夜会は今がたけなわだった。 晧々と煌めく灯火のもと、着飾った人々がさんざめく。 三方を回廊に囲まれ弦楽の流れる吹き抜けの大広間には、貴婦人たちのふりまく極彩色の色彩とむせ返るようなコロンの香に溢れている。 その華やぎがいっそ猥雑に思えるほど度を越しているのは、これが高貴な人々の間で秘密裏に開催される仮装舞踏会だからだ。 はめを外したい若い連中、暇を待て余した奥方やその夫君が、本来の身分を伏せここぞとばかりにお気に入りのパートナーを伴って奇を衒い贅を凝らした扮装を披露する。 互いに互いを批評しあい、 時には相手を違えて密事の舞台となることさえ暗黙の夜会だったから、豪奢なのはもちろん、ことさらに身体の線を露出する扇情的な装いも多かった。 広いフロアーに集うのは、薄物をまとい幾重にも飾りを巻いた砂漠の踊り子。 優美な肢体を毛皮に包んだ黒豹の男女、金糸銀糸で襤褸を繕い紫檀の杖に縋る乞食。 宝石を散りばめたティアラを戴き昂然と君臨する季節の女王。花や自然の精霊たち。 仮面に隠される匿名性、その実、衆目を集めることへの密かな興奮。 二重の欺瞞がそれぞれを大胆な振る舞いと熱狂とに導いて、そこかしこで嬌声と喝采があがる。 無礼講とはいえ身分のある者、ひときわ目を惹く扮装者の周囲には自然に彼らを取り巻く人の輪が出来ている。 そんなひとつの中心に、異国の姫君をエスコートする貴族然とした男の姿があった。 上質ではあるけれどごく普通の夜会服である彼は、目元を覆うマスクを仮装に代えてこの場にいる。 まるで自分は単なる介添えだと暗に主張するように。 実際、顔は隠しても一目で名の知れるこの美丈夫に取り入ろうとする客は後を絶たなかったのだが、 そうして近づく誰もが先ず、男の傍らに佇むエキゾチックな姫君に視線を奪われた。 ほっそりとした立ち姿も美しい姫君が羽織っているのはあでやかな絹の打ち掛け。暁闇の濃藍を背景に咲き乱れる牡丹の文様。 その大輪の花をまとう彼女自身もまた花のようだった。 漆黒の髪を緩く結い上げ匂いたつような細いうなじを惜しげもなく晒していながら、含羞そのものの風情でその面を俯きがちにしている。 一言二言男に何かを語られ、ほんの一瞬上げてはまたすぐに伏せられる黒曜の瞳。 ほんのりと色を刷いた頬。紅をさした口唇。濡れ濡れとした長い睫毛。 何ひとつ飾りを帯びずどんな女性より肌を覆った装束の、わずかに覗くその首筋の白さだけが際立って見る者を惹きつける。 清楚な姿形を持ちつつ闇に紛れて妖艶な香りを放つ野生の蘭のように。まるで、隠し切れぬその身の色香がそこから滲み出るようだった。 なんとか女性の素性を探ろうと群がる輩の最後の一人を巧みに追い払った後、男は慇懃に彼女の手を取り人気のない露台へと導いた。 椅子に座らせ自身は護り手のように傍に立つと、途中、従えてきた給仕からグラスを受け取り、改めてその一つを彼女に差し出す。 そして自らも同じ飲みものを一息に呷った。 「……まったく。莫迦どもの相手は骨が折れる」 剣呑な眼でたった今まで居た広間を見渡し、憎々しげに吐き捨てる。 「それもこれも、みんなあなたの所為ですよ。高耶さん」 振り返りざま、こちらに向けられる二太刀の刃。 「あなたが……美しすぎるのがいけない」 他の客から離れ冷たいものを口にしてようやく人心地がついたのも束の間、理不尽な物言いに、再び高耶の身体が強張った。 「遥か遠く海を隔てた東国の姫君。そんなもの、衣装だけのただの仮装と解りきっているはずなのに。 あなたが、あんまり頼りなげに恥らう風情でいるものだから。 そのもの慣れない様子に皆が幻惑されてしまう。誰も彼も夢中で訊いてきましたよ。いったいどんな事情があって遠い国のやんごとない姫君が私のもとに身を寄せているのかとね。 海千山千のあの連中をころりと騙すなんて、たいした誑しぶりだ。どうやら男あしらいにも素質がおありらしい。私としたことが、気がつきませんでしたよ。迂闊にも」 「―――っ!」 本気の口調に満面に朱を上らせた高耶が、詰る男を睨めつけた。 その強い視線を苦もなく直江は受け止める。 「そう、その眼差しをみせつければ、彼らだって己の心得違いに気づいたのに。本当に猫被りがお上手だ」 「おまえが。こんな格好させるから……」 余裕で返された言葉に、高耶は紅い唇を悔しげに噛みしめた。 気晴らしにと、午後になってから突然に同伴を求められた今宵の夜会。 高耶の返事を待つまでもなく、直江は数人の付き人に命じて彼の支度を整えさせた。 普段は自分で身仕舞いするそれを、他人の手によって正式の手順で為されていく。 何枚も重ねられる衣、それを固定する紐と細帯。 仕上げにずしりと重い金襴の帯を巻かれ、裳裾を引く打ち掛けまでを羽織らされては立って息をするのがやっと、鎧でも着たように身動きもままならない。 人形のような有り様で呆然としているうちに、髪を結われ化粧を施されたらしい。 というのも仕上がったその姿を鏡に映すこともせず、ただ満足そうに頷いた主人の反応だけを窺って、彼らは退出してしまったから。 そのまま直江に伴われてこの夜会へとやってきた高耶には、自分がどれほどの『美女』ぶりでいるのかをまだ知らなかったのだ。 男でありながら、姫君に扮して女物の衣装を着ている。 しかも独特の着付けのために、下履きは取り払われてしまっている。 閨ならまだしもこんな公の席、人々の面前で。 そのことが高耶をひどい羞恥と不安とに陥れた。 何重にも重ねられた絹地の上からは見咎められるはずもないが、自身で感じる下肢の心もとなさはどうしようもない。 高耶は直江に従ったまま、押し寄せてくる人波をただ俯いてやり過すしかなかった。声さえも出せずに。 そんな高耶の胸中は百も承知のはずの直江だった。 その煩悶を愉しむ為に、わざと連れ出した夜会なのに。 木乃伊盗りが木乃伊になったよう。 何もかもが癇に障る。 蜜の匂いに群がる蟻のように高耶に引き寄せられる客たちはもちろんのこと、その注目を一身に浴びる高耶に対しても。 無自覚なのにも程がある。自分がどれだけ蠱惑をふりまく存在なのかを、少しは彼にも思い知ってもらわねば。 湧き上がる昏い情念に、直江は口端をつりあげた。 「みんな、あなたを見ている……。解るでしょう?高耶さん。ほら、此処で休む様子さえちらちら窺っている」 広間からの注視を遮っていた立ち位置を直江が少しずらしただけで、露台の自分たちに向けられた幾つもの視線を高耶も察した。 そんな彼らに見せつけるように、直江が身を屈めて高耶の耳に囁いた。 「男も女も。嫉妬と羨望と、それから間違いなく欲望にぎらつく目で。このフロアの大半の人間が、頭の中できっとあなたを裸に剥いていますよ。 ……ふふ、こんなに美しい姫君が実は男の子だと知ったら……、いったいどんな顔をするでしょうね。試してみたい気もしますが」 「!」 驚愕に眼を瞠るのに、なおもあまく微笑みかける。 「あなたはご存知ないでしょうが、この夜会はいささか特別な趣向でね。表向き仮装舞踏会ではあるけれど、興が乗ったらそのまま色遊びもできるようになっているんです。 まずご婦人の側が少し疲れたふりをする。それが、合図。すぐに休むための別室が用意されて、後は……お解りでしょう?あなたも夜毎にしていることだ。 ふたりきりで楽しむのもよし、わざと他人に覗かせて刺激に変えるもよし。……高耶さんなら、どちらがいい? 選り取り見どり、お相手はあなたに選ばせてあげる」 信じられないものを見るように、高耶の瞳がさらに大きく見開かれた。 「まさか、本気で……。本気で、オレを売るのか……?」 「さてね。それもあなた次第ということですよ。さて、いつまでもあなたを独り占めしてるわけにもいかない。そろそろ戻りましょうか。せっかくの舞踏会、一曲くらいは私と踊っていただけるのでしょう?」 洩れ聞こえる楽の音に耳を澄ませ、典雅な仕草で腰をおろしている高耶に手を差し伸ばす。 そして、心ならずもそこに重ねられる手に恭しく唇を落した。 瞬間、びくりと震えの走った高耶の表情を見逃さず、にやりと笑う。 「あなたはとても感じやすいから。周囲からいやらしい目で見られていると思うだけで濡れてくるかもしれない。せいぜい気をつけることだ」 男の揶揄にはもう応えず、高耶は直江に導かれるまま、毅然とした姫君そのものの貌で、シャンデリアの輝く大広間へと戻っていった。 |