最初にそいつを見たのは、誰もが足早に通り過ぎる早朝の駅ビル前の歩道だった。 周りから頭ひとつ飛びぬけた長身、日本人離れして端正な容貌。 男ならこうありたいと思い浮かべるようなようなひとつの理想のカタチが、高価そうなスーツを着て歩いている。 チラシ配りのバイトをしながら、これはダメだと反射的に思った。何もかもがきっと自分とは正反対、あまり近寄りたくはない種類の人間だと。 出来ることならあっちへ曲がっていってほしい、さもなきゃ手の届かない離れたあたりを行過ぎてほしい。 心の中で念じたのにも係わらず、その男は狙いすましたようにこちらに近づいてきて。 「どうぞ」 高耶の手が機械的にティッシュとチラシとを差し出す。 無視されるか、あるいは雑にひったくられるか。 返ってくるのはたいていそんな反応ばかりだったから、この男が、要りもしないだろう紙きれを流れるような仕種で受け取ってくれた時には正直かなり驚いた。 すれ違うほんの一瞬。言葉を交わす間もなかったけれど、微かな会釈で謝意を示す気配りにも。 知性を湛えた鳶色の瞳。穏やかな物腰。 きっと育ちがよくて頭もよくて高給取りで、綺麗な恋人か奥さんがいるんだろう。 そんな満ち足りた境遇が似つかわしい男だ。 やっぱり自分とは大違いだけど。 羨む気もおきないほど非の打ち所のない人間が、確かにこの世にはいるんだなと、人ごみに押し流れそうになりながらぼんやりと考えた、そんな朝だった。 次に遭ったのはバイト先の居酒屋。 どやどやとなだれ込んできた十人近くの一団の中に、そいつの姿があった。 場末とは言わないまでも若者向けのチェーン店だ。 どう考えてもこの男にはそぐわない気がするが、本人はいたって気楽な様子で小上がりの造りを見回しメニューを眺め連れと談笑している。 このグループからは大量の注文がなされて、担当だけではさばききれずに高耶も何度か料理を運んだ。 不思議な気分だった。 先日見かけた人間が、今日は客として自分のテリトリーにいるなんて。 マニュアル通りに復唱しきびきび動きながらも、ちらちらと盗み見るのを止められない。 当然のこと男の席は奥まった上座だし、そもそもたった一回すれ違っただけのチラシ配りを覚えているはずはないだろう。 自分は知っている。けれど相手は知らない。 空気のような匿名性に安堵しながら、まるで芸能人でも見るように、なおも男を窺い続けた。 間近で見ても最初の印象を裏切らない男、だった。 杯を傾ける仕種も、箸を扱うその手つきも。何か話を振られては相手と目線を交え訥々と語る様子も。 賑々しい店内にあって、男に感化されるようにこの小上がりの一画だけはなごやかな雰囲気に包まれている。 かしこまるでなくかといって砕けすぎず、和気藹々、料理と酒とを愉しんで、 もてなす側のこちらまでがつい嬉しくなってしまうような。 そうして何杯目かの追加のビールを運んでいると、丁度、男が腰を上げるところだった。 幹事役に二言三言声をかけ紙片を握らせて通路へと出る。 道を譲る形で一歩引いた高耶と、今日初めてまともに視線があった。 おや? そんな怪訝な表情をする。 「ありがとうございましたっ!」 考える間もなく、型通りの台詞が口をついた。 相手の思索も何も断ち切るような勢いで。 ジョッキを手に直立不動で頭を下げる高耶に、男はにこっと笑いかけた。 「ごちそうさま。とても美味しかった」 心にしみわたるような声音だった。 高耶がそうだったように、男の言葉だって客として当然の社交辞令だろう。 でもそれだけではない親しみのようなものが込められてはいなかったか? ひょっとして、覚えてた? 立ち去る背中を見送りながら、束の間、ありえない想像をする自分にうろたえた。 そのとき、小上がりからどっと喚声が上がって、一瞬にして高耶を現実に引き戻す。 上司という重石の取れた一団が、その退出した上司から渡された祝儀の額に改めて快哉を叫んだのだった。
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