夜会は今がたけなわだった。 晧々と煌めく灯火のもと、着飾った人々がさんざめく。 三方を回廊に囲まれ弦楽の流れる吹き抜けの大広間には、貴婦人たちのふりまく極彩色の色彩とむせ返るようなコロンの香に溢れている。 その華やぎがいっそ猥雑に思えるほど度を越しているのは、これが高貴な人々の間で秘密裏に開催される仮装舞踏会だからだ。 はめを外したい若い連中、暇を待て余した奥方やその夫君が、本来の身分を伏せここぞとばかりにお気に入りのパートナーを伴って奇を衒い贅を凝らした扮装を披露する。 互いに互いを批評しあい、 時には相手を違えて密事の舞台となることさえ暗黙の夜会だったから、豪奢なのはもちろん、ことさらに身体の線を露出する扇情的な装いも多かった。 広いフロアーに集うのは、薄物をまとい幾重にも飾りを巻いた砂漠の踊り子。 優美な肢体を毛皮に包んだ黒豹の男女、金糸銀糸で襤褸を繕い紫檀の杖に縋る乞食。 宝石を散りばめたティアラを戴き昂然と君臨する季節の女王。花や自然の精霊たち。 仮面に隠される匿名性、その実、衆目を集めることへの密かな興奮。 二重の欺瞞がそれぞれを大胆な振る舞いと熱狂とに導いて、そこかしこで嬌声と喝采があがる。 ひときわ目を惹く扮装者の周囲には自然に彼らを取り巻く人の輪が出来ている。 その中心に、異国の衣装に身を包んだ姫君と、彼女をエスコートする貴族然とした男の姿があった。 (やっぱり場違いだったかも…) さっきから極彩色の彩がぐるぐると渦を巻いている。 今さらながらの後悔と気後れに加えて、そんな眩暈に似た錯覚をおぼえてふらつくのを腰に回された手がしっかりと支えた。 気遣わしげな声が降ってくる。 「大丈夫ですか?高耶さん」 「少し人に酔った…」 直江は無言で支える腕に力を込めると、引きも切らずに話し掛ける人々をすり抜けて、 広間の片隅、休息のためのアルコーブまで高耶を誘導してくれた。 「結局足手まといにしかならなかったな。ごめん…」 椅子に腰掛け、冷たい飲み物でようやく落ち着いた高耶が悄然と口にする。 「おまえの付き合いなのに。こんな仮装までしてでしゃばって、悪かった」 「……私は眼福だと思っていますけど?こんなに素敵なあなたが見られて」 大袈裟なほどに目を瞠って楽しげに返される言葉に、おもわず赤くなって俯く高耶だった。 ことの起こりは一通の招待状。 いつものように生島が運んできた書簡の、 その封蝋を認めたとたんに曇った直江の表情を高耶が見逃すわけもなく。 問い詰める高耶に直江はしぶしぶといった風で訳を説明した。 「……仮装舞踏会?非公式の?」 「はい。まあやんごとなき方々の暇つぶしといったらそれまでなんですが。断りを入れるには少々含みのありすぎる御方で……」 「じゃ、出るしかないじゃん」 あっけらかんと言い放つ高耶に、直江は深いため息をつく。 「高耶さん。仮にも舞踏会なんですよ?私にあなた以外の女性を伴って出席しろと本気でおっしゃってるんですか?」 恨めしげに見つめてくるのに、高耶が微苦笑を浮かべた。 ダンスどころかもっと深くてきわどい関係だってこの男は数限りなく愉しんできたはずなのに。 今となってはすべて眼中にないのだと、全霊で訴えかけてくるのが愛しくもあり照れくさくもあり、そしてなにより誇らしくて。 「仮装舞踏会なんだろ?オレでよければ何かに扮装して同伴するけど?」 後悔先に立たず。浮遊する心のままに、高耶はうっかりそんな言質を直江に与えてしまったのだった。 直江が高耶のために用意した衣装は艶やかな牡丹の打ち掛け。純白の小袖。 がんじがらめにまわされた着付けの細紐とずしりとした絹地の重さに、これでは動けないと愚痴るのを宥めすかし、 付け毛と化粧とを施して出来上がったのは、せっせと化けさせていた付き人たちが感嘆の息を洩らすほどにたおやかで美しい、東国の姫君だった。 いささか、美しすぎるほどだった。 結果として、主催の夫人への挨拶を済ませた後もふたりは延々と機嫌伺の人々に囲まれる仕儀となったのだ。 「そろそろ潮時ですね。退散することにしましょう。歩けますか?」 「うん。……でも、いいのか?せっかくの舞踏会なのに一曲も踊らなくて?」 「パートナーのあなたがこんな状態なのに?」 面白そうに問い返されて、上目遣いに高耶が睨む。 「オレじゃなくてもおまえなら引く手あまただろ?」 「あいにくあなたの思うほどもてたためしはないんですよ?」 じゃれあうような軽口の応酬だったが、あいにくこのときばかりは間が悪かった。 「……一曲踊っていただけませんか?」 背後から、本当にダンスの申し込みがあったのである。 おずおずとした声の主は、美弥と同じ年頃の、まだデビューして間もないような初々しい少女だった。 ふんわりと紗を重ねた薄紅のドレスと華奢なつくりの金細工のティアラが、可憐な容姿を引き立てている。 花の妖精そのままに可愛らしく膝を折り会釈をした後は、 憬れのこもったきらきらした眼差しでふたりを見つめ、その返事を待っている。 仮面の下で直江が小さく舌打ちをした。牽制のためにわざと振り撒いていた剣呑な気配も、まだ社交の場に不慣れなこの少女にはまったく無意味だったのだ。 慇懃に断ろうと口を開きかけたとき、高耶の手がすっと直江に伸びた。 軽く背に触れられただけ。でもその仕草の意味は明白で。 目線だけで窺う直江に高耶は微かに頷き、少女に向ってにっこりと笑ってみせた。 その笑顔に押されるように、直江が少女へ手を差し出す。 嬉しげに頬を染め手を重ねて滑るように広間中央へ進んでいくのを、高耶は微笑を湛えて見守っていた。 |