朝夕の散歩を初めとしたバーナムの世話と最低限の家事と大学の講義とでいっぱいいっぱいの一日も週末にはすこし余裕ができる。 日頃から近所のガーデニングを眺めているせいもあって、この日、高耶は、ほったらかしの藤澤の家の庭の手入れをすることにした。 もっともたいした知識のない高耶に出来るのは目立ってきた雑草を抜くことと、芝生と植栽の間の少しばかりの空きスペースにもらいものの花の種を蒔くぐらいだけど。 テラスの隅でみつけた移植ごてで庭土を掘り返し、石を除いて表面を均す。 陽光を受けて立ち昇る土の匂い。感触。ほのかな温み。 しゃがみこむ高耶の傍には、興味津々のバーナムがぴったりと張り付いていて、時々ひょっこり顔をだすミミズや土中の虫にバウバウと吠えかかっていた。 「こら待てバーナム食べるんじゃない!!潰すのもダメだっ!」 興奮するバーナムにてこずりながら、なんとか耕す作業をやり終える。 均した地面は畳半分ほど。そこにマリーゴールドやヒマワリや、バジルの種をぱらりと蒔いた。 「よっしゃ終わった!」 固まりかけた腰を伸ばし、腕を上げて大きく伸びをする。ふと視線を落せば、足元では同じように伸びをしたバーナムが大きな欠伸をしていた。いかにも『ひと仕事終えましたよ』といった風情に思わず笑いが零れた。 仕上げには、ホースでたっぷり水を撒いた。 キラキラ光る水のシャワーに、これまたバーナムが大興奮で跳ね回る。 均したばかりの軟らかい土を踏み荒らされてはたまらないから、高耶はノズルの先端を芝生へと向けた。 シャワーから切り替えて水鉄砲のように細く勢いを増した水流が空中にきれいな弧を描き、その着地点を標的に定めたバーナムが、 懸命に『動く水』を捕らえようと飛び掛る。 確かに両脚で抑えたはずなのに、なんの手ごたえもなくて怪訝そうにしている仕種が面白くて、高耶は猫じゃらしよろしく、手首のスナップを利かせて、くねくねと生き物のように水流を操った。 時々視線の先に映る空は青くて白いふわふわした雲が浮かんでいて。 からりと晴れ上がった気持ちのいい五月の陽気に、こうして芝生の上、わんこと遊ぶ日が来るなんて、今まで考えもしなかった。 楽しくて。莫迦みたいに楽しくて。 高耶は笑いながら、服が濡れるのにもかまわずに、バーナムの相手を続けた。 夢のように楽しい時間をそうしてどれぐらい過ごしていたのか。 向きを変えようと身体を捻った拍子に、不意に視界の端に見知らぬ人影を認めて、高耶ははっと振り返る。 いつからそうしていたのか、庭と玄関ポーチの境に長身の男が佇んでいた。 きっちりとスーツを纏い、しめやかな色合いの花束を片手にして、端整なその顔立ちに戸惑いの色を浮かべて。 「あの、すみませんが、こちらは……、藤澤さんの御宅ですよね」 何故、わざわざ訪ねた知己の家の庭先に濡れねずみの見知らぬ青年がいるのか、不審に思っているのがありありと伝わってきて、高耶は泡を食って男の問い掛けに応える。 「あ……、はいっ!そうです!!藤澤さんは今留守にしてるんですけど、オレ、留守番のもので………。………こんな格好ですみませんっ!あのっ、着替えて来るんでちょっとだけお待ちいただけますか?」 そうして相手の返事も待たずに高耶は掃きだし窓からリビングへと飛び込んだ。やはりびしょ濡れのバーナムは、高耶と訪問者とをしばらく迷うように交互に眺めて、やがて、高耶に従った。 「あの、大変お待たせいたしました。藤澤はあいにく留守にしていますが、ご用件は……?」 数分後、着替えた高耶が改めて玄関に立つ。散々に地を晒しておいて、今さら取り澄ましても遅い気がしたが、男は何も見なかったかのようににっこりと見惚れるような微笑を浮かべ、高耶に向かって自ら名乗った。 「はじめまして。直江と言います。今日は加奈子さんに花をお持ちしたのですが、あげていただいても?」 それが、ふたりの運命の出逢いだった。 |