頬を羽毛でくすぐられるような、そんな柔らかな感触に、ふわりと意識が浮上した。 「……ここ…天国?…」 直江の腕の中、ぼんやりと瞼をあげたどたどしく問う高耶に聞き慣れた声が降ってくる。 「あなたがいれば、何処だって天国ですが。でも、どうやら私たちは死にぞこなったようですよ。高耶さん」 「!?」 がばっと身を起こそうとする高耶を胸に囲いこみながら、なおも直江は用心深く問いかけた。 「昨夜の薬。あれはどうやって手に入れました?屋敷の金庫か何処か?それとも園丁の伝手?」 「千秋が…。此処にくる時にくれた。『ラクになれる薬』だって。あれって自害用の毒じゃなかったのか?それとも二人分には量が足りなかったとか?」 もしやとは思っていたがまさしく予想通りの高耶の答えに、直江はふうとため息を洩らした。 「怒らないで聞いてくださいね。千秋が渡したものなら毒じゃありません。非常に言い難いのですが……穏やかな催淫作用と自白効果のある、いうなれば媚薬の一種です」 「ええええっ!」 しばらく硬直した後、高耶は真っ赤になって絶句する。 あれほどの覚悟を決めて無理心中を図ったのに。最期だと思えばこそ包み隠さず本心すべてをぶちまけたのに。一服盛った肝心の毒が実は媚薬だったとは。間が抜けているにも程がある。 「……死んじまいたい……」 恥かしさのあまり涙目で縮こまる高耶を撫でながら、直江は微妙な表情で種明かしをした。 「令嬢たちの中には環境の変化に弱い方もいますから。あの薬はいわば保険なんです。ああして思わせぶりに渡しておけば、発作的に死のうと思い詰めても、まず身投げするよりは薬を選 びます。そして、一度そうして本音を吐き出してしまえれば、たいていそれで収まるものなんです。それに。本物の毒を渡してそれで死なれてしまったら、責任問題に発展するでしょう?」 「……そうだよな。オレみたいにご主人を殺そうとしたりするかもしれないもんな。ああ、まったく千秋の言葉を真に受けたオレがバカだったよ。紛らわしいもん持たせやがって、この悪党!……おまえ、いつから気づいてた?オレたちが飲んだのが毒じゃないって」 埋めた胸元にこもる声がどんどん刺々しくなってくる。恥かしさが怒りにすりかわってきたらしい。無理ないこととは思いながら、毛を逆立てて怒り狂う彼をなだめようと、言葉にありったけの誠意を込める。 「……気を失ったあなたをベッドに運んだ時に。まだ自分にそんな余力があるのが不思議で。 屋敷内でも手に入る青酸や砒素なら、とっくに絶命しているはずですから。だから」 直江は、嫌がる高耶を無理やりに引き剥がして視線を合わせた。 「だから。あの時の言葉。あれは嘘じゃないですよ。あなたに殺されるのならそれでよかった。一緒に死んでくれると知って、なお嬉しくなった。でも、高耶さん、私たちは、まだこうして生きている。もう一度、私にチャンスをくださいませんか?今度こそ間違えない。一生、あなたを大切にしますから」 いつかと同じ。いや、それ以上の真摯な眼で請われて。 もう高耶は逃げられない。そもそも、もう取り繕うことも出来ないほど自分はこの男に本音を曝してしまっているのだから。 瞳を閉じ、微かに頷いて、その朝初めてのくちづけと抱擁とを受け入れた。 この先、数えきれないほどかわしあう幸せな目覚めのキスの、これが最初のひとつだった。
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