その日、『贄』として送られてきたのは、まだ年端もいかぬような子どもだった。 此処に来るからには十四にはなっているはず、しかしそのあまりの線の細さに、迎えた庭の関守は一瞬眉を顰める。 頭巾の奥深くに隠されている表情を窺えるはずもないのに、 子どもは、特有の勘のよさで相手の不興を察したらしく、その顔に怯えが走った。 が。 相応しいかそうでないかを判断するのは自分の職分ではない。 束の間波だった感情はすぐに凪いで、関守は、己の任を淡々と果たし始める。 身振りだけでとある位置まで子どもを導くと、今度は腕を差し出すよう促した。 おずおずと伸ばされたその手を取り、無造作に細い二の腕に刃を突き立てる。 子どもは衝撃に息を詰めたが、悲鳴は上げなかった。 切り裂かれた傷口から血がたらたらと皮膚を伝い地面に滴った。 更なる二太刀を覚悟して眼を固く瞑り全身を強張らせる。 が、それはいつまでたってもやってこず、 おそるおそる薄目を開ければ、関守の黒い影が視界から消えようとしていた。 仕事は終わったとばかりに、彼は子どもをひとり置いて去っていったのだ。 訳がわからず取り残された子どもは、そのままぺたりと座り込む。 殺されるのだとばかり思っていたのに。 安堵とも虚脱ともつかぬまま呆然としている間に、流れ出ていた血もいつしか止まる。 緊張の解けた子どもは、やがて夢ともうつつともつかない不安な眠りへ落ちていった。 目覚めても、事態はなにひとつ変わらなかった。 見渡す限りの野原。目に見えるその地平はまるで陽炎のようにかぎろいでおぼつかない。 せめてその端までと、こどもはそろそろと歩き出してみたが、どこまで歩いてもその風景は変わらず、 疲れて座り込んだ地面には、先ほど自分の横たわっていた微かな窪みが残っていた。 それでは動いてはいけないのだろうか。 子どもはそう考える。 自分は贄に差し出された身なのだから。このまま、動かずに飢えて死ぬのを望まれているのだろうかと。 ならば、そうしよう。 それは、とても緩慢な死になるだろうけれど。 子どもは小さな山間の里の出身だった。 貧しい里の中でもさらに貧しく、食べるものにさえ事欠く暮らしだったから、 数年に一度巡ってくる『贄』の神籤を彼が引き当てたのは、 一家にとってはむしろ僥倖だった。 『贄』を差し出した家は里人から厚遇される。一帯の名主たちから僅かばかりの金子も賜る。 少なくとも、父も母も妹も、もう飢えて死ぬ心配はない。 それを思えば、自分ひとりが犠牲になることなど何でもなかった。 何故おまえがと嘆く父母を宥め、しがみついて離れない妹を諭して、粛々と使者を迎えた。 神事に則って精進潔斎をし、世俗の名を捨て去って、ここに連れてこられた。 ただ、殺されるためだけに。 そう心を決めていたのに。 予想に反してその瞬間はなかなかやってこなかった。 次に眠って目覚めた時、子どもの傍には手桶と柄杓が置かれていた。 足元にはいつのまに生えたのか、一面に何かの芽が萌え出している。 これの世話しろということだろうか? 戸惑いながらも、里の畑でしていたように桶の水を柄杓で汲み上げ、小さな若芽にかけてやる。 細い茎が水滴の重みで折れそうにしなるのに、慌てて手を添えて支えた。 こまかなにこ毛に覆われたその表面は、幼い妹の頬を撫でるときの感触とよく似ていて、思わず子どもの顔も綻んだ。 いったい何の芽だろう? 銀白とさみどりの、今まで見たこともない優美な若草。きっと綺麗な花をつけるのだろう。 花の色は、赤だろうか、白だろうか、花びらの形はどんなだろう? 楽しげに空想を遊ばせて、不意に子どもは、我に返る。 やがて咲く花をみたいだなんて。 それは今の自分には過ぎた望みだ。明日はもうないのかもしれないのだから。 思わず未来を望んだことに後ろめたさを感じながら、子どもはまたひとつ心を固める。 せめて、命ある間だけは、精一杯この草たちを愛でていようと。 その思いが通じたか、微風もないのに、さわりと草が揺れる。 あたり一面、まるで子どもに向かってひれ伏すように、緩やかな漣の紋様を描いて。 子どもは知らなかった。 この銀白の芽吹きこそが、我が身が捧げられたその対象。 人間の血と肉と精を糧にする人喰い花であることに。 最初に撒かれた血によって苗床に結び付けられた『贄』は、その感情や精神ごと最後の骨の欠片まで食い尽くされる。 結界に阻まれて見ることは敵わなかったけれども、子どもが若芽をなでているそのすぐ横には、 毒々しく咲き誇る花群に白い髑髏が埋もれているのだった。 ここは異界の花を育てる、神々の薬種の奥庭。 呪の苗床から芽吹きやがて開いた艶やかな花弁は、摘まれ、浸され醸されて、極上の霊酒に変ずる。 その味わいは千変万化。 土地によって酒の風味が異なるように、それぞれの『贄』を糧に育つ花々とそこから醸される霊酒にもひとつとして同じものはない。 花の喰らった『贄』の恐怖や絶望の感情が、微妙にその風味を違えるからだ。 それこそが、ここで造られる霊酒の珍重される所以。 人間の感情を溶かし込んだこの美酒は格好の気散じになるゆえに、神々はこぞって『贄』を奥庭に送り込む。 ただ神々の気まぐれに供されるだけ。 それが『贄』の本質であり、『贄』としての子どもの命運のはずだった。
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