が、その運命は、思わぬところで歯車の動きがかわる。 例えば、子どもの放つ心情に触れたとたん、 花の苗床が搾取する側から一転して、子どもを守り育てる揺籃と化したように。 どれだけ時間が経ったのか。変わらず子どもはそこにいた。夜も昼もなく、暑くも寒くもない野辺に。 眠くなれば眠り、目覚めれば日がな一日座り込み、薄靄のかかる天を見上げて日を送る。 その単調さに、もうとっくに自分は死んでいるのではないだろうかと、時折そんなことを考える。 身体は滅んで魂だけが黄泉路のほとりを迷っているのではないかと。 その証拠に、飢えも渇きもせず排泄の欲求もない。 着たきりの帷子さえ垢じみもせずに絹の光沢をたもっている。 それでも足元の草は着実に生長していた。 それが子どもの慰めだった。 目覚めるたびに、新しく満たされている水桶も、もう不思議とは思わない。 毎日水をかけて、見守り、触れ、か細い声で歌を奏でる。 昔、母が聞かせてくれたように。小さな妹にうたって聞かせたように。 やがて、草は、華奢な細茎の先端に小さな莟をつけるまでになった。 望外の喜びだった。 愛しげに何度も触れては、顔を寄せる。吐息に柔毛が靡き、つぼみがふるりと震えた気がした。 あと少し。 ………まで、あと少し。 誰の心声か解らぬままに、木霊のように声が響く。 潮が満ちる直前の、蛹が羽化する瞬間のもどかしいような切迫を、このとき初めて子どもは感じた。 何かが変わるのだと、そんな確信があった。 目に映った最初の変化は、一匹の白蛇。 始めの日の関守以外、自分以外の動く影を、子どもは魅入られたように、ただみつめる。 するすると這いあがってくる足先を、ちろちろと閃く舌で舐られた。 どくりと。 身体の奥底で何かが脈打つ。蛇はそのまま脛から太腿を伝い、抱きしめるように身体に絡みついてきた。 擡げた鎌首の、真紅の瞳孔と真正面から見つめあう。 綺麗な色だ。そう思った。やがて咲く莟もこんな赤ならいい、と。 一度視線を外した蛇がさらに上へと這い登る。 喉に感じる、白銀の頚飾りでも巻かれたようなずっしりと重たい質感、緩やかな圧迫。 このまま絞め殺されるのだと、子どもは静かに目を閉じてその瞬間を待った。 これで『贄』としての自分の責務が全うできると、安堵の色さえにじませて。 次に来たのは耳殻に感じた異様な刺激。 蛇の舌が差し入れられたのだと悟って、子どもは思わず眼を瞠り、掠れた悲鳴をあげる。 瞬間、頚の巻きつきがきつくなった。 逆らうことは許されないと、無音の警告。 涙を浮かべながら、子どもはそれに従った。 さわさわと。 いまだ未通の子どもの身体を、嬲るように蛇が隈なく行き来する。 絶えず蠢く鱗の感触が、不思議な感覚を呼び起こした。 まるで、身体の中にも蛇が潜りこみ、のたうっているような。 身体の奥底から押し寄せてくるような熱い塊。うねる衝動。意識を飲み込もうとする黒い津波。 その正体は解らぬながら、それが自分の『内側』から来ることが恐ろしくてたまらなかった。 初めて子どもは絶叫し、感情を爆発させた。 逃げ出そうと滅茶苦茶にもがいた。 蹴る脚に裾が乱れ、あがく腕に衿がはだけて袖が抜ける。 そんな、あられもない自分の姿態にも気づかぬほどに、必死だった。 蛇は、子どもの反応を楽しむようにいなした後、苦もなくその手首を戒める。 経絡に沿って優しささえ湛えてなされる甘噛みが、露わになった肌の上、粟粒のような血の珠を結んでは零れていく。 小さな牙がもたらすそれは、痛みよりは疼きのようなむず痒さを伴ってやってきた。 噛まれた痕が熱を持ったように痺れてきて、やがて子どもはぐったりと静かになる。 逃げ場など、最初からなかった。解っていたはずなのに。 暴れたせいで乱れた息が、次第に嗚咽に変わるのだけは、どうしようもなかった。 しゃくりあげるたびに肩が揺れ、薄い胸が上下する。 そのほそい肩を、抱き取るように蛇が巻きつく。泣き濡れた顔を、舌先で舐め取った。 頑是無い恋人を慰めでもするように。 すべてを諦め抵抗を止めた身体の中から、微かな悦びの声を嗅ぎ取るまで。 閉ざされた結界のなか、オーロラのように光がたなびく。 子どもの放つ激情の磁気嵐。 渦巻く惑乱と未知への恐怖。 やがて陥る陶酔と歓喜。込み上げる焦燥。そして一気に攫われ運ばれる法悦の高み。 次々と色を変えては彩度を増して錯綜する極彩色の感情のオーラ。 その迸りを浴びながら、莟もまた子どもに呼応するかのように、 細い花首を左右に打ち振り、身悶えながら成長を遂げる。 やがて、断末魔の痙攣とともに、子どもが練り上げられた初めての白濁を生み出したとき、 硬い包片に亀裂が走り仮面のように剥がれ落ちて、艶やかな大輪の花が一斉に花開いた。 子どもの願い通りの、見事な真紅の花が。
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