見る者までが我知らず笑みを刻んでしまうような、微笑ましい一対だった。 今は踊ることが楽しくてたまらないといった少女は、 こぼれるような笑顔で的確なリードをする直江を見上げ、 全身から溌剌とした魅力を発している。 大切に守り育てられた深窓の令嬢。 悪意に曝されたことも他人を疑うこともなく、貴族の生れを自然のものとして何の疑念も抱かない、砂糖菓子のように華奢な少女。 彼女の所為ではないと知りながら、それでも少し心が軋んだ。 もしも―――ほんのちょっと運命の歯車が違っていたら、美弥もこの少女のように無邪気に笑っていられたかもしれないと、そう思って。 そんなふうに思考が 内面に沈んでしまっていたせいだろう。 いつのまにか傍に近づく人影に高耶は気づかなかった。 「あなたのような方をお一人にして申し訳ない」 「!」 はっとして視線を転じ、声の主を確かめる。 豹に扮した細身の青年がひっそりと佇んでいた。 顔の半分を覆う獣の仮面。仕立てのいい夜会服に、ジレだけは華やかな黄金と黒。 無駄のない身ごなしが猫属を思わせる、いかにも場慣れしていそうな貴族の青年。 直江以外の他人を此処まで懐近く飛び込ませたことに動揺する高耶の内心を知って知らずか、 豹の青年は独り語りに話し続ける。 「あの花の妖精は、私の従妹なんです。 踊るのがなにより好きな娘でね。先日晴れてデビューを果たしたものの、 親公認の行儀のいい夜会だけでは物足らなくなったらしい。どこで聞きつけたものかこの舞踏会に連れて行けとせがまれました。 ちょっと目を離した隙にあなたのお連れに申し込んだりして、結果、あなたひとりを壁の花にしてしまった……。 従妹に代わって不躾をお詫び申し上げます」 解りやすく事情を説明し慇懃に頭を下げる青年に、高耶も軽くかぶりを振る。 「……本当に可愛らしい御方で…」 たどたどしい舌足らずの裏声をさらに扇子の陰に隠しながらの応えだったが、真実、心のこもる言葉に、青年が破顔した。 同時に、高耶のことをも、まだ言葉に不自由な異国の姫と認識したらしい。連れが戻るまで高耶の相手を務めるつもりらしく、 ひとつひとつ言葉を区切ってゆっくりと話し掛けてくる。 面倒なことになったと思いながら、相手の誤解に乗じて高耶はできるだけ声を出さず、しとやかな身振り手振りでそれに応じた。 が、 込み入った問い掛けになるとあいまいな笑みで首を振る仕草に何を思ったか、 不意に青年は視線を外して給仕を呼び寄せ、その盆に載せてあったグラスを取って高耶に勧めた。 喉は渇いていないが少なくとも飲み物を手にしている間は間がもてる。 そうこうするうちに直江も戻ってくるだろうと、 高耶は会釈をしてそのグラスを受け取った。 中身は発泡性の葡萄酒のようだった。 爽やかな香気と風味が思いのほか後を引いて、ほどなくグラスは空になる。 礼儀正しく差し出される手にそれを返そうとした時、異変は起こった。 床が波打ちでもしたように、突然、視界がぐらりと揺れる。 (え?) 傾ぐ上体をすかさず青年が支える。 引き剥がそうにも、身体に力が入らない。 (なんで――?) 焦る高耶の耳元で潜められた声がした。 「気分がすぐれないのなら――、別室にご案内しますよ。しばらくお休みになるといい」 なおも慇懃を装いながら、己の優越を隠さない勝ち誇った響き。 はっと見上げる自分の貌にはきっと怯えの色があったのだろう、表情のないはずの仮面が急に猛々しさを帯びた気がした。 獲物を前にした獣そのもの、にやりと口角をつりあげる酷薄な笑みに、この青年の本性が透けてみえる。 こんな男を傍に近づけむざむざとその手管に嵌まったことに、歯噛みする思いだった。 弱々しく身を捩る高耶を、苦もなく青年は立ち上がらせる。 肩と腰に回した手で上体を支え強引に歩ませようとしたのだが、裳裾を引く打ち掛けが重石のように高耶をその場に縫いとめている。 思いがけない事態に、はじめて男の口から舌打ちが洩れた。 馴染みのない衣装の扱いに手間取っているうちに、背後から声が掛った。 まだ広間中央で踊っているはずの男の、穏やかながら抜き身の刃のような声音だった。 「その人をどちらへお連れするつもりかな?」 たった一言で青年を牽制し動きを止めた直江は、無造作に高耶に掛るその手を振り落とし、ぐったりとした身体を抱き取る。 そして、打って変わって優しい口調で問い掛けた。 「……大丈夫?また気分が悪くなったの?」 返事はなかった。 ただすすり泣くような安堵の吐息が洩れて、腕の中の高耶がさらに身をすり寄せた。 いたいけな仕草に、直江が眉を顰めさらに重ねた。 「……歩ける?……そう…」 小さく振られる頭を愛しげに撫でその身体を抱き上げてから、おもむろに背後を振り返る。 「やはり連れの気分がすぐれないらしい。曲の途中ではありますが退出の非礼をお許しいただけますか?花の姫君?」 それまで黙って直江に付き従い、気遣わしげな表情で高耶を見つめていた少女が、こくりと頷いた。 「あの、……どうぞ、おだいじに」 「ありがとう」 柔らかな微笑で応えて、踵を返す。 無言で放たれる男の殺気に飲み込まれ呆然と立ちすくむ青年には、もう一瞥もくれなかった。 |