外の宵闇がそのまま人の容をなしたような。 冷気と清涼と秘めたる艶麗。夜の帳をまとって露台から現れた一対に、その場の誰もが息を呑んだ。 そのかすかな波動がさざなみのように広がっていく。 いつのまにか、しん、と静まり返った人々に臆するふうもなく、彼らは広間中央へと進み出る。 途中、男はごく自然な態度で姫君の背後に回り、おもむろに濃藍の打ち掛けの袖を抜いた。 とたんに周囲がどよめいた。 どんな手練の踊り子でもこれほど鮮やかな早替えは真似出来できなかったろう。 暁の牡丹の花を思わせる優婉な美姫は、一瞬にしてその印象を変えた。 艶やかな衣の下から現れたのは、新雪を思わせる綾絹の小袖。 襟元に覗く赤と濃緑との彩りが、凛として野に佇む寒蘭のようだった。 白無垢となった姫は、再び男に手を預け、滑るように中央へと進み出る。 流れる弦楽の音にあわせ、優美な舞踏が始まった。 姫君自身は決して上手な舞い手ではないようだった。けれど、ぎこちなさの見え隠れするパートナーの足運びを、男は巧みにリードして見せ場をつくる。 大きくターンをするたびに揺れる黒髪、光に煌めく金襴の帯。 裾にひらめく裏地の真紅。 フロアには他にもたくさんのカップルが舞踏を披露していたが、満座の注目を浴びたのは間違いなく彼らだった。 鼓動が高鳴る。身体が熱い。 なにより、腰の奥に憶えのある情動がわだかまる。 逞しい腕に抱き取られるようにして踊りながら、高耶はともすれば乱れそうになる息を必死に逃していた。 ただの儀礼として踊っているだけ。性的な接触は何もないというのに。 男の腕。体温。そして素肌に感じる衣ずれの感触が、疼くような刺激となって高耶を追い詰めていく。 そして自分たちを見つめる無数の視線。そのひとつひとつが見えない針のように昂ぶる身体に突き刺さる。 露台での直江の言葉がいやでも甦ってくる。 (なんで、こんな―――?) やはり男の言う通り、この身には淫蕩な血が流れていてそれが勝手に反応するのだろうか。 考える間にも甘い痺れはどんどんと広がっていって、思考まで侵されようとした刹那、ふいに厳しい叱咤が耳元に飛んできた。 「しっかりなさい。これからが本番ですよ。その目と耳をしっかり開いて確かめておくといい。あなたを奪い合う男たちと―――あなた自身の値打ちとをね」 (え…?) 気がつけば、直江に支えられるようにして高耶はフロアから退く途中だった。 すでに別な楽曲の前奏がはじまっていて、入れ替わるように新しい踊り手が中央に進み出る。 人々の関心はまた大半が華やかな舞踏の方へと向けられたが、もちろん、それだけではすまなかった。 「失礼。大変見事な舞踏でしたが、連れの姫君は少しお疲れのご様子。別室でお休みになられてはいかがでしょう?」 きらびやかな身なりの男が、自分たちに近づいてくる。 さきほど聞かされていたのと同じ台詞に、高耶ははっと傍らの後見人を窺った。 が、直江は謎めいた微笑をたたえるばかり。その表情に促されるかのように、男は高耶に視線を戻し舐めるように全身を眺め渡した。 「……たいそう美しくていらっしゃる。異国の衣装がよくお似合いだ。なれど、流行のドレス姿も是非拝見したいもの。 ダイヤモンドをあしらった黄金の飾り櫛など贈らせていただいてもよろしいかな。結い上げたお髪にさぞ映えるでしょう」 「彼女の黒髪にはむしろ紅玉が相応しいのでは?」 別の声が割ってはいった。被さるようにして三人目、四人目が名乗りを上げる。 皆、凝った扮装をしていて、それぞれに名のある富裕な家柄なのだと知れた。 欲望も露わに高耶を見つめる眼に下卑た好色な色さえなければ。 「黒天鷲絨と緑柱石のチョーカーも捨てがたいと思いますが…。その白い咽喉元を飾るのに」 「ならばいっそ粒よりの真珠がいい」 てんでに口にする豪奢な宝飾品の値が、すなわち今宵一晩の自分の値。 目立たぬ広間の片隅とはいえこんな公の場で、己自身が商品として競られている。 あまりの屈辱に、高耶の身体が小刻みに震え始めた。 互いに牽制しつつ値を付け終えた彼らの眼が、決裁を求めて直江に向けられる。 それに答えるように意味深な笑みを浮かべ、男たちに向って、直江は優雅に腰を折った。 「姫君へのお申し出はありがたいのですが。あいにくこの御方は東方のやんごとなき生まれ、黄金の離宮にとりどりの宝石を手慰みにして育った身の上。 今仰られたような飾り物には一切興味を引かれないのですよ。それに、まだ人馴れしていらっしゃらなくてね。 住み慣れたご自分の居間、お付の乳母やが傍にいなくてはゆっくり休めぬと申されます。 方々には申し訳ありませんが、気分が優れぬのならなおさら、早々にお暇して姫を忠実な乳母の元に送り届けたいと思います」 「しかし、直江殿!」 高耶を促し悠然と退出しようとする、その背に、焦り失望した怒声が浴びせられた。 ゆっくりと直江が振り向く。 「その名はこの夜会ではなんの意味も持ちません。……お忘れか?」 激した感情を鎮める慇懃な口調。けれどその堂々たる体躯に漲るのは紛れもない静かな威圧。 我が身をも危うくしかねない禁忌に触れたことを窘められては、男たちも黙って引き下がるしかなかった。 |