長く打ち続いた戦乱の末に、ひとつの王国が滅ぼされた。 王国は強国の属領となり、新たな統治者は当然のことながら、本国から少なからぬ家臣団を引き連れてきて、王国に仕えていた譜代の家臣たちとすげ替えた。 地位や領地を失った彼らに最後に残されたもの。 それは、自身に流れる名門の血筋。そしてその血を受け継ぐ娘たちだった。 遠い先祖には精霊の一族の血がまじるとまことしやかに伝えられるその王国は、美女を産することでも有名であったのだ。 有形無形の様々な申し出が困窮した貴族に持ちかけられ、その多くが身過ぎのためにそれに応じた。 辺境の強国にとっては、千年王国の洗練された美姫たちは文字通りの高嶺の花。彼女等の需要は高く、正室として嫁ぐ者もあれば、第二第三夫人として迎えられる者もいた。 が、故国を離れた異国にあって、人知れず身を堕すものも少なくはなかった。 統治者の黙認の下、この後ろ暗い仲介を請け負う参謀に、直江信綱がいた。 「お客さまがお見えです」 いつもと変わらぬ口調ながら、そう取り次いだ執事の表情にはわずかな困惑が浮んでいた。 「仰木高耶さまと。たいそうお若い方で、自分は『ホウジョウミヤ』の代理だと、その一点張りで。千秋さまの書簡を携えてお出でのようですが、お会いしてのち、直接旦那様にお渡ししたいとか…」 まるで普段の彼らしからぬ、子どもの使いのような口上に苦笑が洩れた。 そんな無礼な客は追い返して然るべきだが、あいにく、名の出た北条家の令嬢には心当たりがあった。 いずれ本国へ送るべく相応の金子と引き換えに後見の権利を得た少女だ。 すべての差配は千秋に任せていたのだが、なにか不都合でも生じたのだろうか。 信頼できる腹心の部下、というよりは口の過ぎた悪友のような乳兄弟の顔を、直江は思い浮かべる。 それならそれで自ら報告にきそうなものだ。仕事に厳しいあの男が手紙を他人に託すというのがどうにも解せない。 首をひねりながら、客人を待たせているという応接間に足を運んだ。 椅子に座りもせず、彼は窓の外を眺めていたようだった。 ドアの開く微かな気配を察したのだろう。逆光に振り返るその立ち姿が美しいと思った。 「……あなたが直江さん?」 まばゆい庭の陽光に比べたら、どうしたって室内は薄暗い。自分という人間の性根を、見極めようとでもするように懸命に眼を凝らして、彼は言った。 「はい。直江は私ですが。あなたはいったい……」 遮るように一通の封書が差し出される。 まずは、読んでみろと。 その黒い双眸に無言の威圧を感じて、直江は静かにそれを開いた。 千秋からの文面だった。 北条との折衝は滞りなく進んだが、いざ令嬢を引き取る段になって本人が失踪したこと。 ようやく探し当ててみれば、彼女は兄と名乗る少年と一緒であり、その彼が、妹の身代わりになると申し出たこと。 自分を連れて行けと強情に言い張る彼には何を言っても埒があかず、自分としても泣いて嫌がるいたいけな少女を無理矢理に攫うような真似は御免蒙りたいこと。 ついては、雇われの身では判断がつかぬゆえ、上司の指示を仰ぐ。と。 いかにも千秋らしい軽口と毒舌を交えながら、今回の経緯がしたためてあった。 軽そうでいて、職務には固い男だ。その千秋がこうして送り込んでくるからには、それだけの理を彼ら兄妹の側に認めたのだろう。 後は自分の眼で見て決めろということか。 微苦笑を浮かべながら、目の前の彼に視線を移した。 「あらましは、わかりました。それでも一応お聞きしたい。あなた…高耶さんは、美弥嬢の兄上でいらっしゃる?では、あなたも北条の血筋ですか」 高耶が黙って頷いた。 「先代が父、母は屋敷の小間使いだった。先代が亡くなったとき、母は屋敷を出て、ひとりでオレたちを育てた。その母も五年前に死んだ。その後だ。 屋敷の連中が美弥を引き取りたいとやってきたのは。先代には娘がいない。跡目を継いだ現侯爵にもだ。美弥を正式に北条の娘として迎えたいとあいつらは言ってきた」 押し殺したように平淡だった彼の口調が急に苦いものとなる。 「バカだったよな。うっかりその言葉を信じまった。相応しい教養を身につけて美しく着飾って美味しいものを食べて。そんなお姫さまみたいな暮らしの方が、絶対しあわせになれると思った。十日前、美弥が逃げだしてくるまでは。……あいつら、最初から美弥を売る気だったんだ。あんたに」 ねめつける視線が火のようだ。彼にとってはどうやら自分もその屋敷の連中と同類らしい。 ひとくくりにされるのが心外であったし、何より娘の素性を隠し自分を謀るような真似をした先方のやり口が不快だった。 妾腹ではどうしたって『名門』の格は下がる。それだけではない、数年ばかり付け焼刃の教育を施したところで、家長に背き出奔する気丈さは、本国で求められてる『王国の淑女』とは異質のもの。 面倒事は願い下げだ。 「よく解りました。この話は破談にしたほうがよさそうですね。北条へはこちらから通告します。あなたはもうお引取りを」 「そうじゃなくて」 冷淡に話を打ち切り、執事を呼ぼうとした手を不意に彼に押えられた。間近に見るその視線の強さにたじろいだ。 「オレが身代わりになるって、言っただろ。今度の話を破談にしたって同じことなんだ。美弥が北条でいる限り。むしろもっと酷いことになるかもしれない。だから……」 「あなたがこっそりすり替わることで、妹御を家から自由にしようと?」 「五年前、オレがもっとしっかりしてたらこんなことにはならなかった。だから!」 妹が妹なら兄も兄。千秋が匙を投げた気持ちが、よく解る気がした。 「それで私にいったい何の得が?失礼だが、男と女ではまったく価値が違いますよ。少なくとも私の国では」 突き放した言い方に、彼は一瞬唇を噛む。 「なら、その分年季で補う。一生、奴隷代わりにこき使えばいいだろう?」 「あなたを生涯雇ったとしてもその給金など高が知れてる。とうてい原資の回収にはなりませんね」 不機嫌を装い、言い分をひとつひとつ潰して彼の表情が歪むのを見つめる。先ほど感じた不快が、不思議なほど晴れていくのを感じた。 そう、確かに自分は楽しんでいるのだ。この毛を逆立てた猫のような少年とのやりとりを。 まったく保身を考えず愛しいもののために自らを差し出そうとする。 頽廃しきった貴族では考えられない真の騎士の精神だ。武勲の誉れ高かった先代の血は、現在の家長よりもむしろ妾腹の彼の方に色濃く受け継がれているらしい。 直江は新たに値踏みをする目で、彼の全身を眺め渡す。 顔立ちは悪くはない。瞳の色と揃いのような艶のある黒髪も印象的だ。 粗末な身なりを改めさせ髪を整え立ち居振舞いをみっちり仕込めば、もっと見映えがするだろう。 彼は……案外掘り出し物かもしれない。そんな思いが湧きあがってきた。 思わせぶりに声をひそめて訊いてみる。 「……言葉の意味が解って言っていますか?奴隷に落ちるということは自分の意思まで手放すということだ。それだけの覚悟があなたにあるの?」 「それで美弥が助かるのなら」 彼の応えは簡潔だった。その一途な眼差しに眩暈がしそうだった。 これは本物だ。 何が、とは言わず、そう思った。手放してはならないと。 厳しい表情を取り繕って彼に告げる。 「今、部屋を用意させます。あくまで身代わりと言い張るならあなたの後見人は私ということになります。 身の振り方を決めるまでしばらく邸内に滞在するように。まずは、行儀作法から一般教養までみっちりと勉強してもらうことになるでしょうが。よろしいですね」 「……はい」 自分の言葉に難癖ばかりつけていた男の態度の豹変に、彼はしばらく絶句し、やがて小さく返事をした。 我が通った安堵というよりは、不安と不審とを、色濃く瞳に宿して。 そんな彼を置き去りに部屋を出る。 まるで人馴れしていない野生の若駒を手に入れたよう。これから続く彼との将来が、楽しみでたまらない。 心浮き立つようなこの高揚を、いったいなんと呼べばいいのか。 このときの直江は、まだ、自分の中に答えを持ってはいなかった。
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