過ごせる世界が何処かにあるかもしれない望みに縋って彼は今も眠りながら自分たちの雛形を送り続けているのかもしれない」 「それって、すっごいファンタジーなんだけど」 しんみりした直江の口調を茶化すようにくすくす笑いながら高耶が言う。 「父さんがいて母さんがいて、おまえに出逢えて一緒に暮らせて。今のオレはすごく幸せだから。 だから今度同じ夢を見たら夢の中のおまえに言ってくれよ。 夢の中のオレだっておまえが好きに違いないって。うだうだ悩んでないでオレを起こしてさっさとふたりの世界を始めろって」 「高耶さん……」 「夢の中でもオレはオレなんだろ?だったら絶対そうなるに決まってる」 だってこんなにおまえが好きなんだから……と、自信満々の台詞の語尾は消え入りそうに細かったけれど。重苦しい夢の名残を払拭してあまりある言葉だった。 「ありがとう、高耶さん。愛してます」 「ん…」 抱きしめられて伝わる温もり。 人であろうとなかろうと直江が直江である限りこの温かさは変わらないから。どんなオレだって辿る道はたったひとつ。 だからきっと――― 夢に見た小さな自分に思いを馳せて高耶はふわりと微笑んだ。 幾つも重なった異世界の何処かに。或いは闇の帳に包まれた眠りの向こうに。 自分同様この人の真っ直ぐな心に救われる者がきっといると、寝入った高耶の髪を梳きながら直江は思う。 両親に自分たちの覚悟を打ち明け紆余曲折の末に晴れて高耶と暮らしはじめて八ヶ月。 しんと冷え込んだその日の未明、天からはその冬初めての雪が静かに舞い降りていた。 |