訣別

―ゆめの泡沫―




陽射しの降りそそぐ街路が、焦点の合わぬ目にはまるで異国の風景のように映った。
あてもないように歩き続けて、やがて、小さな公園にたどり着く。
ベンチにがっくりと座り込み、悄然とうずくまる直江に、呼びかける声が聴こえた。

オレのことなら気にしなくていいんだぜ?

高耶だった。隠伏して直江の内部に溶け込んだまま、あの会話を聞いていたのだ。
よりにもよってあんな話を。
強請られるままに隠伏を許して伴ってきたことを、今になって直江は深く後悔する。
そんな心の動きは、それこそ手に取るように解るのだろう、高耶はつとめて軽い口調で語る。

おまえの側がオレの居場所だから。二人まとめて面倒見てくれるっていうなら、喜んで世話になろうじゃないか。

あいにく、私が構うんです!

憤然と、直江は心の内で言い返す。

黄金の檻に入れられて、あなたと番うのを見世物に、その精液を搾れという。それが、他人 の手に渡るのをただ黙って見ていろというんですか。
冗談じゃない。
第一それだけですむとは思えない。いずれ、あなたを抱きたい、直接にあなたから摂取したいという輩がきっと現れます。薬や鎖や…それこそどんな手段を使っても。
……そうなっても、私に我慢しろと?あなたが私以外に許すのを指をくわえたままで?

激昂する直江の心をなだめるように、高耶はさらりと理屈で包み込む。

……さっき、組織の話を出された時、おまえの内部が墨色に染まるのが解った。あれは、絶望、そして恐怖の色だ。
つまり、組織というのは、おまえの恐れを掻き立てるぐらいで強くて、そのうえ長い手と爪を持っているんだな?蓬莱のこの地の何処に逃げても届くくらいに。

顔を覆った姿勢を崩さず、直江は内心でしぶしぶと同意する。

……逃げるだけなら、なんとかなる。でもそれだけです。到底平和な暮らしは望めない。始終追っ手の影に怯えながら、気の休まる暇のないままその日その日を過ごさねばならない。……あなたにそんな思いはさせたくない。

くすりと高耶が笑う気配がした。

おまえ、オレのことお姫様か何かと勘違いしてないか?オレは本来が黄海育ちだ。今までだって、そうやって生きてきたんだぜ?

そうたしなめた後に、高耶は暫し黙り込む。

でもなあ。オレは構わなくても、そうやって一度反旗を翻せばおまえは確実に標的にされるから。それは、困る。というか、絶対に嫌だ。おまえを失う危険を冒すぐらいなら、喜んでそいつらに飼われてやるよ。芸をしろというならしてみせるさ。……でも、おまえはそれは嫌なんだな?

まるで三竦みですね……

確認するように言われて直江が嘆息する。
結局のところ、互いが大事に思うのは互いなのだ。相手の身体の髪の毛一筋でも損なわれたくはないし奪われたくもない。組織に従い身の安全を図ったとしても、今度は、きっと心が毀れていく。結末は、火を見るより明らかだった。

ごめんな。直江…

不意に背中から抱きしめられた。

守ってやるって言ったのに…。結局オレがおまえのこと追い詰める。

それは私の台詞です。高耶さん。結局あなたを巻き込んでしまった…。

さわさわと、高耶の指の感触が背中からうなじへと這い登っていく。熾火のような疼きが身の裡に湧き上がる。それは高耶も同様なのだろう。
直江はそれ以上は何も言わず、一心に家を目指した。今はただ、一刻もはやくこの愛しい人の生身の身体を抱きしめたくて。


区切られた時間に追い立てられるような激しさで、睦みあった。
寝食を忘れるほど互いを貪り交わりあった。

その狂気のような時間にも、やがて終わりが訪れる。
約束の日限まであと二日という深更、直江の腕の中で、墜落するように眠りに落ちていた高耶が、ふと身じろいで身体を起した。

「…高耶さん?」
獣が獲物の匂いを嗅ぎつけたような、そんな真剣な表情で神経を研ぎ澄まし、なにかの気配を探っている。
不意に高耶の表情が輝いた。
「直江。王が蓬莱に渡る。蝕が起こるぞ」
意味が飲み込めずに、ぽかんとする直江を、高耶は腕を掴んで揺さぶった。
「虚海に道が通じる!向こうに帰れる!」
徐々に高耶の狂躁が、直江にも伝染った。
幽かな希望の光が、みるみる太くまばゆい道標となる。


「……確認させてください。高耶さん。あなたの世界には普通は行き来できないんでしたよね」
「そうだ。偶然触に巻き込まれて飛ばされる以外は。自由に往来できるのは王と麒麟だけ。
十二人いる王のその誰かが、今夜、道を拓く。気の乱れがそれを知らせる……」
陶然と謡うように呟きながら、高耶は急に困惑顔になった。今までのはしゃぎっぷりがかき消えて、おずおずと問いかける。

「行くか?直江」
「もちろん」
「もう二度と戻って来れなくても?異邦人として一生を過ごすことになっても?」
「あなたは傍にいてくださるのでしょう?」
「すべて捨てて、一からやり直す境遇に落ちても?」
「望むところです」
自分を思いやる高耶の気遣いが嬉しくもくすぐったかった。高耶自身はあれほどきっぱり故郷よりも自分を選んでくれたというのに。その逆は、ありえないとでも言うのだろうか。

「腕には覚えがありますし。あちらでも武人という職業はあるのでしょう?一兵卒から始めたとして、すぐにのしあがってみせますよ。あなたを養うぐらいにはね」
不敵に断言する直江に、ふわりと高耶は微笑んだ。
「……人を見る目が少しでもある奴なら、誰もそんな馬鹿な任官はしない。おまえはすでに騎獣持ちなんだから。しかもスウグの」

…スウグという言葉に、直江の眉が少しだけ曇った。言いにくそうに口ごもる。
「念のためにお伺いしますが…あなたの、その、体液が霊薬となるのは……」
「……蓬莱だけみたいだな」
憮然として高耶は呟く。
「騎獣として狩られることはあっても、だ。第一、不老長寿を願うなら仙籍に入ればいい。 それに」
笑いながら高耶は言葉を切り、直江の首に腕を投げかけた。
「誓約を交わした主従に横紙破りのちょっかいをだそうなんて愚か者は、向こうにはいないんだ……」

軽く唇を合わせると、高耶はベッドから降り、するりと姿を変えた。
直江も急いで身仕舞いをし、当座に入用そうなものだけザックに詰め込む。

いいか?

「いつでも」

まるでこれから探険に出かけるようにわくわくしている。そんな顔を見合わせる。
「監視が張り付いていると思いますが…」

そんなもの振り切るさ。スウグの本領をみせてやる

にんまりと獣の貌で、高耶が吼えた。


獰猛な獣の咆哮が静まり返った夜の空気をびりびりと引き裂いた。その音量の凄まじさに、一体何事かと見張り役が右往左往するうちに、硝子の破れる音がして、屋内から矢のような光が一筋、天空に走る。
彼らが為す術なく呆然と見つめる中、それは見る間に東の空へと消えていった。


その日の未明、太平洋上の無人の群島を原因不明の高波が襲った。幸いにも死者の出なかったこの災害は、さほど世間に騒がれることもなく、やがて忘れられていった。
そして、それ以来、二人の行方は杳として知れない。 
               



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・・・まとめた本は結局48ページの分厚さになりました(苦笑)
獣の高耶さん、これでひとまず終了です。
お付き合いくださいましてどうもありがとうございました。<(_ _)>




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