こちらに背を向けて立つ彼の、ほっそりとしたうなじが匂い立つようだった。 さらりと羽織った夏物の単、その襟から覗く肌があまりにも眩しくて、思わず生唾を飲み後ろから抱きしめた。 「な、直江?」 驚いたように声を上げるのにかまわず、首筋に顔を埋めて馨しい香気を思う存分貪った。 彼の肌の匂いとかすかな樟脳の匂い、それに焚きしめられた香の残り香。 馴染んだ香りが、一気に昔へと引き戻す。あの離れで高耶と過ごした懐かしい時に。 衝動のままにくちづけた。 その瞬間、ぴくりと彼の身体に震えが走る。 唇が触れたのは人目にもたつ襟足部分、 痕がついたらどうしようと、そんな困惑が顔を見ずとも伝わったから、ただ柔らかく食み舌先でまさぐった。 何も怖いことはない、意に添わないことは決してしないと教えるように。 やがて彼がふっと強張りを解いて、回した腕にその身を預けてくれるまで。 ふたりしばらくそうして、黙って互いの鼓動と体温とを感じていた。 「初めてですね…」 ようやく口を開いた直江に高耶が振り向く。 何が?と、そんな怪訝な表情をするから、笑いながら言葉を足した。 「短くした髪で、あなたの着物姿を見るの」 無意識の仕草なのだろう高耶が襟足に手をやって、ああ、と呟いた。 髪を切ってからの彼はずっと洋服で通していた。洋装に慣れる必要があったし、もう『少女』ではないのだという気持ちのけじめもあっただろう、 そして海を渡った此処ではもちろんのこと、着物からはますます遠ざかった生活だった。 だから、直江にも不意打ちだったのだ。少年の高耶が着物をまとう姿を見るのは。 普段はきっちりカラーで隠されているうなじにぱらりと髪がかかるのも、首筋から肩口にかけてのなだらかなラインを垣間見るのも。 「……とても新鮮で、色っぽかった」 「莫迦……」 わざとおどけた口調に高耶も微笑む。 「この単、姐さんから届いた荷物の中に入ってた。向こうでもこっちでも季節は変んないだろうからって。……やっぱり、袖通すと落ち着くよな」 「洋服は窮屈ですか?」 「そういうわけじゃないけど……」 もう慣れたし動きやすいしと続けながらも口ごもる。 少年としてやり直す生活を、何もかも習慣の異なる異国の地で始めたのだ。 彼は変らず明るく気丈に振舞って寄宿しているこの館の誰からも好かれているけれど、でも、やはりどこかで無理はしていたのだろう。 さきほど、ちらりと見えた彼の横顔。 俯き加減で凝と袂を見つめるその表情は道に迷った子どものようで。 我欲のまま攫うようにして遊学に連れ出したことを、急ぎすぎたかと胸が疼いた。 「向こうが恋しい?もう、帰りたい?」 本心はどうであれ彼は決して弱音は吐かない。こんな詮無いことを訊かれたって応えに窮すばかりだろうに。 それでもなお尋ねてしまうのは、言下の否定がほしかったから。 そして高耶は、望むとおりの応えをくれた。 まっすぐに視線をあわせてゆるゆると首を振る。 「直江がいるから、平気」 そう言い切る彼を心の底から愛しいと思った。 「ありがとう……高耶さん」 両の掌で彼の頬を包みそっと仰のけ唇をあわせた後は、再び緩く囲い込んだ。 おとなしく腕の中に収まる彼の背を繰り返し撫でてやる。 「せっかく送ってもらったんです。時々は着てみせてくださいね」 「うん……」 含めるような言い方に高耶が頷く。 恋しい気持ちを無理に押し込めることはない、いつだって傍にいるから自分にだけは胸の内を曝してほしいと、そんな 直江の気遣いが確かに伝わってきて。 悲しいのとも淋しいのとも違う熱いものが込み上げて、高耶が眼を瞬かせる。 「直江がいたら、ほんとに平気だから……」 もう一度呟いて、高耶は静かに直江の胸に顔を埋めた。 |